初めましての人も、そうでない人も、
おいっす。早稲 実です。
エニュウス系のコメントでは詩的な文章を載せて見たりしてみないでもないのですが、ガラテアの方では素の文章もいい感じな雰囲気みたいな陽気?
正直なところ、せっかく用意された小説以外の文章を置ける、行ってみれば裸の自分を見せてもセクハラ容疑にかけられない小部屋を作ってもらったのだから、あんまりきどるのもどうかと不意に考えたわけでして、決して詩的な何かを考えるのが面倒になったわけではありません。要注意。
さて、『コンクリート』なのですが、仲間の一人に言わせりゃ、プン学の臭いがプンプンの噴飯小説だそうです。久しぶりに振り返って読んでみて、尻の青さを思い知らされました。
部分的には良いんですよ。下手糞も愛嬌だと思えば、稚拙な文章表現も努力の結果だと苦笑いできます。がんばってたなぁ、俺。って感じ?
ただ問題は、盛り込まれてる思想の量でしょうか? これは書いた本人である私しかわかりえないことでしょうが、読者の方々も気づいたことでしょう。文学臭いくせにテーマが揺らいでることに。いやぁ〜、プン学プン学。それでもライトノベル狙ってるイタさが非常に辛いですね。
これ書いたのは、ぶっちゃけ二年ほど前なんですよ。学生やりながら、触れてくる思想、文学、感動、全てに一々反応していて、オイシイとこだけチョイスを敢行していたんでしょうね。当時の自分的にはアリだったんでしょうが、今から見るとストーリーから書き直したいくらいです。アレですね。大人になりたくて皮を剥いたんだけど、痛い痛い。そんな感じです。下品です。
ここからは余り、『コンクリート』のコメントを書くに当たって関係ないんですが、昔の作品と言うのは驚くほど痛いですね。部分的にハッとさせられるところもあるんですが、全体的に痛いんですよ。構成力とか文章力とかじゃなくて、言ってしまえば「ここで感動させよう」「これがあれの複線になっててどんでん返し」とか。そういう“狙い”が見えてしまうんですよ。頑張ってる様子が透けて見えてしまうんですよ。そういう所は決まって空回りしているんですけれどね。
エニュウスに関しても、特に第一章に関してはその感が拭えませんね。いろんな手法に手を出して、凄く失敗しています。いや、正確には、「今、書き直せば、絶対にこんなことはしない」という部分が目についてしまうんですよ。手直しするとなると、初稿より時間がかかりそうなんでやりませんが。
もう一つ、手直しをしない理由になるかどうか微妙なんですが、そういった青臭い努力も残しておいてもいいような気がするんです。
確かに、手直しすることによって作品の質は上がるでしょう。(上げます。なんとしてでも)ですが、当時の頑張りはどうなるんですかね? 授業そっちのけでネタを絞り、寝る間も忍んで構成し、偏差値を落としてまで書き上げた作品は、どうなるんでしょうかね?
形が悪いからといって、私はそういった作品を投げ出したくないですね。実家においてあるアルバムの題名じゃありませんが、成長の記録として残しておいても悪くないと思います。
不細工でも自分。
それも認めて、苦笑いして。そんな風に精進していきたいと思います。 |