■ disorder 秩序破壊者 ■
早稲 実
プロローグ
蛇腹な搭乗孔を這い、クレオは操縦桶に足を下ろす。外側に液体を満たしているから、酷く不安定な足場であった。卵形の操縦桶そのものが揺れている。光もない。搭乗孔、同時に通風孔でもある蛇腹から射光がわずかに届くばかりだ。
そういった瑣末に気をとられていたのはいつの頃だったか。手繰り寄せた記憶の中で、怯えていた自分は父に手を引かれていた。
打ち払うように頭を振り、クレオは操縦桶の前後に通っている板に跨った。形状、機能が似通っているために馬の背と呼ばれるそれには、関連付けるようにアブミと呼ばれる部位もあり、クレオは当然のように足をかける。
手綱はない。馬の背の前部には左右に棒が生えており、それが手綱の代わりとなる操縦桿である。二本の操縦桿の間には、人の頭が入るくらいの、四角い溝が開いている。
クレオはそこに、搭乗の際に持ち込んだ、今まで必死になって馴染ませてきた陶魂をはめ込んだ。仕掛けが噛み合う硬い音、続いて、虫の羽ばたきのような起動音がする。
操縦桶の中が賑やかな色彩を帯びていく。赤、青、黄――現在の染色では生み出せないような色まで。太陽に色紙を透かすように、内側から輝いている。
最後に、真っ黒であった正面の画面が白一色になり、次いで外部の景色を映し出した。
クレオは軽く眼を瞑り、呼気を吐き出し、小さく呟いた。
「さぁ。始めるか」
画面を睨み据え、操縦桿を握りこむ。
狭い画面の先では、一体の闘器が剣を正眼に構えて待ち受けている。
兄はいつもそうだ。軍の基本戦術に則り、こちらの出方をうかがってから動き出す。
父が作り出したその戦法で。
そりゃそうだ。父は兄を自らと同じにしようと育てている。懸かり切りになって、こちらを見ようともしない。母にすら、眼を向けようとしない。母が平民出だからか? 仕方ないことなのか?
クレオは操縦桶内に唾を吐き捨て、落ち着き払ってから、正面の闘器の装備を見返した。薄く叩き延ばした鉄板を、身体の全面に張り巡らせ外装としている。さながら甲冑だ。剣は共和国圏でもっとも一般的な長剣を握っていた。といっても、闘器が持つそれは大きすぎる。人が振り回す剣のように鋭利な刃を持たず、肉厚で、鋭いだけの鉄の棒に過ぎない。武器という概念が固定化させた、長剣という形を持った道具でしかない。
「ふん、共和国の正規兵気取りか? ジャクメルの民であることすら忘れて」
吐き捨てながら、自分の相棒の姿を連想する。薄い緩衝帯とその上に着込んだ皮の服、厚い鉄外装の下半身。人間で言うならば酷くバランスが悪いのだろうが、重心を下げることによって圧倒的な平衡性を有する。上半身は胴周りくらいにしか防具がない。後は左手の小盾と右手の大鉈くらいだろう。
それでいい。
間違っちゃいないはずだ。
クレオは両腕をぶら下げたまま大股で近づいていく。眼前の闘器は正面に長剣を構え、少しずつ後退していった。
“足”を計っているのだろう。一足で飛び込み、一刀で断ち切る。突き殺す。相手がもっとも動きにくい状態であれば、確かに一撃必殺であろう。歩いている最中でも構わない。斬りかかる瞬間に、相手の両足の位置が揃っていれば決まるだろう。
ほら来た。
こちらの左足が前に出る時――右足との距離が限りなくゼロに近づいたタイミングで、飛び込んできた。鋭い振り下ろしの剣撃で。
小盾や大鉈で弾くなんてことはしない。先を取られている。間に合いっこない。
クレオは左足を右足の手前に交差させた。そうやって、迫りくる凶刃を倒れ込むようにしてなんとか避ける。
「それで充分だがな」
同時に交差させた両足の捻れを解すように腰から回転し反転、その遠心力を用いて大鉈を振り回す。
乾いた、砕く音が背後で鳴る。
再びクレオの画面が敵を正面に映し出した時、相手の闘器は両腕をなくしていた。相手の闘器の動源水が地面に染みを作り、大鉈には、敵の両腕を保護していたであろう緩衝帯が滴る血液のようにまとわり付き、そよぐ風に微かに靡く。
試合終了の合図として、旗が上げられる。
「もう、終わりか……弱すぎるな。あいつならもっと……」
もう一度だけ、倒れて、無くした腕で身体を支える、兄とまったく同じ装備の闘器を見下ろす。話にならなかった。
クレオは操縦桿の中央にある陶魂を抜き去り、闘器の明かりを落とした。
暗い操縦桶の中で、クレオは画面を睨みつけていた。
兄を。
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