■ disorder3 共和国の貿易商 二人目 テニス・クォーラー ■

早稲 実

 

   エピローグ

「だってよ。まだ、成人してもいねぇガキが、そう言うんだよ。自分には力がないから、他人を信じるってよ。
 いや、言うことだけなら誰にでもできるが、ヒニアルの野郎はちょっと違う。信じた上で全体を見て、指示まで出しちまう。後ろから刺されるぞって脅しても、さらっと笑っちまうんだからな。
 まったく、自分がどうする、ってのはないのかね? 若さがなくていけねぇや」
 苛立たしくそう言う割りに、テニスの顔はどこか綻んでいるようだった。
 こいつ、少し変わったか?
 そういう疑問を感じながら、レンスはクアーという熊男に荒らされた部屋の中で、テニスが美味そうに吸う煙草を眺めていた。正確には、その煙草の灰が無遠慮に床に落ちていく様を。
 煙草盆は煙管に葉を詰めるのが面倒臭いと言っていたが、灰皿としての機能を忘れて欲しくなかった。灰は落ちるに任せ、火種は蜂蜜茶を入れていたカップに煙草ごと投げ捨てていた。
 そしてまた無造作に、吸い終えた煙草をカップの中に放り込む。残しておいた蜂蜜茶と火種が、ジュっという音を立てた。
「ま、だいたいこんなとこだ。あとはジャクメルで馬を買って真っ直ぐ帰ってきたから、特に変わった事もないしな。話すこともまぁ、ないだろうさ」
 こちらの目が神経質なそれになっている事がわからないのだろうか。それとも、自分がそういう表情を作れていないのだろうか。テニスはカラカラ笑いだしそうな顔を作って、こちらの反応をうかがっている。
「なぁ、テニス・クォーラー。君は自分の疑問がどのように解決されたか、それを話したいがために、ジャクメルの挿話を付け加えたのか?」
 一瞬見せた、こちらを侮蔑する表情の中から、自分の推理はあながち外れていないことは理解できたが、テニスは反論を始めた。
「何言ってんだよ。ヒニアルが帝国の重大な情報を持っている――かもしれない――って事を教えてやったじゃねぇか」
「部隊命令を無視して脱走した年端もいかぬ少女が持つ、帝国の機密ねぇ」
 ムっとしたよだが、鼻を鳴らすだけで噛み付いてはこなかった。もう、何も言わない。懐から煙草を取り出して、火をつけるだけだった。
 いつまでも向かい合っていても仕方がなかった。レンスは立ち上がり、部屋を移そうと思う。煙の充満した部屋じゃ、報告書を書くペンも進まないだろう。何よりクアーが暴れたお陰で、机も筆記用具もばらばらだった。
「どこに行くんだ?」
「報告書を書くのさ。本当に、弟はいつ帰ってくるか知れないからな。読めばすぐ、ヒニアルくんに出頭を命じるような物にしてやるから、おまえはもう帰れ」
「一服吸ったらな」
 どんなところでも落ち着いていられるのは一つの技能と言っていいのだろうが、家具が散乱する部屋でくつろぐテニスは奇異に映る。だが、気にすることもなくレンスは部屋から出て行った。中庭を見下ろす二階の廊下まで出て、大きく一息ついた。日も、すでに暮れかかっている。腹も空いてきているが、まずは報告書を書き上げるのが先だろう。間食だけでも運ばせておこう。
「おまえ、変わったか? わかっていても俺の意を組むような奴じゃなかったろうが」
 煙たい部屋の中から、テニスがそう声をかけてきた。
「変わったのはおまえだろ。元老院議員という弟の役職は信じていても、誰かを信頼するような奴じゃなかったよ。テニス・クォーラーは」
 わざわざ振り返って語りかけたわけではない。廊下の手すりに寄りかかったまま、鼻歌を歌うように、何気なく呟いたに過ぎない言葉だった。けれど、恐らく聞き取れているだろう。そういった技能に長じた男だ。
 それでも何も言わないのは、恐らく恥ずかしいのだろう。成人を果たして変わる自分を恥じたのか、子供に影響されて変わる自分を恥じたのか、他人のレンスには知りようもないが。
 とにかく、早く報告書を仕上げよう。
 レンス自身も、ヒニアルという少年に興味が沸いてきた。