■ disorder3 共和国の貿易商 二人目 テニス・クォーラー ■

早稲 実

 

   5

 はぁ……だいたいこんなところかな。帝国の話は。
 さっきも言った通り、首都の方は壊滅状態で、避難してても良さそうな山の方にすら人の姿はなかった。
 大移動してきたのが帝国の人間の全てってのも、あながちただの噂とも言えねぇだろうな。予想されていたよりも少ないのはたぶん、首都が潰れた時に死んだか、北上している間に逸れたんだろうさ。
 ああ。サソリに関しては、話した以上のことはわからんぞ。幸か不幸か、四角錘の崩落に巻き込まれて全滅さ。それからは見てねぇな。急ぎ足で帰ってきたとはいえ、追ってきてるんならここに辿り付くまでに襲われているだろうし。
 外装を外した闘器に近い物だったな。サソリみたいに動くし、目が弱点ではあったが、生き物じゃなかったな。魔物ですらねぇって思うのは、戦った者としての感想だ。
 おい。なに、立ち上がってんだ。あん? 報告書? まぁ、代わりに書いてくれるってのはありがたいけど、話は最後まで聞けや。
 なーに言ってる? 終わったのは帝国の話だけだよ。旦那からの報告ならそれでもいいのかもしれんけどよ、俺が見てこいって言われてるものは違うだろ? 言ったよな。密命があるって。
 ま、話自体は短く終わらせるからよ、もう少し座ってろ。

 帰りはよ、旅というより行軍だったよ。単純に、サソリの恐怖から逃げていたんだがな。いつ、どこからあいつらが顔を出すともしれない。
 息苦しいが、下山する気にはなれなかったな。おかげさんで早足程度の速度でも疲れてよ、しょっちゅう休憩してたな。その代わり、休息を抜かした。つまり、寝ないで歩いてたってことだよ。
 いや、そりゃ少しは寝たさ。睡眠時間なんて形で贅沢に寝ることはしなかったが、休憩中にうたた寝を繰り返してたな。四角錘で見つけた干しジャガイモが煮えるまで、とか。
 見る間に、やつれていったな。俺も、旦那も、もちろんヒニアルも。だけどよ、あのガキは弱音を吐いたりしなかったな。いや、不平不満どころか、口数そのものが少なくなってた……そういや帰り道では、旦那に背負われる姿も見てねぇよ。
 黙々と歩いてた。休憩を、自分から言い出すこともなかったしな。ただ、歩きながら眠ってたらしくてよ、二回くらい崖から落ちかけてたよ。ははは。
 まぁ、共和国圏に入るまでは、だいたいそんな感じだったな。だから、山麓の貿易都市に入ったときは嬉しかったよ。
 北大陸を東西に隔てるハイタイ山脈の低い所にできた、貿易のための山道。そいつを独占するためにレイマス中枢都市が作った貿易国。ジャクメルさ。

 いつだったかなぁ〜。ザールスが言ってたんだよ。
「帝国との貿易が終わったら、ジャクメルだな」ってよ。
 調べてみるとザールスはよ、貿易国であるジャクメルに対して一切の介入をしてなかったんだよなぁ。レイマスの一割男が手を出さない理由は、ジャクメルの成立理由を探ってみてようやくはっきりしたな。
 知っての通り、レイマス共和国は強大な連合体だ。だが、その歴史は南の帝国や東の大国に比べれば驚くほど浅いよな。一つの国がでかくなったんじゃなくて、小国を一つの理念で何とか繋ぎとめているだけ。点と線で繋いだ、地図上の大国だからな。
 だから、強国に攻め入られればすぐに解体しちまう。それこそ、レイマスの始まりなんてそんなもんだ。だから、山っていう壁を挟んで隣合う東の大国が恐ろしかった。
 だから、ジャクメルが生まれたんだってな。元々山道案内や人夫をやっていた幾つかの民族を無理矢理併合して、強引に王国とした国だそうだ。体の良い砦として。
 それでも一応そこの民族から王様を選んで自治を認めたのは、レイマスの哀れみってやつか? え? 違うのか――? 東西貿易の摩擦を肩代わりするための緩衝材? 
 つまり、あれか? 面と向かって話をするのは怖いから、仲立ち置いたみてぇなもんか? 
 なるほどな。ザールスが避けてた本当の理由はそこか。てっきり俺は、キナ臭い所から目を背けただけかと思ったが……あいつは仲介人なんてやらねぇもんな。道だけ作って、あとは誰かに委託しちまうような野郎だ。元老院直属の運びなんてするわけねぇやな。
 ん……じゃぁ、あいつがジャクメルを狙う理由はなんだ? 
 ほ、ほほぉう……ジャクメルの王さまを丸め込んで、裏で直接、か……って、それはレンス、まずいんじゃねぇか? 確か、東国との貿易は全て元老院が仕切ってるんだろ? 摩擦を防ぐためだとか、色々理由をつけてよぉ。
 おい。そんなに簡単に頷くなよ。……いや、そりゃ、故人の夢に過ぎないがよ……
 …………
 なんか、話が逸れたな。ともかく、俺らはそういう、ザールスの名前がまったく使えねぇ都市に入っちまったわけだ。

 でかい都市、といっていいんだろうな。山麓の森の国だ。切り開かれてる所はすべてジャクメルなんだろうよ。面積自体は、レイマス中枢都市の周辺国と大差ないわな。
 けどよ、建物は山の麓だけに集中していたな。高いところから見た感じじゃ、そこにだけ町があって、他は平原みたいなもんだ。畑なんだろうが、それを耕すための村落があるわけでもなく、中心地のそれとは比べるのも可哀想なぼろ家が散在してたな。
「金の力が作った、貿易の国か……」
 東西の山道に合流して、ジャクメルへと下山してる最中に呟いた、ヒニアルの言葉さ。誰に聞かせるつもりもない言葉なんだろうさ。旦那は先行してたし、俺は暮れていく夕日を眺めながら宿の心配をしてた。
 案の定、都市部に入った頃には太陽は山の陰に隠れちまってたよ。そのせいばかりとは思えないがな、ジャクメルの都市部は静まり返っていた。
 別段、戒厳令が敷かれているわけでもなさそうだったな。出回ってるやつらも何人か見えてたし。ただ、雰囲気が微妙だったな。よそよそしいって言うのか? 何かに怯えているかのように、大人しい町だった。騒がしい路地裏ってのがなかったな。
 しばらくは、宿を探して回ったよ。さすがは貿易の国というだけあって、宿が幾つもあったよ。幾つもあるんだが、どの宿も満室なんだそうだ。苦笑いしながら、どこの宿主もそう言っていたよ。
 四つ目だったかな? 五つ目だったかな? 俺もさすがに限界だったんだが、先に旦那が宿主の胸倉を掴んで叫びあげたよ。ヒゲ面の、ふてぶてしい顔した主人だったが、さすがに旦那の啖呵には怯えたみたいだったな。
「この辺りの宿は、全て予約制なんだよ。事前に共和国から回されてきた伝え手が予約をとって、貿易商の一団は予約をとった宿に泊まる。たまに予約なしの一行にも部屋を貸すが、そういった手合いは大抵昼までに部屋を取るんでな」
 そういうことらしいよ。どこまでも、レイマス中枢都市の元老院どもに作られた都市って事なんだろうさ。それも、その全てが共和国という名の下にまかり通っている。この作られた国の民にとっては、レイマスというのは共和国と同義語なんだろうな。誰と話しても、レイマスの中枢都市という名前を聞くことはなかったよ。
 レイマス大共和国。
 地図の上に書かれた名前に心酔しながら、自分たちの足元を疎かにしてる田舎者の集まりだった。ここら辺も、ザールスが手を出さなかった理由なのかもしれないな。
「なら、そこの酒場ででもいい」
「いやお客さん。そういうわけにもさ」
「何故だ? アレみたいに、どうせ酔い潰れた客は寝かしてくのだろう?」
「ありゃ、この国の奴だからまだしも」
「この国の奴もどの国の奴も関係ないだろうが。そもそも、この宿屋はこの国の奴を泊めることで営業してるとでも言う訳か? 私たちを優先させろ」
「そりゃ……しかしなぁ」
「おい、貴様。このお方をどなたと心得る。レイマスの貿易を牛耳るザールス・カット様のご子息だぞ」
 結局、無下に断られてな。旦那も、その名を出すことの無意味さを理解していたんだろ。悔しそうに奥歯を噛み締めるだけで、暴れ出しはしなかったよ。
 野宿か。いや、野宿でも良かったんだよ。俺は別にな。ろくに眠れない日が続いてたからなぁ。ベッドがあるに越したことはねぇが、それ以上でもそれ以下でもねぇよ。眠い。それだけだったな。
 だが、旦那は違った。心苦しかったんだろうな。だから、サソリの危険もない都市に入ったんだから、暖かい布団でヒニアルを寝かせてやりたかったんだろう。従順な従者である以前に、あいつはまだ保護者なんだよ。
 そんなこんなで旦那が粘っているとな、酒場の方から木製のジョッキが投げつけられたよ。旦那は危なげなく受け止めたが、目の色が若干変わってたな。
「るっせーな!」
 店に入ったときから目には入っていたが、やたらと良いガタイをした野郎だったな。筋骨隆々、って言葉はああいう野郎をさすんだろうさ。旦那の体格も凄いと思ったが、中年の脂が乗った、戦う筋肉だった。
 けどよ、。そいつの筋肉は異常だったな。むき出しの筋肉の上に皮膚が張り付いてるような、ある意味不気味な身体つきだった。それに、馬鹿でかい鉈のような剣を腰に括りつけてやがった。偉丈夫、ってやつだな。
 まぁ、ああいう輩は大抵、ろくに動くこともできないんだけどな。いるだろ? 見せびらかすために筋肉を鍛えてる奴が。脂肪の乗ってない筋肉ってのは、痛みを伝えやすいんだよ。下腹殴られただけで蹲る奴もいたな。
 つまりよ、旦那にとっては体のいい、八つ当たりの材料ってことなんだよ。ずかずか近づいていって難癖つけてやがった。
 ただな、その不適に笑う酔っ払いのコンドルみたいな鋭い眼差しが、俺にはやけに気になってな。

 上には上、とはよく言ったもんだ。
 まともなぶつかり合いで旦那に勝てる野郎なんて、そうそういるとは思ってなかったんだがな。長旅で疲れきっているとはいえ、完敗だったよ。
 俺たちは筋肉野郎と一緒にいた優男に案内されて、路地裏のどん詰まりで力比べすることになったんだ。宿の主人が、勝った方をタダで泊めてくれるって言うんでな。
 ちょっとした諍いだ。互いに得物を預けて、拳で殴りあった。旦那も何発か入れたんだが、完敗だ。痛がる素振りどころか、筋肉野郎はまだどこか余裕を残して遊んでやがったな。そんで、奴の蹴り一発で、旦那の重い肉体が浮かび上がった。頭を蹴られたわけでもないのに、一撃で失神してたよ。
 辺境雄ガリオル・ピジン。
 そんな名前が脳裏にちらついたな。共和国における闘器の基本闘法を確立した、生きた伝説をのことをな。辺境雄を生んだ国だ。化け物みたいな野郎がいるのも頷ける。
 肌が粟立っていたな。
 見せる筋肉を持つ輩は大抵弱い。そういう俺の常識がぶち壊された恐怖もあるが、それ以上に興味が強かった。俺が剣をとって、果たしてあの筋肉野郎を殺せるのかどうか?
 けどよ、筋肉野郎に話しかけた途端、町の見回りかな? 水を差されちまった。捕まるのも面白くないんで、簡単に挨拶だけして、俺は旦那を背負ってヒニアルと逃げ出したよ。
「喧嘩くらいならいいけど、殺し合いは勘弁してよ」
 建物が込み入っている辺りから離れて、山頂から見た森の方へと逃げ出して、ようやく一息ついてからヒニアルがそう言ったよ。
 止められた、って事なんだろうな。旦那が喧嘩をするのを。
 止めなかったのは、宿に泊まりたかったからか、旦那が勝つと思ってなのか。どちらにせよ、俺にはヒニアルの考えがわからなかった。
 そのまま森の入り口で野宿することに決めて、飯も食わずに、俺たちは泥のように眠ったな。

 目が覚めたのは昼頃か? 太陽は高く昇っていたな。
 久しぶりにぐっすり寝たからか、初めは自分がどこにいるのかよくわからなかったよ。なんで森の入り口で寝ているのか。焚き火も焚かずに野宿しているのかも。木の形の違いだけで、帝国付近の森でないことだけは察して、妙に安心していたな。
 目を刺すような日差しに慣れてきた頃、ようやく隣りで眠る旦那を気遣える余裕が出てきたな。昨日気絶したのはダメージというより、ほとんど疲れからきたものなんだろうさ。時折いびきをかいちゃいたが、やすらかに眠っていたよ。
 ヒニアルがいなくてな。心配した、というほどじゃないが、俺も腰をあげて歩き回ったよ。探し回ってるってほどじゃなかったから、大声出して呼ぶこともなく、な。
 いい森だったよ。上を見上げれば、熟してこそいないながらも果物がなっていた。入り口と言っていいほどの、まだ森の浅い所なのにも関わらず小動物の足跡が目に付いた。奥に入ったらどうかは知らんが、木漏れ日も多くて、森林浴には打って付けだな。なーんて、そんな事を考えているとよ、ヒニアルが遠くの方に見えたよ。
 笑えたのが、女といたことだな。ヒニアルと同年代ぐらいの、褐色の肌をした少女だったな。大きな目と薄い唇は笑えば愛らしいんだろうが、神妙に引き結ばれてたな。ガキンチョの別れ話ってタイトルが似合いそうな構図ではあったけど、それも可笑しな話だ。一夜でそこまで盛り上がれたんなら、ヒニアルも中々のものだがな。
 まだ話は続きそうだったからな。気配を消せば、気付かれずに会話が聞き取れる距離までいけたんだろうが、やめといた。
 煙草に火をつけて、煙を吐いて――苦笑しながら首を振ってたよ。
 ヒニアルの考えは、俺にはどうにもわからんかった。たぶんまぁ、女を買ったとかそういうんじゃないんだろうが、だとしたら何が目的なのかさっぱりだ。前日、旦那の喧嘩を止めなかったのだってそうだ。武器なんて使わなくても、旦那を軽くあしらうような野郎だ。素手で人を殺す技だって充分に知ってるだろうさ。いや、旦那だってそういうことができる男だ。無傷で終わる保障なんてありゃしなかった。
 四角錘でもそうだ。四角錘が落石装置だと見抜くまでは認めるが、それが完全な形で起動するかどうか、あの時には誰も知りえなかったはずだ。なのに、旦那をサソリの群れの中に走らせた。その上で、旦那は必ず生き残ると確信して、四角錘の崩落に巻き込まれないよう、大きな岩の下に行くように指示した。
 ほとんど、根拠がないんだ。ヒニアルの行動には。
 それでも、万事上手くいっている。
 今、話しているあの女も、そういうものなのかもしれない。
 なら、俺が話を聞いても、わかることじゃないからな。俺はただ、あいつが言った通りに動くだけさ。その方が、座りがいいからな。
 煙草一本分で、二人の話は終わったみたいだったな。別れの挨拶のあとは、女の子はジャクメルの方へと足を向けて、ヒニアルは背を向けるように森の奥を眺めてたな。
「誰なんだ? 今の娘は」
 後ろから話しかけたんだが、特に驚いた風でもなかったな。気付いてたとは思えねぇが。
「ん〜……シャナって言ってたよ」
「名前じゃなくてよ」
「あ、うん。南の帝国の人だって。もう、ここまで北上してるんだね」
 ヒニアルはどこまでも何でもないように言ったが、俺はさすがに驚きを隠せなかったな。ジャクメルは南の境界辺りに位置する国だがよ、それでも共和国圏の内側だ。つまり南の帝国はすでに、共和国圏に入り込んでいるってことで……
「だからって、敵とは限らないよ」
 俺の考えを先読みしたみたいによ、俺を見詰めて否定しやがった。
 たぶん、俺は反論したんだろうさ。そんな俺を宥めるように言った、ガキのくせに、ガキの言葉遣いのくせに、妙に達観したヒニアルの言葉を覚えてるな。
「戦ったからといって、敵とは限らないだろう。テニスと、クアーだってそうだろ?
 僕は、シャナや、帝国の人たちがどうしても敵とは思えないよ。彼女は、教えに来てくれたんだ。私たちの部隊が、ジャクメルを襲うって。だから、早く逃げてって」
「しっかり敵対してるじゃねぇか」
「なら、教えてくれたりするかな? 何かの策だとするなら、僕みたいな子供に話しかけたりしないし、第一、彼女のような子供じゃ説得力にかける。
 ――止むに止まれぬ事情、とかいうやつなんじゃない? 大移動してきた帝国の人間が共和国圏の内部に入っている。間違いなく、戦争が起きてるんだろうさ。けど、僕は彼女を敵だとは思えない。
 何か、巨大なものに怯えているようにしか、僕には見えないんだ」
 真っ直ぐとした目で、俺を見詰めていやがったな。何かを知ったのかもしれねぇ。シャナとかいったか? ヒニアルが話していたあの女の子がどれだけの情報を持っていたのかはわからないが、こちらが帝国の首都を見てきたことを言えば――そうだな。共和国の正規の諜報員に成りすませば、あの女の子が持つ情報くらいは手に入ったかもしれないな。
 ヒニアルがただのガキなのか、全てわかった上で俺に何も語らないのかはわからねぇーよ。聞き出すほど弁も立たねぇし、聞き出す意味もねぇ。
 だから、何もわからないまま、俺は会話を続けたよ。
 ただ一つの、あのクソガキに対する疑念の答えが欲しかった。
「敵に思えないってもよ、どうするんだ? 仲良く手を取り合って、その、巨大な何かに立ち向かうっていううのか? 英雄譚みたいだな」
「はは。それも面白いけど、僕には共和国と帝国を握手させる力なんてないよ。やれるとしたら、武器を持たないで、両者の言い分を互いに伝えるくらいかな」
「そんな風に安心してて、後ろからグサってことになるかもしれんぞ」
 そう言ってやったんだがな、さわやかに笑われたよ。「クアーが心配するから、そろそろ帰ろうか」とかいって、歩き出しちまったな。
「おい。なんで、そんな風に人を信じちまうんだ」
 慌てて追いかけるようにして聞いたんだ。肝心なことを。
 ヒニアルは振り返って、簡単に言ってのけたよ。
「僕には何もできないからね。だから、誰か、を信じることにするよ。
 テニスが教えようとしてくれたのは、そういうことなんでしょ?」