■ disorder3 共和国の貿易商 二人目 テニス・クォーラー ■

早稲 実

 

   4

 もう一服、いいか? それと、喉がいがらっぽくなるからよ、茶を頼む。蜂蜜をたっぷりとな。
 あん? 部屋が黄ばむぅ? んなもん、内壁のモルタルを剥がして張り替えちまえよ。弟が議員なんだ。そのくらいの贅沢しろよ。わかったな? 吸うぞ。
 ぷはぁー。
 さて、続けるか。
 いや、正直。何が起こってるかさっぱりわからんかったな。
 どのくらいからかな。ヒニアルが旦那の肩越しに四角錘を睨みつけてたのは。背負われながら、ずっと眺めてやがるんだよ。意識がこう、す〜と抜けて行っちまったみてぇに、熱心に四角錘を見詰めてやがるんだ。
 斜面が厳しくなってきて、旦那がヒニアルを降ろしたらな、奴は何を言われるでもなく登り始めたよ。俺たちに何を言うでもなく、こちらからの呼びかけにも答えないままな。
 いったい何がどうなってんのか。それでも喜ばしいことには違いないしな。駆け通しだった俺たちと、元気なヒニアルが山を登るペースはさして変わらなかったよ。足を止めることなく、俺たちは登山を始めたわけさ。
 日が傾き始める頃には、俺たちはすでに山の四合目くらいまでは登ってたし、四角錘があるのは六合目くらい。充分に逃げ切れると思ったさ。ただ、麓を振り返ると寒気が走ったよ。
 追ってきてるのは知ってさ。だがな、あそこまで多いとはな。サソリたちの群れが、麓を覆い尽くしてやがる。それに、木々に邪魔されなくなったからか、奴らの足が案外速いことを見せ付けられてな。じきに追いつかれる。寒くなくても震えるよ。
 だってぇのによ、ヒニアルだけは振り返らねぇんだ。仰ぎ見るところにある四角錘を熱心に見詰めて、黙々と足を動かすだけなんだよ。
 何が起こってるのか、さっぱりわからんかったよ。

 四角錘にたどり着いたときには、すでに先行してるサソリに追い着かれてたな。
 そいつらとぶつかるまえに、近くにある岩とかを転がして誤魔化してたよ。斜面は苦手らしいな。足を一本すくえば簡単に倒れた。一匹が倒れたらそのまま転がっていって、下のほうで群がるサソリどもが勝手に巻き込まれていく。山の斜面一面に広がってた黒い殻の海が、少しの間だけ割れて、土の色を見せたよ。
 すぐに、サソリの群れに飲み込まれていったがな。
「おまえは中に入ってろ。俺は旦那を拾ってくる」
 狭い四角錘の入り口にヒニアルを押し込んで、俺は踵を返した。岩を落としまくってた旦那が、途中でへばってたのを見てたからな。俺は近くの岩を片っ端から落として、うつ伏せで寝てる旦那の下へ急いだよ。囲まれそうになってやがった。
「はぁ、はぁ――旦那、寝るな!」
 空気の薄さは深刻だったよ。大した運動じゃねぇのに、もう息が上がってる。叫びはしたが、自分で思ってるほど声は出てなかったんだろうな。
 それでも旦那には届いてくれたみたいだった。寝返りを打つみたいな緩慢な動きで仰向けになり、辛うじて目を開けたらしい。その目に、足元から近づいてくるサソリが見えただろうに、身体を起こすことはできないようだった。
 サソリは尻尾を振り上げたが、旦那はすでに逃げることもできなかった。俺は、急斜面を駆け下りるんじゃなく、跳んだよ。サソリが振り下ろす尻尾と交錯したんだが、当たらなかったのはただの運だろうな。気付けばサソリの目を刺し貫いていた。
 力なく崩れたサソリをそのまま蹴り落とし、群れをまた二つに割った。旦那を囲もうとしていたサソリどもは大体、岩を落として始末した。最後に残った今の一匹も、他のサソリと同じように、黒い殻の海に転がした。巻き込まれてずいぶんと殺したと思うんだがな。どこから現れてんのか。割れた海はすぐさまなだらかになって、蠢きながら傾斜を登ってくるんだよ。
 そんな様子をいつまでも見てても仕方ないからな。気が滅入る。それより俺は、旦那の胸倉を掴んだ。むしゃくしゃする。
「諦めるつもりか? 旦那」
 馬鹿みてぇに重かったよ。丈がないにせよ、筋骨隆々のオヤジだ。それに、旦那が握る柄斧と、着ている鎖帷子がな。こんなものを着込んで、山麓ではヒニアルまで背負って、旦那は駆け続けた。そりゃ、おかしくもなるわな。
 目が、焦点を結んでなかった。
 頬を張ってやったよ。
「旦那! しっかりしろよ、旦那。あんたが、あのクソガキを守るんだろ。俺一人なら、あんなクソガキは殺しちまうぞ? あんたがいて、初めてバランスが取れるんだろ?」
 今さら、ヒニアルを殺すって言っても、ただの冗談なんだろうがよ。俺は縋るように、胸倉を掴んで旦那を揺さぶったな。
 いや、正直、旦那が正気を取り戻すくらいでなんとかなる状況じゃなかったんだろうよ。四角錘は堅牢そうに見えたが、時間をかければサソリどもは穴を開けることもできるだろうさ。立て篭もるにせよ、飢えと渇きの訪れは目に見えてる。
 絶望的ってやつさ。
 だけどよ、だからといってよ、旦那の腑抜けた姿なんて見たくもなかったな。旦那を落胆させられるのはヒニアルだけで充分だ。あんなパワフルなオヤジの絶望なんて、見たくなかった。
「しっかりしてよ、クアー。諦めたって、どうにもならないだろ」
 一瞬だけ、自分の耳を疑ったよ。その声が精悍で、なのにヒニアルの声だったからな。
 目に光を戻した旦那と一緒に振り返れば、四角錘の入り口に立つヒニアルがこっちを見下ろしていたよ。薄暗い月明かりの中でも、その姿だけははっきりと覚えているよ。何がどう変わったってわけじゃねぇんだ。目の大きい、ガキの顔立ちだよ。だがな、射抜くように旦那を見下ろしている。
「時間を稼いで欲しいんだ、クアー。あそこの、大きな岩の所まで走り抜けて、戦ってほしい」
 ヒニアルが指した岩ってのは、かなり下の方だったな。サソリどもの群れに、すっかり飲み込まれている。反射的に叫んでいたね。
「なにを言ってやがんだよ、ヒニアル。死んで来いってのかよ」
 なのにあのクソガキ、完全に俺を無視して話を進めやがった。
「テニスじゃ無理なんだ。テニスじゃ、目を狙った一撃しか効果がない。サソリに正面から対抗できるのは、クアーしかいないんだ。お願いだ。頼むよ」
 あん時の旦那にそんなことができるもんかよ。柄斧も、持つというより、身体を支えるために地面に突き刺してやがる。力が入らないだろうことは目に見えていた。そんな旦那に囮になれって……
「あの野郎」
 初めて、ヒニアルをガキ以外として、反発を覚えたよ。馬鹿やガキの戯言なら、俺って結構冷静でいられるんだけどな。久しぶりに昔を思い出して、熱くなったよ。有体に言うなら、怒りを覚えた、ってやつさ。
 踏み出した俺を止めたのは、旦那だったな。
「もう一度、頬を張ってくれんか。手加減なしで」
「はぁ? 何を言ってやがんだよ」
「急げ、サソリどもがすぐ近くまで迫っておる」
「なんだかわからんが、恨むなよ」
 手加減なしで、とは言われたが、本気で殴っちまったよ。旦那に八つ当たりしても仕方ないのにな。さすがに身体を浮かすことなんてできなかったが、首が捻じ曲がってたよ。そのまま気絶してもおかしくない殴り方しちまった。張ってくれ、って頼まれたのに、思わず握り拳でな。
 旦那はさすがに頑丈だったな。だが、気絶こそしなかったが、遠い目をしてヒニアルの野郎を見上げていた。
「坊ちゃん。ワシからも、一つだけお願いがございます」
「なんだい?」
「行け、と。ただそれだけ、命令してください」
「わかったよ……行け、クアー」
 間は、少しあったがな。ヒニアルの口調に迷いはなかった。異常なくらい冷淡に言い放っていたよ。自分が何を言っているのかわかってるのか? そう疑ったよ。
 だがな、旦那の表情が和らいだんだよ。いや、厳しいんだがな。それ以前に、素で山賊と間違われるような顔付きだ。まして決死の面持ちなんだから当然厳しいんだが、どこか綻んでるように見えたな。
 そーだな。強いていうなら、雰囲気が、かな?
 ともかく、良くわからんかったが、旦那の隣りに立って俺も構えなおしたよ。
「俺も行くぞ」
 そしたら、高いところからヒニアルの野郎の声が届くのよ。
「ダメだ。テニスはこっちで手伝って」
「ふざけんな! そんなにてめぇだけが生き残りてぇかよ」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ、テニス」
「なにがだ、クソガキ。てめぇって奴は――」
 肩を捕まれて振り返ると、次の瞬間には、俺は吹っ飛ばされてた。殴られたことには、地面に頭をぶつけてから知ったよ。
「ヒニアル様を、クソガキ呼ばわりするな」
 何がどうなってるのか。わかんねぇよ。
 何をどう考えてるのか。わかんなかった。
 あんなに理不尽を覚えたのは、久しぶりだったよ。まったく。あいつらの言ってることは理解不能だ。殺したくねぇ、とすら思えた奴らだったからこそ、なおさらムカついたな。
 もう、殺すか?
 なんか、そんな言葉が思い浮かんだのも、久しぶりだったな。
 え? なんで今でも仲がいいかって? そりゃ、ま、これからおいおい話すけどよ――つーか、あいつらとは別に仲良しなんかじゃねぇぞ。覚えとけ。
 あー、また、なんか腰を折られた! いいかげん、気持ちよく話してるタイミングで茶々いれんなよ。……どこまで話したっけ? ああ、なんで殺さなかったか、か?
 起き上がって旦那を見たとき。いや、睨み据えたとき、の方が適切だな。なんせ殺そうとしてたんだから。
 旦那は、笑ってたんだよ。清々しい笑顔だった。
 そして俺は、勝てねぇと思っちまったんだ。
 死ぬことを覚悟した旦那は、やっぱ違うわ。初見の予想通りだ。旦那のそんな綻んだ顔からどんな斬撃かくるのか。想像もできないのに、肌が粟立つんだよ。
 思ったときには、カっとなっていた自分が恥ずかしくてな。目を逸らしてた。
 謝るのも変な話だろ? まだ、刃を向けたわけでもねぇんだから。それどころか、俺の殴られ損だ。この借りくらいは返させてもらわんとな。すれ違いざまに二言だけ「借り一つだ。死ぬなよ」ってな。あとは旦那を信じることにしたよ。
 何がどうなってんのかもわからねぇ、絶望的状況だ。
 何をどうすればいいかなんてわかりゃしねぇ。
 だから俺は、旦那が信じたヒニアルを信じて、とりあえず四角錘へ行ったよ。

「そことそこの、黄色く塗られた石を外して」
 言われるがまま、何が行われてるのかもわからないまま、俺はヒニアルの指す物を石の壁から外していったよ。示された石はどれも、拳一つ分くらいの小さな石だったからな、さして時間もかけずに外していった。抜いても、石の壁が崩れることはなかったよ。
 いったい何をしてるんだか? そう悪態を吐きながら、俺は走り回ってたよ。
 ヒニアルが台座に座っていたのが気に入らないんだろうな。四角錘の中、旦那には聞いたか? 簡単に説明するとな、ちょっとした集会場だ。その中央に人の丈くらいの台があって、一つだけ、石造りの豪奢な椅子がある。台座の裏に大人が三人がかりでようやく囲めるような大きな柱があるから、より威圧的だったな。大黒柱かなんかか?
 ともかく、ヒニアルはよ、俺が四角錘の内部に入ったときにはそこに座ってやがるんだよ。そんで、指であちこちに指示を出すんだ。俺はその指示に従って走り回ってたわけだ。
 最初に理由は訊ねてみたんだがな。
「いいから早く。クアーの命がかかってるんだから」
 わけわからん。
 見放したのは自分だろうが、ってな。ぶちぶち悪態を吐いてたよ。それでも指示通りに動いていたのは、旦那の名を出されたからかな? それとも、ヒニアルを見定めようとしてたのか? 正直、自分の心の中の動きすらよく見えんかったよ。
 あん? ドィクタトル様の害になるから? んにゃ、それじゃなくてな。単純に、俺が殺したいのか殺したくないのか、だな。
 正直、許せなかったんだよ。義憤っていうのか? そんな大袈裟なものじゃないかもしれんが、怒ってたな。旦那は、おまえをいつも見ていてくれた男だろう? ザールス以上に見守ってくれた男だろう? そんな奴を、トカゲの尻尾として切り離すヒニアルが許せなかった。たぶん、殺したかった。
 ただ、それでも旦那が信じた小僧だ。この状況を脱するための犠牲だというなら、旦那が、何かを成すためにする犠牲だというなら、生かしてやろうと思ったよ。
 理由? 聞いてどうするんだよ。まぁ、いいけどよ。
 旦那はザールスに救われた命だ。どんなに強力な山賊だったつっても、強大になればどこかの軍隊に滅ぼされる。その前に仲間を食っていかせるために、ザールスの下についたんだろうさ。詳しくはしらんが、その仲間たちの扱いが良かったんだろうな。だから旦那は、馬鹿みたいにザールスに仕えていた。持ち前の馬鹿力を発揮する機会もなく、家政婦みたいに毎日子守りさせられるような生活に甘んじていたんだろうさ。
 そんな旦那を犠牲にしてまで生き延びたんだ。なら、ヒニアルがどう生きるかを見てみたい。ザールスが作り上げたコネをどうするつもりなのか。ザールス・カットから受け継いだ血で、どう生きるのか。
 殺すのは、それからで充分だろうって、そう思ったのさ。
「よし。それで全部だよ。こっちに来て、テニス」
 十数個の黄色い石を取り除いたところで、台座に座るヒニアルから声がかかった。言われた通り俺は、ヒニアルの元まで駆け戻ったよ。
「あとは、これだけだ」
 ヒニアルは台座の後ろにあるでかい柱に取り付いて、何かしていたよ。近づいてみると、旦那に渡され短剣で、一箇所を掘り返していた。
 その手元に俺は、剣を突きたててやったよ。
「あ、ありがとう」
 驚くどころか、俺に感謝しやがる。むしろ、その柱から剥がれたモルタルの中身をみた俺が、驚かされた。ヒニアルは、知っていたみたいだったがな。
 つまりな、その柱も石を積んで作った物だったんだよ。さすがに溶かしたセメントで接着していたようだが、モルタルで覆っていた表面を剥がせば、その辺の壁と同じ、石垣みたいに、石を積んだ柱だった。
 ヒニアルは顎に手を当てて、しばらく悩んでいるみたいだった。モルタルの剥がれたその石積みの柱を睨みつけて、しきりに頭を捻ってやがった。
「いったいなんなんだよ。訳を言え」
 そういって肩に手をかけると、その手を叩かれちまった。
「ゴメン。少し黙ってて」
 唖然としたな。
 呆気にとられたよ。胸の中がもやもやしたな。そのもやもやした物が一つの形となって見えたときには、もう殺すか? っていう言葉しか頭に浮かばなかった。
 俺は剣を逆手に持って、ゆっくりと引き上げたんだがな。
「ここ! ここだよ。テニス。早くここの赤い所を壊して!」
 笑顔の意味がわからなかったよ。振り返ったと思ったら、ヒニアルは妙に嬉しそうに一点を指して言うんだ。なんなんだかさっぱりだったよ。
 だがまぁ、殺すのは一先ず後回しだ。壊せ、っていうのがどういうことかわからんかったが、石を砕けって事じゃないだろうさ。接着してるセメントを剥がせばいいんだろうな。
 石と石の隙間に俺は剣を突き刺して、セメントを貫いたよ。
「抜いて」
 言われるがままに剣を抜いたが、何が起こるわけじゃなかったがな。
「おい。どういうことだよ、ヒニアル。こんなんで何がどうなるわけじゃ――」
 音が、したんだよ。パラパラ、ってな。砂を零すような音だった。幻聴かと思って耳を疑ったが、意識するだけで不思議と、耳はさっきよりもはっきりと音を拾った。
「揺れてねぇか?」
 柱がな、揺れてるんだよ。剣を突き刺しても微動だにしなかったってのに。その揺れによって、表面のモルタルが剥がれてく音だったみたいだな。
 俺はヒニアルを掴んで、椅子のあるその中央の台から飛び降りた。着地したときにはすでに、崩落が始まっていたよ。

 自分の目を疑ったよ。遠くからでも見上げるほど大きかった四角錘が、見事になくなっちまったんだからな。
 本当に、わずかな時間のできごとだったよ。石を積んで作られた、巨大な建築物が一息に壊れたんだ。それも、中にいた俺やヒニアルにはまったくと言っていいほど被害はない。巨大な天窓を象っていた丸太が落ちてきたくらいで、石は内側に崩れてこなかった。
 全て、外に崩れていったんだよ。
「この建物は、確かに神殿的な意味合いがあったんだと思うよ。だけど、それ以上に兵器として作られた物だったんだ」
 落石。高低差のある戦闘なら、原始的だけどそれは効果的な戦法だよな。それを、大掛かりに準備していた建物だった。つーことなんだろうさ。
 壁であった所まで歩いていくと、斜面がうかがえたよ。あたり一面、抉られたような地面が広がっていたな。山間の潅木も、山麓の木々も、みんな薙ぎ倒されていた。山を埋め尽くしてたサソリたちだって、すでに四角錘の残骸と一体化して姿が見えねぇ。
「人の力なんてささやかなものだよね。もはや戦の基本となってる闘器や、大国が躍起になって捜し求める遺跡。そういった物に比べると、ホントに非力に思えるよ。
 けどさ。みんなが一つのことのために築き上げた力って、結構大したものだと思わない? 使い方さえ間違わなければ、みんなが幸せになれるものなんだと思うよ。絶対に」
 ぽつぽつと、ヒニアルは語っていたよ。なんで悲しい顔をしているのかは、なんとなく見当がついたな。なんせ、四角錘が山に残した爪跡は、帝国の首都そっくりだったからな。
「あの建物は、タイ・ヤウント族の偉い誰かが信仰を利用して作った、一種の落石装置だったんだよ。たぶん、石の外し方によっては、内側に崩壊させることもできる危険なものさ。登ってくる他の部族を警戒して作ったんだろうね。
 精密な物だろうからね、サソリを近づけさせるわけにはいかなかったんだよ。サソリの力は強かったから。装置が誤作動を起こせば僕らがああなった」
 ヒニアルが顎で示す先は、抉れた地面だったよ。その下の方で――山麓で、形のない黒い塊が溜まっている。土石流の残骸だったな。
「でもよ、ヒニアル」
「?」
「そういうことは、旦那に言ってやってくれよ。せめて、納得させてやりてぇからよ」
 明日まで待つ必要はないだろうさ。俺は、そのまま駆け下りて、旦那の死体を捜そうと思ったよ。死体と言えるほど、まとまった形をしてるとは思えなかったがな。それでも探して出してやりたかったよ。元気な――ふてぶてしいまでに元気な、ヒニアルの姿を旦那にも見せてやりたかった。
「そりゃ、説明くらいはするよ」
 走り出そうとした、そん時だったな。振り返ると、ヒニアルは笑ってやがった。
「なに笑ってやがんだよ!」
「え、いや、そりゃ、助かってよかったじゃない。あの状況でみんな助かったんだから」
 何を言ってやがるんだ? 旦那を殺したのはおまえじゃねぇか! そんな激情もあったんだけどよ。ヒニアルが俺から視線を外して、陽気に手を振り出すじゃねぇか。
 目を向けるとよ、斜面の途中にある大きな岩の下あたりから、柄斧を担いだ旦那が手を振ってやがったな。