■ disorder3 共和国の貿易商 二人目 テニス・クォーラー ■

早稲 実

 

   3

 なぁ、煙草吸っていいか? 
 けち臭いこと言うなよ。この辺の話は結構辛いんだぞ。なんつーか、こう、こっ恥ずかしいじゃねぇか。
 あ? 別に、俺の悩みなんかどうでもいいから報告を続けろって? いやいや。おまえなぁ……ここまで話聞いててわかんねぇか? 初めに言ってあった通り、ドィクタトル様が欲しいのは情報じゃねぇ。そりゃ、まったく欲しくないわけでもないだろうがな。
 だがよ、問題はヒニアルなんだ。レイマスの一割男と言われるザールス・カットの一つ種、ヒニアル・カットなんだよ。あのガキにザールスの遺産を相続させるのが得策なのか、それとも損なのか。
 南の帝国まで少人数で旅し、正確な情報を手に入れてきた大商人の息子。となれば、ヒニアルはそこら辺にうろつくクソガキとは一線を画す、巨大な力なんだよ。
 そして俺は旅の最中、ヒニアルがただの力で収まる器じゃねぇことも見せ付けられた。
 害を成す者。そうなりうる資質を、な。
 実際、害かどうかすらわからねぇが、使われる側でおさまらねぇモノを持ってやがるのは確かだ。
 ぅん? ああ。そうさ、確かにガキだよ。この旅でずいぶんと成長したようにも見えるが、本当のところは俺にもわかりゃしねぇ。
 だから、おまえに判断させるんだよ。だから、全部聞け。わかったな? 煙草も吸うぞ。

 あ? おまえ、葉巻煙草知らねぇの? ……まぁ、そりゃ知ってるわな。
 いい、いいって。煙草盆なんて持ってこなくて。そりゃよ、確かにあっちの方がウメェけど、葉巻の方が便利でいいさな。旅に煙草盆なんて持ってけねぇからな。葉巻なら、火種さえあればすぐに吸える。もらい物とはいえライターもあるし、便利がいいさな。
 一つだけ欠点といえばよ、かさばるんだよな。煙管に比べて。一度にあんまり大量に買えねぇもんだからよ、山を通って南の帝国まで行くことには俺、かなり反対したんだぜ。結局まぁ、俺に割り当てられたカモシカみてぇなのに葉巻煙草ばかり積むことで我慢したがな。ただ、四角錘に荷物を置いてくって話になったときは焦ったな。山を降りてからは、残りを気にしながら吸ってたよ。
 カチャ、シュ、ボ、す〜〜、は〜〜……
 ただ、あん時は違ったな。どうでも良くなった。ヒニアルに当り散らして、追いかけてきた旦那を追い払ったあとだよ。
 煙草を入れてる缶を開けたが、残りの本数なんて気にせず、俺は適当に火をつけた。煙草つけるためにライターってのも贅沢な話だが、まぁ、燃料は後で旦那からわけてもらえばいいさ。生木の焚き火で使い過ぎたのは俺のせいじゃないし、必要経費ってやつだ。
 ぷはぁ〜〜。
 何かを口にしてる時ってのは、幸せだよな。ウメェかマジィかだけしか考えないでいられるから。まぁ、それが本当に幸せなのかどうかは知らねぇがよ、やすらげた。
 何をするわけでもなく、ただ歩いてたよ。色々、考えるべきだったのかもしれん。考えなきゃならんことは山ほどあった。ヒニアルをどうするか。旦那をどう捉えるか。旅の中での自分の役割。旅を終えてからの自分の役割。なぜ苛ついたのか。どう、苛つきを押さえ込むか。自分には、何ができるのか。
 必要性があるような、ないような。そんな疑問は頭に浮かんできてたがな。
「マジィ」
 とか呟きながら、俺は煙を吐いてたよ。
 一本目の煙草が尽きそうになってたから、その火種が生きてるうちに次の煙草を咥えた。燃料がもったいねぇからな。そんで、また歩き出したよ。視界があっさりと開けたな。
 例の、掘り返された都市だ。そこにも当然、俺みたいに悩んで、悩んでいることを誤魔化しながら煙草を吹かす野郎がいたんだろうな。そして、答えも出せないまま、この破壊に巻き込まれて死んじまったんだろうさ。
 サソリがいたよ。
 いや、屍骸だがな。旦那が砕いたやついだ。
 まだ半分くらいしか吸ってなかったんだがな。
 俺は煙草を吐き捨てて、剣を抜いた。
 さんざん、突き刺したな。いろんな角度、場所、力の入れ方。思いつく限り試してみたよ。間接の隙間に刃を入れると、体重をかければすんなり入って嬉しかったな。皮袋くらいの抵抗を感じたが、すんなり入っていくんだ。あと、目。胴体の先端でぎょろぎょろ動くあの目は、意外と脆かった。飛びつくくらいのつもりで刺し込めば、剣が根元まで入っていったな。目玉を抉り出して観察してみたが、目蓋はないようだし、弱点の一つといってもいいだろうさ。尻尾も、同じくらい脆かった。
 気が付くと、日は昇っていたよ。徹夜してた。
 久しぶりに長く起きてたもんだよ。人のバラし方を勉強してる頃みたいな充実感だったな。夢中で、息も荒いのに、疲れてねぇんだ。
 なんで、だったんだろうな。
 そのあと、旦那たちを追いかけるために走ることが、妙に嬉しかったんだよ。

 こっ恥ずかしいじゃねぇか。家出したガキが返るみたいで。
 だからまぁ、俺が帰れるだけの切欠が転がり込んでくることを期待していたのは確かだろうさ。けどなぁ、まさか、あそこまで絶望的な状況になることもないだろうに。
 俺が未だに野営地から動いてねぇ旦那たちに追いついたのは、すでに昼頃だろうな。朝日というにはもう、ずいぶんと高いところまで日が昇っていたからな。なのによ、旦那はぐっすり寝扱けていた。
 そうさな、確かに疲れは頂点に達してるだろうさ。特に旦那は俺と違って、常に辺りに気を配りながら、ヒニアルの負担を少しでも軽くしようと心を砕いてやがった。そんなストレスが爆発した後なんだから、快眠しちまうのもわからんでもない。
 できることなら、寝かしてやりたかったよ。ヒニアルもまぁ、俺が言ったことを気にしてるのか、膝抱えて動こうともしてなかったからな。本当なら、急かしたくはなかった。
 つっても、状況が状況だったからな。
 森が深くて、目で見える危険なんてありゃしなかった。がな、それでも生木を折るような、あの断続的な音はな。耳に残ってて忘れようもないさ。
 まだ小さいが、次第に大きくなっていった。近づいてきていることは間違いない。しかも、一方向だけじゃなかったな。野営地を囲むように、ほとんど全方向から聞こえていたよ。森の泣き声みたいだったな。
 俺は近くの小枝を切り落として、旦那に投げつけて叩き起こした。目を覚ました旦那はしばらく小枝を眺めていたが、寝ぼけが取れたんだろ。辺りに視線を配りだした。森の異常さには気付いたらしいな。ヒニアルの腕をとって小走りを始めたよ。
 ヒニアルの野郎はまるで気力がなくて、人形みたいにダレてたがな。
 それでもまぁ、樹海の中だ。サソリの幅広なあの身体じゃ、どうしても樹木を薙ぎ倒さなきゃ前には進めんさ。このままでも充分に逃げ切れそうだったな。不思議と、行く手からサソリが来る気配もなかったことだし。
 しばらくはゆっくりと旦那たちの後を追ったよ。当然、身を隠しながらな。距離は充分。それどころか、少しずつサソリたちを引き離してるようですらあったな。
 途中、強烈な雨が降った。前日に聞いた話だと、ヒニアルはそういう雨をスコールって言ってたな。空から水の礫を投げつけられてるみてぇな雨だったよ。
 そして、樹海の中で森が開けた。
 サソリどもが周到だったのさ。包囲網の一方を開けることで都合の良い方向に逃がして、そこで迎え撃つ。単純な罠さ。旦那も気付いてただろうが、その罠に乗って突破するしか逃げ道が思いつかなかったんだろうな。なんせ、用意された逃げ道がちょうど、四角錘がある山道に繋がっている。旅の装備もなしに知識もない土地から引き上げるのはやっぱり、どう考えても無謀さ。
 ともかくも、その、サソリどもが張った罠だ。単純なものだったよ。自由に動ける程度にあらかじめ樹木を伐採して、あとはひたすら待っていたらしい。三匹も待っていやがった。旦那一人の手に負えるかどうか。
 旦那は無気力なヒニアルを森の中に残し、一人で柄斧を構えて、森の空洞ともいえるその広場に乗り込んでいったよ。そりゃまぁ、ヒニアルを庇いながら戦える相手じゃないのはわかるけどよ。残して行くっていうのは、腑に落ちなかったね。
 一匹目を屠ったのは、見事だったよ。旦那には怯えってもんがないのかね? 前日に首都でサソリを殺したあの攻撃で、一匹目を砕いた。ただ、そこからは劣勢だったな。柄斧ってのは重い上に長いからな。初動が遅いのはもっともだが、それ以上に慣性を殺すのが一仕事よ。横手から突っ込んできたサソリの攻撃を避けるために、旦那は柄斧から手を離しちまった。旦那は腰の短剣を抜いたようだが……旦那に幾ら腕力があるっつってもあれじゃ、どうにもならねぇ。
 そうこうしている間に、旦那に無視されてたサソリがヒニアルに向かって走ってきやがる。だってぇのに、ヒニアルは立ち上がろうとすらしねぇ。
 旦那は旦那で、短剣でじゃれていたサソリの尻尾を切り落としたみたいだったがな。あそこからヒニアルを助けることはできないだろうさ。仕方なく、俺はヒニアルを庇うようにして、サソリの前に立ちはだかった。
「弱点は尻尾だ、テニス!」
 旦那は確かに、俺の名を叫んでいたな。バレバレだったってことだよ。結局。
 けどまぁ、そんなことはどうでもいいさ。俺はもう、両腕を広げて尻尾を振りかざすサソリを睨みつけて、その間合いに自分から踏み込んでいった。
 速度で旦那に劣るサソリだ。俺に勝てるわけもないだろう?
 俺の剣は深々と、正面のサソリの目玉に潜り込んでたよ。ピタリと動きを止めたサソリは、そのまま膝を崩して地面にへたり込んでたな。
「あと、目も弱点だったよ、旦那」
 そのことを教えてやったんだがな、旦那は柄斧を引き抜いて、俺の助言なんか無視してサソリの殻を砕いてやがった。まったく、馬鹿げたオッサンだよ。
 ん? 本当に仕方なく庇ったのかって? 野暮ったいこと言うなよ。

 サソリどもと戦った広場を出る時には、旦那はヒニアルを背負っていたよ。
 俺が戻ったくらいじゃ、ヒニアルの活力を取り戻すことはできないらしいな。むしろ悪い方に働いたかもしれん。旦那の背中で小さくなっているヒニアルは、俺に目を合わせないよう、反対側に顔を逸らしていたよ。声をかける時じゃないだろうさ。
 俺は旦那から折り畳んだ柄斧を渡され、剣をしまってそいつを持って走ることになったよ。ヒニアルを担ぐよりはマシだろうが、それでも投げ捨てちまいたかったね。しばらく走ってるうちに、腕がしびれてきたよ。
「木がある内に距離を稼ぐぞ」
 旦那の言葉に頷いて、俺は走り出した。森が開けてくるまで。そうだな。山を見上げても葉っぱに邪魔されないくらい木がなくなるくらいまでは、無言で走ってたな。
「なんで、戻ってきた?」
 旦那の方から突然、口を開いたよ。目的地の四角錘が見えて、少しは安心したのかもしれないな。生まれついての怖い顔は相変わらずだったが。
「? 知ってたから、ヒニアルを一人にして戦ったんじゃねぇーのかよ」
「目覚めてからだ。腹に落ちてきた梢は、明らかに斬られた断面をしてたからな」
 正直、どんな答えを望んでるのか、見当もつかなかったよ。素直に心配だったなんて言った方が良かったのか? 言うと思ってるのか?
「何でだろうな。一人よりも三人の方が逃げ安いと思ったのかもな。失敗だったが」
 旦那は口元を綻ばせはしたが、どうやっても怖い顔であることには変わりなかったがな。それよりも、ヒニアルが心配だったよ。マジで無気力さんかよ、ってな。サソリたちからかなり離れることはできたが、それもこれも、奴らがまだ森の中を走ってるからだ。
 サソリたちがどのくらいの傾斜に対応できるのかは知らんけど、旦那もヒニアルを背負ったまま山登りはできんだろう。ヒニアルが旦那から離れて、一人で山道を登ってくれなくちゃ、逃げ切れるものも逃げ切れない。
 言い過ぎたのかもしれない。
「俺が戻れば、元気になるのかと思ったんだがな」
 そんな思いから呟いた言葉によ、旦那の方が反応しやがったよ。
「自信家だな。坊ちゃんは貴様が消えたことぐらいでは、ここまで落ち込まんよ。貴様が思っているよりも、貴様がつけた傷が大きかったということだ」
 しかもよ、俺に対するフォローですらねぇやな。
「謝るなよ」
 かと思えば、命令してくるし。
「な……謝るかよ! なんで俺が謝らなきゃなんねーんだ」
「そうだ。それでいい。おまえの言い分は正しかった」
「……やめねーか? 本人を前にして陰口叩いてるみてーだ」
「恥ずかしいのか? だがな、坊ちゃんにはいい薬だろうさ。別段、今までの坊ちゃんが悪いわけじゃなかったが、今は致し方ない。山に入ってしまえば、坊ちゃんを背負ったまま登るのはいささか厳しいからな」
「生きていたいと思ってくれるのか?」
 ここまでボロクソ言っておいて、あとは自分で立ち上がってなんとかしろ? そういう論理がガキに通用するもんなのか? 正直不安だったな。
 会話をしながらも、山は近づいてくる。傾斜も感じられるようになってきた。頂や四角錘こそまだ遥か遠くに見えるが、実際は、俺たちはすでに山麓に食い込んでいるってことだろうさ。じきに大きな木もなくなる。サソリたちは速度をあげるだろう。
「その時はワシも、覚悟を決めるまでよ」
「俺はご免だぞ」
 そう返すと旦那は、少し笑ったな。