■ コンクリート ■

早稲 実

「一応、礼を言うべきなのかな」
 男は、ずたぼろの顔で笑っていた。仰向けに寝転がったまま伸ばしてくる手は、握手を求めているのだろうか。浜崎は握り返し、引き起こしてやる。
「一緒に轢いちまいたかったがな」
 吐き捨てながらも、浜崎は男の肩を抱いて移動した。途中、落ちている拳銃を拾って、浜崎は自分の腰に挿す。
 少年を閉じ込めた2号棟が眺められる位置にある肩枠に、寄りかかるように腰を下ろした。中にコンクリートを詰めているので、二人の人間の体重では傾がせるには足りない。
 月が、そこにある。
 理由も理屈も抜きに、空に浮かぶまぁるい発光体が美しく思えた。正確には月は自ら光を発することなく、反対側に行ってしまった太陽の輝きを返しているに過ぎないが。だからどうした。そんな言葉で一蹴するぐらいがちょうど良い。何も考えないのがちょうど良いくらい、浜崎は疲れきっていた。
 凭れるように型枠に乗せた頭で、疲労の原因を探る。溝口一派とのバトル。これは楽勝だった。男とは戦ったとはいえず、少年には、フォークリフトで突撃したに過ぎない。疲れる要因にもならない。いや、そもそも本当に疲労しているのだろうか。肩で息をしているわけでもない。怪我らしい怪我もない。男に蹴られた部位はいまだに疼くが、痛むだけ良しとしよう。撥ねた少年は感じることすらなかったことだろう。
 なんだ、疲れているだけじゃないか。
 浜崎は尻ポケットを探り、舌打ちした。先程の尻餅の時だろう。取り出したボックスケースが潰れ、中のタバコは体積を半分にしている。それでも咥え、火を点け、煙を吐き出す。
 一連の動きだった。香りも、味わいも、いったいどこに行ったのか。今はただ日常の動作を行い、少しで良いから平穏が欲しかった。それで疲れも癒えるだろう。しかし、いくら吸おうとタバコを楽しむことなどできない。物理的にニコチンが入ってきて、葉は灰に変わり、煙が立ち上る。一本目を地面で磨り潰し、二本目に火をつけてようやく味わいの意味を思い出せた。気分転換に普段とは違うタバコを吸ったような味がした。
「話せるところまで。それで構わないか?」
 呟くようにぽつりと、男が口にした。
 顎を引いて、浜崎は月を仰いでいた。
「助かる。ではまず、キミは殺しちゃいない、ということから説明しようか」
「死んでるだろ、さすがに」
「いや、速度はせいぜい三十キロくらいだ。その程度の衝撃なら、彼は耐える」
「化け物かよ」
 男が鼻を鳴らした。無音の状況ではやけに大きく響いたが、自慢気というには程遠い。むしろ儚んでいるくらいの哀愁が漂っている。
「彼は、ただの人間だよ。学校に行って、友達と笑って、部活動で汗を流す。普通の高校生だよ。ただ少し、今日は荒れているがね」
「荒れているとか、そういうレベルか」
「ああなると化け物だね。そうなる前に捕獲したかった」
「して、どーすん?」
「調教、というか、理解させる。彼が普通の人間ではないということを。そして、彼自身が暴走しないことに気遣えば、今までの生活に元通り、というわけさ」
 浜崎は、黙ってタバコを吹かしていた。
「ただ、理解させるまでに人でも殺せば、彼は日常には戻れなくなる。それを止めてあげたい。子供の癇癪自体に、罪はない」
 浜崎は、口元から立ち上らせるように、ゆるりと煙を吐いていた。すべての煙が尽きたあと、ぼそりと呟く。
「お上の機関か」
「正確には公団だが……大したものだね」
「簡単さ。変な人間がいて、追っかけてる男がいる。殺すんじゃなくて捕獲したい。研究者じゃなければ、混乱を恐れるお上の仕事だ。ついでに邪推すれば、アイツみたいなのは結構いるんだな? しかも、捕捉しきれていない」
 男は唖然としながらも、空拍手を鳴らしていた。
「ホント、ならな」
 男の色が変わる。まさか、自分の言葉が信じてもらえなかったことでショックをうけたわけではあるまい。
「じょーしきと照らし合わせたら突っ込みどころ満載だ。そこら辺を省いても、捕獲に銃器はありえんしな」
 すると、男は相好を崩した。訝る浜崎の腰に手を回した。訝るどころか狼狽してしまうが、浜崎が殴りつける前に男は拳銃を抜きとって示した。銃柄の下部からマガジンをとり出し、弾丸を見せ付ける。
「暗くて判りにくいだろうが、これは鉛球ではないんだ」
 鉛球とはまた豪く古風な表現を使う。そもそも今の時代は弾頭が鉛とは限らない。にも拘らずそのような言い回しを使うことには、果たして意味があった。月の薄明かりだけでは材質を言い当てることはできそうもないが、浜崎の見立てではゴム。少なくともそれに類するものであって、金属ではないと知れる。
「スタンガンさ。非殺傷兵器でもいい。とはいえ、サバイバルゲームなどで用いられる物よりも強力なガス銃にすぎんがね。発射音でもわかるだろー―」
 男の言葉を遮るように、轟音が響く。
 浜崎が眼を向けた先で、2号棟のトタン壁が拳の形に浮き上がる。浮き上がっていく。肉体を叩きつけているせいか、金属の悲鳴というには音が鈍い。悲鳴が上がるたび、金属の壁は醜く歪んでいく。
「ホントに生きてやがるのかよ」
 浜崎の口調はため息に似ていた。膝に手をかけ腰を上げると、その腕を男が掴んでいた。首を左右に振っている。
「案ずることはない。彼をこの工場に誘導してすぐ応援を頼んだ。それなりの武装をしていれば、彼がいかに特殊であろうとどうということはない」
 浜崎はやんわりと男の手を振り解き、立ち上がって振り返った。
「そういうわけにもいかんのよ。2号棟の中には知り合いがいてね」
「まさか。終業時間はとっくに過ぎてるはずだろうが」
「仕事と関係のないガキどもが潜り込んだんだよ。とりあえず眠らしといたのが仇になるたぁな」
 おどけた口調の語尾は、震えていた。しかし浜崎は踵を返し、フォークリフトの突っ込んだ2号棟の扉へ向かう。
「待て。どうするつもりだ」
「応援がくるんだろ? それまでの囮をやってやるよ。あん中は足場も悪いから、慣れてる俺なら殺されはしないはずだ」
 浜崎は歩きながらぞんざいに手を振り、まるで別れの挨拶のように振る舞った。
「投げたからな」
 男の台詞に奇異を感じて浜崎が振り向くと、黒鉄の拳銃が降ってくる。
 見事にキャッチできたものの、動揺を隠し切れずに浜崎は叫んでいた。
「あっぶねぇな! 馬鹿たれ。気付かなきゃ後頭部にモロだぞ、モロ!」
「それくらいとれないようなら死にに行くようなものだ。今気絶したほうがマシさ」
 悪びれもせず男は微笑んでいる。顔面血だらけの微笑みは壮絶で、同時に可笑しかった。なぜだろうか。浜崎は自分の笑みが鷹揚なそれになっていることに気付いた。
「バカヤロぅ。こんな鉄塊が後頭部に当たれば死んじまうだろうが」
「まぁ、細かいことは気にするな」
 妙に気さくな応対をした男だが、表情を引き締めて続ける。
「頭部に上手く当てられれば気絶させられる。正気に戻るか、そもそもきっちり当てられるかどうかは賭けだがな。だから、どうしょうもなくなったら使え。そして、使用後は必ず逃げてこい。自ら死にに行くようなことは――」
 浜崎が投げ返した拳銃が男の台詞を遮った。文句を続けようとする男に、浜崎は背を向けて続けた。
「やばいと思ったら逃げてくるからよ、俺を追っかけてきたアイツを撃ってくれ。俺が撃つよりは正確だろ?」
 しばらくの沈黙の間に、浜崎はフォークリフトにまで辿り着く。急ぐ必要のないときに限って一発でかかったりする。毒づきながら、浜崎はフォークリフトをバックさせ、拉げた扉を開ける。闇がのぞけた。
 2号棟に入り込んだ月光が少年に出口の存在を教えたのだろう。トタンの悲鳴が終る。しかし、出てくる様子はない。フォークリフトの突進を警戒しているのだろう。威嚇のためにエンジンを切らぬまま、浜崎はフォークリフトから降りた。
 顔面血だらけの男がすぐ隣にまで来ていた。
「左腕では、どこまで精度が出せるかはわからんがな。協力して欲しい」
 強張った顔つきで、それでも浜崎の作戦を飲んでくれたようだ。男は握手を求めて手を差し出している。期待は妙に照れくさかったが、浜崎は受け入れることにした。
「これで、俺も正義の味方になれるかな」
「さぁな。私だって給料のためにやっているにすぎない」
 がっちりと掴み合うと、二人は恥ずかしげに小さく笑った。
 悲鳴。
「溝口!?」
 翻って浜崎は2号棟に入っていく。毎日の勤務先が、今は闇に支配されていた。

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