■ disorder 秩序破壊者 ■

早稲 実

   2.生存策


 鳶色の肌に乗る高い鼻や意思の強そうな細く切れ上がった眉毛は、あまり澄んでいない水に映っているとはいえ、確かに母の面影を残していた。けれども、シャナサーミの母はすでに、この世にはいない。染物をしながら一緒にお喋りしたり、髪を梳いて三つ編みを編んでくれた母は、もうここにはいない。
 そんな母の面影は、不意に落ちた涙によって揺らいでしまった。そこにあるのは結局、泥まみれの自分の顔だった。友達と遊んで帰ってきた時とは違う、薄汚れた顔だった。
 シャナは桶に溜めてある水で顔を荒い、涙と汚れを洗い流した。目を閉じて、もう、一人でも編めるようになった三つ編みを作っていく。壊れ物に触れるように繊細に、感触を楽しむようにゆっくりと、編んでいった。
 リボンはどうしようっかな。
 シャナは手で髪を抑えながら、桶の横に置いてある朱色の長いリボンを眺めた。母は見事な蝶を結んでくれたが、あれは一人では到底できやしない。とどのつまり、いつものように巻きつけて髪を止めて、膝裏辺りまで垂らすしかなかった。
「シャナぁ、ちょっとこっちに来い」
 部隊の中では一番若い――といってもシャナを除いての話だが――ルーバイスが自分を呼んでいる。もう身嗜みを整えはしたが、こんな朝早く自分にお呼びがかかるとは思わなかった。どうしたのだろう。
「なによぉ! 朝飯はできてないわよぉ!」
「馬鹿、いいから来いってんだよ。オヤジさんがお呼びだ」
 親父が? 父がこんな朝早くから自分を呼びつけるとは。いったい何の用件だろう。推し量りようもないが、結局は出向くしかない。ルーバイスに付き従い、シャナは、いつしか隊員からもオヤジ呼ばわりされる部隊長の元へ向かった。食事が不味いとかの苦情ならば蹴り付けてやろうと決意を固めながら。
 茂みを二つほど抜けると、すぐさま反り上げた父の頭が光っていた。頭皮を守るためだかなんだか知らないが、油を塗るのを止めて欲しい。ハゲをそんなに強調したいのだろうか?
「用事ってなによ」
「まぁ、座れや」
 ぐるりと見渡すと、自分とルーバイスを除いた全六名が雁首揃えて腰を下ろしていた。残りの隊員は先の戦闘で死ぬかハグれかし、今はもういない。
 いや、ハグれたのは自分たちか。
 どちらでも良いことを蒸し返すのも面倒で、シャナはポケットからハンカチを取り出した。すでに汚れきっている裏面を下にして地面に敷き、その上に尻を乗せる。
「ったく、あたしは隊員じゃないってのに……んで、なぁに? 大の男たちがうだつの上がらない顔で揃ってるってのは。そんなにお腹が減ったの?」
「とりあえず、落ち着いて聞けよ」
 父が平時ですら地鳴りのような低い声をいっそう低くして、シャナの目を見つめながら告げる。どうやら催促や文句ではないようだが。
「昨夜、おまえが運車で寝てる頃だがな、人を見かけた」
「へぇ、そりゃ良かった。この辺りじゃ絹服がやけに高く売れるもの。前みたいにハギレとかボロとかと食料、交換してもらおうよ」
「俺もそう思ったさ。だから闘器の足を進めたんだが、まずいことにどっかの国にぶち当たったようでな」
「なお良いじゃん。闘器の動源水だってそんなにないんでしょ? 整備だってしなきゃならないし、好都合好都合。みんなが着てるものも売れば、何とかなるんじゃない?」
 父は額に手の平を押し当てて、首を振りながらため息を吐き出した。
「この辺りはもう、レイマスの共和国圏内なんだぞ」
 あ、そうだった。本隊からハグれて久しいものだから忘れていた。この辺りはすでに共和国圏――敵地のど真ん中なのだ。もっかいあんたらの本土を殴りに行くから、その前に飯食わせてよ、って訳にはいかないだろう。さすがに。
「んじゃぁ、さっさと引き返そうよ。本隊は近いんでしょ?」
 父は悔しそうに歯噛みして、舌打ちしてから吐き出した。
「それがな、森を抜けると山が聳えててな、なんというか、その……真逆に歩いてたってことらしいんだわ」
 なんだって? コンパスも測量士も失っていたが、父が大丈夫と言い続けてきたから行軍ができたのではないか。見当違いでしたごめんなさい、ってわけにもいかないだろうに。まぁ、本隊とハグれたからって、遭難者が救助を待つみたいにその場に居座って残党狩りをされるよりは百倍マシだったのは確かだけれど。
 それがわかっているだけに、ここに集まるみんなも父を責めたりはせず、諦めて沈んでいるのだろうが。
「ったく、仕方ないわね。まぁいいわよ。食料の方は歩きながら確保するってことで何とかするから、とにかく進みましょ」
「それがな、動源水の方は行軍用が一日分。戦闘用が半日分ってところなんだ」
 驚きの声は上がらなかった。シャナは絶句してしまったし、隊員たちは事前に聞かされていたらしい。再度言われたことで、一斉に肩を落とすに留まった。
「ま、まぁ仕方ないわね……闘器を捨てたら荷物の大半も置き去りになるけど――ま、必要最低限の荷物は各自分担ってことで諦めるしか」
「馬鹿をいうな。戦争に来て闘器を捨ててどうするんだ」
「仕方ないじゃない! 動かなきゃあんなのただの木偶じゃないの。運べるわけないでしょ。親父の四倍近くあるのよ?」
「動かすしかないさ」
「どうやってよ」
「それを、相談してたんだよ。一応、決は出た。それを伝えておこうと思ってな」
「はぁ? 無から何を出すつもりなのよ」
「無じゃ、ないさ」
 父はシャナに向けていた視線を全員に配り、口調を変えた。
「国とはいえ、相手は山麓の小国だ。不意をついて攻撃すれば、山間に一時撤退を開始するはずだ。体勢を立て直して反撃するまでに約半日。その間に動源水の倉庫を発見し、我々の方が退く。それで事は済むはずだ。
 問題は如何にして相手を一時的にでも退けるかだが、力押ししかないだろうと思う。先の総力戦でもわかるように、共和国の闘器となら一対一ならば負けはない。三体まで、なら何とかいける。おまえたちには乗り込む前の搭乗者を潰して欲しい。作戦が成功したとしても被害は大きいだろうし、そもそも成功率は薄いかもしれないが――他に妙案はあるか?」
 誰もが無言だった。沈鬱な表情のまま、傍らに置いてある各自の得物を握りこんでいる。
 シャナは、混乱していた。え、あ、それって、……つまりはそういうことなの? 待って、待ちなさい、誰か異議を申し立てなさいよ。そんな具合に、混乱しているなりに頭が剣呑な答えを導き出そうとすれば、自ら打ち消したりして。理解を拒否していた。
「では、明朝の日の出前に朝駆けを仕掛けようと――」
「ちょっと待ちなさいよ!」
 シャナが立ち上がりながら投げつけた小石は、父の右手が受け止めていた。
「なんだ? シャナ」
「なんだ? じゃないわよ。朝駆けってなによ? ようするに略奪じゃないの。ふざけないでよ。世界を救うためには仕方ない、これはそんな戦争なんでしょ? そうじゃなかったの? 無茶苦茶に荒らして、何の不安もなく生活している人を追い出すなんて、アレと同じじゃない!」
 こちらの意見が気に食わないのか、アレを思い出したのか。父の眉間にシワが刻まれていく。シャナが立っているのだから仕方ないのだが、下から見上げるような眼差しは、まるで脅しをかけているかのような鈍い輝きを秘めていた。
「ではどうする? アレのことを忘れて、何事もなかったかのようにこの森に根付いて生活するとでもいうのか?」
「馬鹿言わないでよ」
「馬鹿はおまえだ、シャナ。アレを止めるためならば、共和国との争いは避けられない。ならば、一体でも闘器は捨てるわけにはいかないんだ。あの小国がどれほど共和国と繋がりを持っているかは知らないが、滅ぼしておくのも悪くはない」
「なんでそうなるのよ。あたしたちは正しいことをしているんでしょ。世界のために仕方ない戦争をしているんでしょ? なら、なんで略奪なんてしなきゃならないのよ!」
「戦争はいつだって、仕方ないんだよ。とにかく、これが部隊の方針だ」
「あたしは隊員じゃないって言ってるでしょ!」
 シャナは、今まで座っていたハンカチを投げつけた。母が編んでくれたそのハンカチは、父の左手に掴まれてしまった。くしゃくしゃに握り潰されて、禿頭の父の顔が現れる。その中で鈍色を放つ双眸は、怒りを代弁するようにシャナを威圧していた。
「他に方法があるとでもいうのか?」
「あるわよ。あたしが説得してみせる。補給をしろって言ってくるわよ」
「馬鹿なことを……」
「馬鹿で結構!」
 負けじと睨みつけるが、父の目玉は取るに足らないものを見ているかのように、微動だにしない。何でだろう。喧嘩なんて毎日しているのに、膝が笑う。
 父がやっと目を放してくれた。先程握りつぶしたハンカチに小石を詰めて――何をするつもりなんだろう――こちらに投げつけてきた。
 避けられるはずもなく、シャナの額にそれがぶつかる。
「勝手にしろぃ」
 父は立ち上がり、部隊のみんなもそれに従った。
 シャナだけ、惨めにそこに、倒れてた。


 レオネは空腹に蠢動する腹に力を込めながら、この辺りでは珍しい魚料理を次々と口に放り込む壮年の男を見詰めていた。部屋は広いには広いが、役職に相応しくないほど質素に設えられている。南に面した大きな窓が日差しを取り込み、反対側にはその男の先祖たちが雄々しい姿のまま額縁に納められている。窓と絵画に挟まれた、長い部屋であった。
 その部屋に相応しい、片面で十人は座れるほどの長卓の上座に座り、次から次へと運ばれてくる料理を男は食していた。いや、正確には摘み食いしていた。一口食べてはまた次の料理に。グラスに注がれている透明な液体は、おそらくは白ブドウの酒ではない。氷が入っているのだから水なのであろう。
 羨ましいとは思いながらもレオネは、彼へ料理を運んでいく使用人にすら邪魔にならぬよう、男とは正反対の部屋の隅で佇む。誰の目にも付かないよう、しかし壁に凭れかからず直立不動で。
 時折、思い出したかのように眠気が襲ってくるが、レオネは昨夜の情景を思い浮かべ、下唇を噛んで抗っていた。
 昨夜の情景――つまるところ、闘器だ。
 森の中で見かけた、闇夜にそそり立つ闘器だ。あれは結局のところ国境まで近づく前に森の奥へと引き返して行ったが、搭乗者は確かにジャクメルを発見したことであろう。
 レオネも、官吏とはいえ武に司る仕事を行っている。国内の闘器の形状はおろか、共和国圏の一般的な闘器の特徴くらいは把握している。もとより闘器は各搭乗者に合わせて改装を施すものだが、どの国も独自の特徴くらいは残していた。
 しかしながら、昨夜の闘器は共和国圏のどの国の特長にも合致しない。個人所有の闘器だとか、単純に自分がそういった特徴を見逃したとも結論付けることはできる……できるが、どちらにせよ戦闘兵器である闘器が無断で国土に接近しているだけでも大事である。仮に共和国と戦争中である南の帝国の闘器であるなら、ジャクメルの危機であった。
 思い至ってしまえばその日は寝むることすら頭から飛んで行き、レオネはコマネズミのように働いた。それはいつもの事だと上級官吏たちは口々に言っていたのだが、直接の上役は眉間にシワを寄せていることだろう。何せ、公務の一切を行っていないのだから。
 では、日が昇り切るまでの時間を何に追われていたのかといえば、王と謁見するための手続きに駆け回っていた。とはいえまだまだ下級官吏。持てる政治力や友好関係を総動員して、時には気の弱いどこかの使用人を脅して順列に割り込んだりしたにも関わらず、王が自分のために割いてくれた時間はわずかなものだった。食事中、気が向いたら。これがたらい回されていたレオネへの返答であった。
 いつぞやの、共和国への派遣に関する提案を王へ通してくれた上役が言っていた。王は非常に喜んでくれ、細かい打ち合わせは今日の昼食で聞いていただける、と。それはつまりこういうことだったのか? 公務だけではなくアンタへの手続きのためにも駆けずり回った官吏たちにオアズケ喰らわして、貿易商からの献上品である各地の名産を国内随一の料理人に調理させた上等な料理をうまいうまい言いながら食って見せるためなのか? それ以上肥えてどうするつもりなんだよ。あの柄斧使いみたいに山に帰り、冬眠するための準備だってのかぁ? 
 と、皿ばかりを眺めていた白髪の王が顔を上げてグラスの水を飲み干した。下ろしたグラスが残った氷に打たれ、高い悲鳴を上げる。目が、合った。
 今ようやく気付いたとばかり、王は卓上のベルを鳴らす。料理を運ぶ使用人たちは何の反応も示さず、侍女が扉を開けて入室した。まだ若いその娘は二、三伝言を承ったらしく、ゆったりとした足取りでこちらに近づいてくる。じれったい。走って来い。
「目が、お気に召さないとのことです。ご退場ください」
「……は?」
「ですから、王は貴殿の目がお気に召さないとの事です。お引取りください」
 それだけ伝えると、その娘は一礼して背を向けてしまう。レオネは慌てて肩を掴んで引き止めた。すると、大した力を込めたわけでもないのに、暴漢にでも襲われたかのように悲鳴を上げる始末である。
「喧しいな……余の食事を妨げるのは何者だ?」
 毛虫が這いずるくらいのわずかな声音が聞こえる。手を止めた王の言葉だった。どれだけ離れていようと声を張り上げるつもりはないらしい。
 それでもようやく口が利けるのだ。レオネは張り切って声を上げた。用件さえ伝えられれば、こんな王であろうと事の重大さが理解できるだろう。もう、昇級は望めないかもしれないが……
「下級文官、レオネール・クゾンであります。火急の報告をするべく参上しました」
 面白くなさそうに鼻で笑ってから王は食器を置き、水菓子と共に並べられたトマトに手を伸ばした。
「ふむ。そんな名の文官が来ているのは聞いていたが……聞かぬ名だ。まぁいい。して、その用件とは? 余の食事を妨げるほど重大な報告とはなんだ?」
 うちの便所が詰まったんです! とでも言ってやりたい。
「昨日深夜、西の森にて闘器の影と遭遇しました。調べましたところ、近日中に入国する、もしくは付近を通過する闘器はおりません」
 王がトマトを口にする。口を開けながら食べるものだから、遠すぎて見えないまでも、口内で奥歯にすり潰される赤と緑の果肉がありありと想像できてしまう。粘着質な咀嚼音が嫌だ。無駄に大きな飲み込む音が、ひたすら醜悪に思えてならない。
「で?」
「暴乱期を経て、ようやく治安の整い始めた我が国が、今争いの害を被れば混乱は必死。その前になんとしても、積極的警護を敢行していただきたい!」
「積極的警護か……確か、面白い提案書が文官長に届いたそうだ。積極的警護を取りやめる提案らしい。うむ。暴乱期が収束して諍いが鳴りを潜めて久しいのは確かだ。ここらで民草に飴を施すのは良い提案だろう。余は好意的に解釈している。だがな、その発案者の名が、今、余の眼前で恥知らずにも名乗りおった若造と同じだというのだから面白い。一方のレオネールは積極的警護の廃止を上申し、一方のレオネールは積極的警護を敢えて行えと怒鳴り散らす。面白いとは思わんか、恥知らず?」
「はい。面白いかもしれません。しかしながら泥を被るという恥を恐れずに発言させていただければ、暖炉の火を消す行いを改めることも、火事の予兆を見逃さず叩くことも正道だと信じております」
「ふむ。口は回るが礼儀は知らんようだな? 発言を許した覚えはないぞ」
「まだ、泥の痛みを知らぬもので」
 感心したように息を吐き出し、目を細めていく。最終的には閉じてしまい、瞑ったまま王はトマトを齧っていた。沈考の時を置いて、また目蓋を押し上げる。
「うむ。お主の弁は確かに正道のようである」
 レオネは直立不動のまま、心の中で胸をなでおろした。納得してくれたことに謝辞を述べ、今回の積極的警護の計画を話そうとしたとき、王は再び口を開ける。
「しかしな、またここでレオネールという男の提案書が問題となってくる。しかも今度は施行されてしまい、後戻りのきかぬといった具合なのだ。同じ名を持つのだ。その政策ぐらいは存じておらぬか?」
「共和国への、演習と偽った常備軍の友義派遣でしょうか……」
「そうだ。所詮、東西貿易の橋渡ししかできぬジャクメルでは――山を挟んだ東方はまだしも、共和国の後ろ盾は不可欠。友好性を強調するには良い機会なのは確かだ。
 しかしな、そんな派兵が招いた状況が国軍の兵力低下だ。今残るのは、国境警備と近衛兵団くらい。私的に武力を持つ者もいるが、奴らは何を言っても聞きはすまいて。
 さらにな、相手が闘器だというのならばこちらも闘器で対抗するしかないが――国境警備は動かせぬとして――動ける闘器など近衛兵団のたった二機のみだぞ。このような状態で積極的警護などと抜かすか」
「しかし、民の生活を守ってこその軍でしょう」
「そして、森に出向いている間に裏をかかれ、宮廷は言うに及ばず国は全壊か」
「私には、策が――」
「黙れ!」
 音としては些細な、王が卓を叩く音が響く。気圧されたつもりはなかったが、レオネの喉まで出かかった台詞を押し戻された。空気の振動が収まって、外のそよ風が聞こえるほど待たされた。
「闘器が来るというのであれば、警戒の命は下しておこう。しかしな、国境まで出向いて警護するというのは聞き入れられん。なに、西の森近辺は畑ばかりだ。自給すらままならぬジャクメルのな。被害というほどのものはないではないか」
 何を言っているんだ? 輸入で賄えるのは確かだろうが、隣国へ緊急要請したって一月はかかるだろうに。その間、貯えのない家庭はどうする? なにより、被害というほどのものではない、だと? 畑を失った者はどう暮らす? 戦闘に巻き込まれた者はどうなる? 保障ができるというのか?
「所詮、密集区ではない。それに、仮に人口の一割が死のうと九割を生かすために残らなくてはならないのが宮廷だ。近衛兵団をここから動かすわけにはいかぬ」
 そりゃそうだ。多くの人間を幸福にするのが政治だ。その中心である宮廷を軽んじてはならない。ああ、そうだ。確かに王様、あんたのいうことは正論だよ。けど人の命は算術じゃないだろ? おまえは知らないかもしれないし、それを責めるつもりもないけどよ、そこに生きてる奴は国政のために作物作ってるわけでも――ましてやアンタにうまいトマトを送り届けるために日々必死になって生きているんじゃねぇんだよ。
 知れ、とは言わん。せめて察してやれよ。無視するような言い方は撤回しろよ。あんた、この国で一番偉いんだろ?
 レオネは、眠気と抗った時のように下唇を噛んだ。拳を握り込んでいくが、爪がめり込んでいるのに不思議と痛くない。
「わ、私には……考えがある……ります」
「考え? このような簡単な理屈も組み上げられぬ男の策になど、乗れるものか。そもそも国境警備隊でもないお主がなぜ闘器を見つけられた。そんな確度が低い報告など聞けぬよ。そもそも本当にお主は文官なのか? 案外、西の森に潜むという、闘器を持つ敵の工作員であれば面白いな。それならば合点がいく。
 まぁ、その思いつきの真偽は脇に除けても、王を前にしてこれだけの無礼。本来ならば極刑ものだが眼を瞑ってやろう。だから、消えろ」
 何故策を聞こうともしない? と思うや否や、レオネの下唇が千切れた。ブチン、と。髪を掻くというにはあまりに乱暴に頭皮を引っ掻きながら、長卓へと歩み寄る。
 飛び乗る。
「無礼者が」
 王の叱責など構わず、レオネは長卓の上を歩き出した。自分が笑っているのがわかる。
「無礼? そんなことは百も承知ですよ。けれども民の命を軽んずる国王陛下よりはずいぶんと上等だと愚考しますがね。
 ええ、そうです。私は国境警備隊ではありません。しかしそもそもですよ、街道沿いにしか配置されていない警備隊が、一体全体どのようにして西の森に潜む闘器の影を知ることができましょうか。
 では次に、私が何故昨夜西の森で闘器を発見したかお教えしましょうか。自分は下級とはいえ文官の身でありながら昨日、友人の喧嘩に巻き込まれて見回り役たちに追われてしまいましてね。西の森まで逃走したという次第ですよ。真にお恥ずかしい経緯ですが、私は僥倖と受け取っております。何故って? 国を成す民の危険をいち早く察することができたからですよ。
 余談でしたね、私のことなど。では、本題となる私の策ですが――実は友人の中に闘器を個人で所有する者がおりましてね。彼の私隊と共に私が森へ入り、敵勢力の確認、可能ならば破壊するというものであります。力が及ばないのならば引き返し、国民共々王族官吏も山にこもれば良い。天然の要塞です。篭城戦なり東方への支援要請なり、兵力が減っていようとどうにでもなるでしょう。
 つまり私の策は守るにせよ攻めるにせよ、国軍にさしたる影響を与えぬまま戦況を有利に運べるという妙案なのです。しかしながら、私が発見した闘器が威力偵察だとするならば、敵もすぐにでも攻めてまいりましょう。事は急を要しますゆえ、最高権力者の独断が必要となるわけです。
 しかし国王陛下はお食事に夢中でこの良策を、理解どころか聞く耳持たぬとおっしゃられる。さてここで気になるのは、愚かなのはどちらなのか、ということですなぁ」
 言い終わったのは、中年太りの国王を見下ろす位置にまで来てからだった。王は椅子から立ち上がろうともせずにこちらを見上げていた。顔に付着している赤色はトマトの食べカスではなく、レオネの下唇から飛び散った血液だった。
 考えているのだろうか。
 まんじりともせずに、こちらを見上げる胆力があるとは思ってもいなかった。これが、国を治めている者だということか。
 また、トマトに手を伸ばそうとする。
 先回りして、他の水菓子と共に踏み潰す。レオネは、怒鳴っていた。
「頷けって言ってるんだ!」
「……よかろう。お主の策に乗らせてもらおうか。ただな」
 出来過ぎな結果は、ある条件を伴っていた。

 部屋で、いつぞやクレオに握りつぶされた仕掛けペンを眺めながら呟いていた。
「なんで、おまえはいつも強引にやれるんだ?」
 王が言っていたことは、どれもこれももっともであった。復興のために必要なのは、国の政権を握る宮廷だ。それを守る近衛兵団は動かせない。西の森まで出向いて積極的警護をするなどというのは当然できない。ならばできるだけ人口の少ない地域で敵戦力を測るしかない。致し方ない。王の言っていたことは、どれもこれももっともだ。
 国民を軽んじているとは一言も発していない。むしろ、国民の全てを重んじているからこそ、できるだけ被害を減らそうとはしていたのだろう。だからこそ、確度の低い情報に左右されぬよう、重臣たちの目にも提案書を回させて内容を吟味し、決断する。そのために存在する、回りくどいまでの手続きだったはず。それを無視して、強引に。
 自分は何をしていたのだろう。
 策を飲んでもらい、その後に発した王の台詞が、レオネに冷静な思考を取り戻させてくれた。策は通った。あとは動くだけだった。なのに、今になってレオネは、自分に自信を持てなくなってしまった。
 縋るように、粉々になったペンを眺めていた。
 宮廷内で唯一、友と呼べる男を連想しながら。
 物凄い勢いで、扉が押し開けられた。蹴り破られた、とでもいうように。
 クレオだった。しかしこちらの顔を眺めるや否や、その勢いを消し去って首を傾げる。
「女にでも噛み千切られたか?」
「……階段から落ちたんだよ」
 信じているとも思えなかったが、クレオはどうでも良さそうに続ける。
「それはそうと、本当に王が了解したのか?」
「あ、ああ……一応な」
「ん? 一応ってのはどういうことだ?」
「い、いや……言葉の綾だよ。準備ができ次第、行軍せよって。成功すれば、消費した動源水や整備費用は国庫で賄ってくれるらしい」
「ほう? そりゃすげぇ。んじゃ、準備ができたらウチにこいよ。格納庫だからな?」
 頷くと、まるで遊び場に飛んでいくように、クレオははしゃぎながら扉を閉めた。
 レオネもため息を吐き出し、出発の準備を始める。とはいえ、自分が戦闘をするわけではない。新しく買ったペンとインク、野外でも筆記できるように下敷き、あとは書き込む書類くらいのものだ。
 すぐさま準備は終わってしまった。けれども、部屋を出ようとしてレオネは踏みとどまった。引き返して、机の上に載る握り潰されたペンをポケットの中にねじ込んだ。
 それから武官である自分の執務室を出て、クレオの家に向かった。来るたびに唖然とさせられる。良家の者しか住めないような土地に闘器の格納庫があるだけでも笑ってしまうのに、家自体が倍以上にでかいのだから。
 門番に話をするとすぐさま中に通され、使用人が豪邸の方へと案内しようとするのを固辞して、格納庫へと歩を進める。
「あれ、早かったね。クレオならピジン婦人に挨拶にいったよ」
 汚れだらけの服に、闘器の間接部に塗り込む油の匂いをさせる男がそう言っていた。クレオが注意しないものだから、自分までも軽んじられてしまう。話し振りから、彼が敬意を示しているのはピジン婦人だけのようだった。
 慣れてしまっていた。むしろ、平民だった頃からの友のようで、快い。けれども今の彼らは忙しそうにしていたので、自分は脇で休ませてもらうことにした。壁際の、何が入っているかよくわからない大きな木箱に登り、壁に凭れて闘器が戦闘状態に入る様を見送っていた。
 どうやら昨夜からの徹夜作業らしく、焼きなおしや間接球の交換を終えたところらしい。緩衝帯が脱がされ、闘器は陶器の素体を露にしていた。この状態のクレオ機は別に、他の闘器の素体と変わるところがない。若干、腰の間接球がやや大きいくらいか? 磨耗も早かろう。もとより、間接球は他より焼きが弱く、柔らかい。なんでそんな弱いパーツを組み込むのか昔は不思議であったが、脆いパーツを間接に入れることで腕は滑らかに曲がるとのこと。それに壊れる部分が決まっていれば、そこだけ交換すればよくなるらしい。腕自体が破損するよりも、よほど整備が楽になるとも言っていた。
 そんなことを思い出しながら、厚手の布でぐるぐると、素体が巻きつけられていくのを見守る。緩衝帯だ。素体の陶器を衝撃から守るために巻かれていく。その上に一枚、衝撃緩衝用の皮の服が着せられる。
 レオネがウトウトしているうちに鉄の外装が運び込まれていた。大の男が何人も集まり、クレオ機の下半身の方へと運んでいる。その中に、クレオの姿が混じっていた。
 声をかけると、笑いながらこちらに近づいてくる。どうやら、手伝っていただけらしい。彼自身が本来やらねばならぬ仕事ならば、レオネの呼びかけなどに応じはしないだろう。
「なんだ?」
 上半身を露にして、吸水性の悪い麻のタオルを首からぶら下げていた。浅黒い肌からは玉の汗が浮かび、とても名家の次男とは思えない風貌である。
「いや、何ってほどのことでもないが……」
 見かけたから呼んだだけなので、訊ねられるとレオネも困ってしまう。ポケットからペンを取り出して、インクを落とす仕草で木箱に何度か叩きつけながら時間を稼いだ。
「いつぐらいに出発できるのかと思ってな」
「もうすぐさ。俺の闘器の外装なんて重し以外のなんでもないからな。上半身にはほとんどつけないし、取り付けも簡単だ」
「……前から思ってたんだけど、なんで下半身にしか装甲を取り付けないんだ? 無茶してるとは思わないのか」
 羽ペンを回しだすと、クレオの視線がこちらの手元に注ぐ。もしかして、気になって話しを聞いていなかったのか? そう思うほどの沈黙を挟んだので、ペン回しを止めた。
「……前から聞こうと思ってたんだが、そのペン回しってやつは、なんでそんなに素早く回るんだ?」
 何を言っているのだかわからなかった。それが顔に出たらしい。「つまりだなぁ」とか前置きをして、その場でレオネが座る木箱に回し蹴りを放ち、揺らす。それから一歩下がり、もう一度回し蹴りを叩き込んだ。盛大な音を立てて木箱が壊れ、注目が集まった。だが、「またか」と誰かが言うなり各自の仕事に戻っていく。いつも叩き壊しているということだろうか。レオネは壊れた元木箱、今は木切れとなって散らばる残骸の中から、クレオを恨みがましく見上げた。彼は頓着していない。
「今の蹴りは、どちらも同じ力で放ったんだ。けど、結果はこれだけ違うだろ。これは、速度がどれだけ乗っているか、の違いなんだ。加速してから当たらなきゃ、力は力のまま。破壊力にはなりえない。その、充分に速度が乗った距離が射程距離なわけで、近すぎる相手も実は、攻撃の射程距離にいるとはいえない。
 けどよ、そのペン回しの時、その羽ペンは初速がいきなり最高速度を保ってる……この謎が解ければ、案外必殺技になるんじゃねぇーかな」
 それだけのことを説明するのに、この男は木箱の一つ壊さねばならないのだろうか。知ってはいたが、こいつは頭脳労働に向いてはいない。
 レオネはため息を吐いて、指でクレオを呼んだ。話すのには充分な距離で呼ばれた意味がわかるらしい。顔を近づけてくる。「なんだ? みんなに聞かせたくないほどの秘伝なのか?」とか言っているようでは、本当の意味を理解してはいないが。
 デコピンしてやった。
「って! てめぇ、真面目に訊いてんのに何すんだよ」
「ばぁーか。おまえ流に言うとな、それが秘伝なんだよ」
 クレオは首を傾げてお終いだった。自分で考える力がないのだろうか。レオネは木切れやホコリを叩きながら立ち上がり、デコピンを素振りして見せた。
「つまりな、中指は常に動こうとしているだろ? それを親指で封じている。んで、親指から中指を開放してやれば、中指は元々溜めていた力を解放するわけだ」
 本当に馬鹿なのだろうか? クレオは思い切り驚嘆していた。
「あのなぁ、デコピンで闘器が倒せると思うのか?」
「いやでも、こうやっていきなり裏拳を出せば――」
 クレオは胸の前で両手を組み合わせ、デコピンの要領で狭い範囲の裏拳を見せた。
「それで、そこの木箱を壊せるか?」
 やってみなければわからないらしい。何度も木箱を揺すって「あれ? あれれ?」と不思議がっている。
「なんで何だ? スピードは充分のはずなのに」
「体重が乗ってないだろうが。肘関節の力しか乗ってないだろ? 全身の関節で加速、全体重で一撃。これが攻撃の極意じゃなかったのか?」
「あ、ああ……」
「つまり、戦闘じゃ使えないってことなんだよ。わかったか?」
 そうはっきり言ったのだが、クレオは「そうかなぁ」とか腕組みしてまだ悩んでいた。
 悩みたきゃ悩んでいろ。だがその前に自分の質問に答えて欲しかった。
「忘れてると思うからもう一回聞くけど、なんで外装は下半身にしか取り付けないんだ?」
「あん? そりゃ下半身をを安定させるためだよ。重心を下げれば下げるだけ、上体の自由度は高くなるだろ」
「それだけのために、装甲を犠牲にしているのか?」
「ああ。だから攻撃的な闘器ができる」
「無茶やってると、思ったことはないのか?」
「あるさ。けど……間違ってるとは思わない」
 真面目ぶるでも、あどけなく笑うでもなく、この男は言い放つ。むしろ、こちらの反応に一拍遅れで驚いていた。それからクレオは、こちらに興味をなくして、自分がこれから乗り込む闘器へと視線を向けた。
 ああ、そうなんだな。だからなんだろうな。
 次々と外装を取り付けられ、仕上がっていく自機を満足げに眺めるクレオを見て、レオネは爽やかな気持ちになっていった。間違っていないと思うから、強引なことも、自分すら無茶だと思うこともできてしまう。
 ただし、クレオの行動のほとんどは間違っていると確信できるが。
 それでもレオネは、クレオとともに仕上がっていく闘器を眺めていた。クレオの強さを裏付けている、国の基本装備とは明らかに異なる闘器を。
 クレオの、間違っていないそれを。
 国王の言い分はもっともだった。
 だが、自分も間違ってはいない。

 確かに外装の取り付けは、驚くほどの早く終わってしまった。よほど訓練された整備士たちであったのだろう。彼らの半分は今、クレオが搭乗する闘器に引かれる運車に、レオネとともに乗り込んでいる。闘器の急ぎ足は、馬を飛ばすよりも速かった。
 整備士たちはそのまま、クレオの私隊となった。クレオに近い性格の者が多いことから察するに、おそらくは各々鍛え上げているのだろう。ヘタな兵士よりも筋肉質なやつらばかりが集まっていた。
 だが、正規の訓練を受けている者ではないのだろう。新品同様な彼らの武具から連想することは容易かった。彼らに散ってもらって闘器を探索するのは無駄になろう。
 運車の中で自分たちの戦力を確認した上で、より効果的な作戦を立てねばならなかった。けれども、レオネは文官であって武官ではない。自分なりに最良と思えてもどこか、不安が残るというのが正直なところであった。
 しかし、クレオに立案させるのも、彼に感化されている整備士たちに立案させるのも恐ろしい。意見や文句があるのならば言うだろうと見当をつけて、その場にいる全員に作戦を言い渡した。クレオにも、伝声管を用いて一緒に聞いてもらう。
「日が落ちるまでに西の森全域を探索するのは不可能だ。よって、昨日私とクレオが闘器を発見した地点よりも北部から森へ侵入。南下して昨日の遭遇地点まで辿り着くまでに発見できなければ、引き返す。それ以降はその場に待機し、発見と同時に森へと押し返す。近衛兵団が駆けつけるまで、この辺りの土地を守るための壁になる。以上だ」
「なんで、遭遇地点から円形の探索をしない?」
 伝声管から、こもったクレオの声が聞こえてくる。不満ではなく、ただの質問だった。
「敵が単体なら遭遇地点から離れるのが定石だろうさ。仮に大量に敵が待ち伏せていて、遭遇地点がキャンプの近くだというなら話は別だがな。その場合は逆に、キャンプを囮に私たちを森の奥まで誘い、敵闘器が退路を塞いでくるだろう。けれども、私の作戦ならば私たちは帰路の途中。奥まで入らずに国に報告するしかない」
「俺を止めるための作戦か?」
「国の安全を図る作戦だ」
 沈黙が挟まった。整備士たちは何も言わない。自分に――もしくは彼らが仕えているクレオに全権を委ねる様子だった。
「北から入る理由は? 南でも良さそうだが」
「奴らはもともと南方の生まれだ。遭遇地点から離れるならば、少しでも南下して故郷に近いところでキャンプを張りたいというのが人情だろう。ならば、その裏を掻くのが軍事行動だと思う」
「了解。その作戦で行こう」
「ありがとう」
 ここで安堵の息を吐き出すのは間違いだろうか。作戦は始まったばかりだ。
 ……けれど、クレオは元より名家の生まれ。平民を軽んずる節がないとはいえない。いや、正確に言うなら、自分に関係のない他人はあくまで他人だと思っている。国のため、国民のために闘うのではなく、己が名誉のためだけに動く。それは、決して悪いとは言えない。言えないだけに、この作戦を飲んでくれたのだ。安堵くらいしようもの。
 西の森が見えてきた。そこから北上して、森の中に入っていく。
 ここからは、いつ敵闘器が現れようとおかしくはない。運車内では誰もが口を開かなくなっていく傍ら、誰かが得物を持ち直す音がうるさいくらいに頻発する。
 しばらくして。
「言わなきゃならんことがあった」
 物言わず、敵の襲撃に対して緊張を高めていく運車の中に、伝声管からこもった声が聞こえた。ひどく、深刻な様子だった。
「レオネ。おまえの口調じゃ、武人に命令はできそうもない」
 何を言っているのだろう。当たり前だ。自分は文官だし、そもそも武人たちに直接命令を発するような権限など……クレオの言葉を理解して、笑ってしまった。から笑いだが。
「おまえのためにブドウ酒も積んである。軽く行こうぜ、みんな」
 伝声間の声は優しく、力強かった。整備士たちも無理矢理笑顔を捻り出し、イモ酒を一杯やって、本当に笑い出した。
 レオネもイモ酒をいただき、一息に飲み干した。
 クセが強く、毎日は勘弁して欲しいが、これはこれで楽しいものだ。

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