■ disorder 秩序破壊者 ■

早稲 実

   3.事情

「こらこら、あんまり物騒なことを言うものじゃないよ」
 あっけらかんと、おばさんはそう答えて笑っていた。真偽を訝るでもなく、シャナの発言をただの冗談と受け取ったらしい。どこにでもあるようなテーブルに夏野菜を並べ、おばさんは縫い物を続けた。正確には、破れた手袋の補修を。
「だから、補給の準備なり、避難の準備なり」
 おばさんはトマトを一つ手にとり「これでいいかしら?」と、こちらに差し出してくる。シャナはそれを受け取らず、ヤキモキした心持で叫んだ。
「ホントなんです。信じてください!」
 おばさんは手を引っ込めて、小さく唸る。
「とはいってもねぇ……そもそもあんた、どこの子だい? お客さんの邪魔になるだろ?」
「客なんていないじゃないですか」
 畑に挟まれた、辛うじて均されているこの通りには誰もいない。それこそ畑で、トマトやらキュウリの収穫をしている人々がいるくらいだった。
 おばさんは縫い針を上に向け、空を示した。
「もうじきお昼だろう? ここに乗せてある野菜なんか、あっという間になくなるさ」
 嬉しそうにそう述べるおばさんの暢気な口調に、シャナはどこか苛立ちを覚えながらテーブルを叩いた。野菜たちが跳ねる。
「そんなことしてる内に、この国自体がなくなるかもしれないんですよ!」
「あらあら、恐いわねぇ」
「そうなんです。恐いんですよ!」
「いえ、あなたがね。まぁ、ともかく。お話なら後で聞いてあげるから、こっちへいらっしゃい。お得意様が着たわ」
 おばさんは自分の隣を指して、笑っていた。先程までとは違う、どこか媚があるように見えるのは、商売のためだろうか。不自然ではないが。
 シャナは迷った。
 一刻も早く避難してもらおうと、森から出るなり片っ端から声をかけてみたのだが、けんもほろろ。誰もが夏野菜の収穫に忙しいと、話すら聞いてもらえない。ようやく耳を貸してくれたのがこの、もぎ経て野菜を販売しているおばさんだった。しかし、聞いてくれたからといって、信じてくれている訳ではない。脇に控えさせようとするあたり、また話を聞いてくれるのかもしれない。だが、このおばさんを信じさせるのに時間を費やすよりも、この国の警備団かなにかに話を通した方が早いのではないだろうか。
「お忙しい中、お邪魔しました……逃げる準備だけはして置いてくださいね」
 シャナはそう言って、愛想の良いおばさんに見切りをつけ、背を向けた。均された道には女性が一人、歩いてきている。彼女が来た方角がおそらく国の中心なのだろう。林立する家屋の中に、ひときわ大きな建物がうかがえる。おそらくはそれがこの国の中心なのだろうと見当をつけて、シャナは歩き出そうとした。
「まぁ、待ちなさいって。悪いようにはしないから」
 ふりむくと、おばさんはやはり笑っていた。そもそも信じてなどいないクセに、悪いようにしないとはどういう意味なのか。シャナには理解できなかったが、おばさんの下手くそなウインクに魅了されたわけでもなかったが、足は鈍り、結局おばさんの隣で膝を抱えていた。
 お客は、さきほど都市部からこちらに向かって歩いていた女性であった。豊かな黒髪が白い肌に妙に映える。綺麗というより、美しいという表現が似合いそうな女性であった。しかし、近づかれて見てみると、目元と口元に笑いシワができており、壮年女性なのだとシャナは知る。
「おはようございます。今日も良いお日柄ですね」
「本当にそうですね、ピジンさん。乾期だと霧も出ないので、大助かりですよ」
「あらあら、トマトを育む揺りカゴを悪く言っちゃいけませんよ」
「博学ですねぇ。まったく、どちらが農民なのかわからなくなっちゃいますよ」
 そうして、おばさんとピジンと呼ばれた二人は談笑へと移っていく。知り合いなのだろう。おばさんも先程、お得意様と言っていた。
 どちらでも良かった。おばさんには悪いが、早く帰って欲しい。帰ってくれれば、おばさんが言う、悪いようにはしないの実態がわかるのだから。もしかしたら、午後から一緒に警備団に話をしてくれるかもしれない。素性の知れない自分が一人で警備の人に呼びかけても信用してもらえるかどうか。父は、それを見越した上で自分に勝手にやれと言ったのだろう。未成年の女が一人で、いったい何ができる。せいぜい騒ぎ立て、警備が幾らか厳重になるのが精一杯だ。それでも父は略奪しにやってくるだろう。警戒が強いのは当たり前なのだ。直接参加していないとはいえ、近くで戦争をしているのだから。所詮、自分がわめいて増すくらいの警備もたかが知れている。
 そこまでは森から出るまでに考えたことだった。だから、戦場になるだろうこの辺りに住む人々に避難を呼びかけたのだ。まるで、効果など上がらなかったが。
 そんなものだ。今、安らかに生活している場所が唐突に何の脈絡もなく失われるなど、どうして考えられるものか。本当に失ったことがなければ。
 そういった意味では安全な国なのだろう。危機感がまったくなく、怯える素振りもない。
 シャナは抱えていた膝に、額を乗せた。下を向きたくはなかったが。
 悲しみを反芻している場合ではない。自分にはやらなければならないことがある。まずこの国の偉い人を説得して、父の部隊に補給を頼まなければならない。幸い、といって良いのかわからないが、共和国の闘器は帝国の闘器よりも質が悪いらしく、父ですら先の戦いで二機の闘器を倒したのにも関わらず無傷である。この戦力差がわかれば、戦争に直接関わっていない国ならば無駄な損害は出さないように手配してくれるかもしれない。こっちはまぁ、なんとかなるかもしれない。次は、父の説得だ。上手く補給が受けられると伝えても、すでに戦闘を行おうとしているあの人が信じるかどうか――はっきりいって微妙だった。罠だと思うかもしれない。まぁ、どうにかするしかないのだが。
 しかしそもそも、その、偉い人というのにどうやって会えばいいのかすら、自分には思い当たらない。警備の人間に頼んでその偉い人に会えると思っていたこと自体、どうかしていた。気が立っていたのかもしれない。
 けれどもう、飛び出してしまった。物分りの悪い父に背を向け、走り出してしまった。何もできないまま、どの面下げて帰れば良いのか。そもそも帰れない。
 もう、戻ることすら。
「しかしまぁ、よく毎日こんなところまで出てこられますねぇ」
「大したことじゃありません。私はただ、美味しい物を作ってあげたいだけで」
「へぇ。お買い物だけじゃなくて、料理までご自分で?」
「家族の物は自分で作って上げたい。それだけのことですよ。それに、動かないでいると太りますからねぇ」
「まぁた。ピジンさんが太るところなんて想像もできませんよ」
 と言って、おばさんの笑い声が聞こえた。つられたように、壮年女性の控えめな笑い声が聞こえる。
 思考が停止していた。考えたし、悩んだし。できる限りのことを連想したが、できることなど何もなかった。そんな答えに、落胆していた。絶望していたのかもしれない。思考が停止して、何も考えなくなって、おばさんたちの声だけが耳の中に滑り込んでくる。
 笑い声が、煩わしかった。
 シャナが俯いていた顔を上げると、視界がぼやけていた。手で拭って見上げると、笑って揺れるおばさんの背中が憎らしかった。私はこんなに悩んであなた方のために頑張っているのに。そんな理不尽な憤りに、自分の目が鋭くなっているのを感じる。
「あら? その子は娘さんですか?」
 壮年女性に言われておばさんがこちらを振り向いた。シャナは慌てて睨みつけるような眼光をやめたが、愛想笑いができるほど気持ちは穏やかではない。憤りを押し殺すのに必死だったから、暗い面持ちをしていたのかもしれない。おばさんは「あぁ、ゴメンね。忘れてたわけじゃないのよ」とか弁解しながら、壮年の女性に向き直った。
「ピジンさん。今日の御代は結構ですから、この子も持って帰ってくれませんかね」
 え? なに言ってるの?

 文化圏が違うのだから当たり前ではあるのだが、そういうことではなく、シャナには見たこともないような鏡台が自分の前に置かれている。そもそも鏡自体が貴重品であろうに、この鏡台は正面だけでなく左右にも翼を広げるように鏡を配し、側面からの自分も映せるようになっている。試しに左翼の鏡へと目を向けると、目付きの悪い自分が映っていた。
 視線を正面に戻すと、三つ網を解いた自分がおり、その後ろで例の壮年の女性がクシを入れてくれている。入れながら、先程から何か喋っていた。
「えと、あの……ピジンさん……」
 こちらの戸惑いなど二の次で、ピジンは「なぁに?」と微笑んでいた。
「なんで、あたしは今、こんなことをしてるんでしょう?」
「それは、あなたが髪を乱暴に縛っているだけなんですもの。いえ、三つ網はいいのよ。可愛らしいし。けれどね、キチンとお手入れをしてからなの。ほら」
 ピジンはシャナの肩にかかる髪の一端を掴み、鏡に映し、見せ付けた。ピジンの家に――この豪邸に入るなり洗濯されてしまったその髪は泥どころかホコリの一つもなく、今はピジンの手によって梳かれ、光りの加減でなのか、一部白く見えるほどであった。
「お手入れするだけでこんなに艶が出るのよ。髪は女の武器なんだから」
「はぁ……」
 髪が綺麗になるのは喜ばしいことなのだが。現状を考えると、シャナは素直に頷けないまま生返事を返していた。
 あの野菜の直売をしていたおばさんが言うには、このピジン婦人という壮年の女性はあの森付近の畑にわざわざ買い物に出向くような人ではなく、部屋でごろごろしていても給仕がご飯の仕度をしてくれるような人らしい。それはまぁごもっとも。連れ帰られ、探検ができるほどの豪邸を見せられただけでも納得してしまう。おばさんが言ったとおり、この人から国の偉い人に取り次いでもらうのがたぶん近道だろう。そう思い、森付近の畑から帰る道すがら、シャナは自分のおかれている状況を、ピジンに必死になって話したのだ。
「でね、トマトの発芽っていうのは、すごく湿気が必要なのよ。だからしょっちゅう霧が出てるこの国にはうって付けなわけね」
 しかし、状況はこんな感じであった。
 ピジンはこちらに関心がないことなどお構いなしにお喋りを続け、かといってシャナの髪を梳く手を休めようともしない。身動きが取れなかった。しかも、話の内容ももっぱら農作業であったりして、シャナにはなんの益体もない。帝国の人間だからといった不当な理由で尋問された方が、まだマシだと思えてしまう。
「もう収穫ですものねぇ。この時期が一番大変なんだけど、不思議と辛いとは思わないものなのよねぇ」
 まるで自分も作物を育てたことがあるような言いっぷりであるが、どうにもその発言は部屋の端々に置かれている豪華な調度品からかけ離れていた。過去がある? 確かに、お喋りの合間に「懐かしいわぁ」とか言っていた気もするが。
 そんなことよりも。
 シャナは意を決して振り返った。突然のことにピジン婦人は驚いているようではあるが、口の端の笑いシワにはどこか、余裕が垣間見える驚き方であった。
「あの、あたしはこんなことをやっている場合じゃ――」
 と、出入り口の扉が物凄い勢いで開けられた。思わずそちらに目を向けると、森を抜けてきた自分よりも遥かに汚らしい麻服を腰に巻きつけた、上半身裸の男が入ってくる。シャナが気後れしてしまいそうなほど上品なこの家には、その半裸の男もその男が腰に携えている幅広の剣も似つかわしくない。短い黒髪も、乱雑だった。
「母さん。ちょっといいか?」
 母さん? 自分に子供などいないのだから、と当たり前のことを考察の枕にしてから、おそらくはピジンのことを言っているのだろうとシャナは察しをつけた。その男とピジンを見比べれば、確かに顔立ちが似ていなくもない。ただし、ほとんど褐色である肌や、温和とはかけ離れた鋭く細い目つきなどは、とても親子とは思えなかった。
「なんですか、クレオ。女の子の前ではしたない」
「え、あ、ごめん」
 といいながら謝罪する男は、酷く従順に腰に巻いた上着を着なおそうと解きにかかった。
「あ、あたしなら別に、気にしませんよ」
「あら、殿方の身体を知ってらっしゃるの?」
 その言い方はやめてほしい。別に、含みがあるとも思えないが。
「あ、ありがと……って、母さん? その子、誰?」
「シャナちゃん、っていうのよ。サミアさん――野菜を直接売ってくれるあの人ね――からもらったの」
「また、わけのわからないことを……」
 そう言うが、クレオと呼ばれていたその男は額に手を当てて飽きれるだけで、それ以上言及しようとしなかった。慣れているのだろうか。
「まぁ、ともかく、母さんに言っておきたいことがあってさ」
 男はもうこちらに目もくれず、ピジンの前まで歩を進め、屈んで目の高さを揃えた。「あら、なぁに」と笑みを崩さないピジンを睨むほどの形相でしばらく見詰め、本当にただ一言だけ、「行ってきます」と口にした。そして背をむけ、部屋から出て行ってしまう。
 嵐のような男だった。シャナの存在に気付いたにも関わらず、自らの用件だけを述べて帰っていってしまった。その嵐の直撃を受けたピジン当人も困惑しているのか、彼の去った扉を懐かしむように眺めていた。まるで、透かして彼の背中を見送るように。
「なんだったんでしょうね」
 ピジンはようやく我に返ったように、シャナの顔を鏡に向けさせた。お喋りは鏡を見ながらでもできるという意味だろう。ピジンは、シャナの頭の影に自分の顔を隠していた。
「驚いた? ああいう子なの。行ってきますなんて、別に言わなくてもいいのにね」
「それだけじゃ、ないからでしょう? きっと」
 ピジンは微かに声に出して笑った。鏡に映る彼女はシャナの頭に隠れて表情は見えないが、なんとか微笑んでいるのだと思う。
「察しがいいのね、シャナちゃんは。でも、そのせいで苦労したりしちゃダメよ」
 それは自分が聞いて良い類の話ではない、ということだろうか。それとも。
「お喋りは、嫌いじゃないですよ……」
「本当? 嬉しいわ。あの子とも――クレオとも、昔はよくお喋りしたんだけど、ある頃からぷっつりとお喋りしてくれなくなってねぇ。ホント、お父さんそっくりになっちゃたわ。まったく、あの子まで軍人になることないのにね。ホント、ハラハラさせられちゃう。
 なんで、女の子が生まれなかったのかしらね。あの子たちが嫌いなわけじゃないけど、みんなして武人にならなくても良さそうなものなのに。私と一緒にお喋りしたり、お料理したりして暮らせないものなのかしらね。自分を危険に追い込んでまで、なんで男の子はそう強くなりたいのかしら。誰かに褒められたいのかしら――あ、編むわよ」
 シャナの後ろ髪が引かれた。三つ編みをしてくれるのだろう。痛くはない。むしろ、久しぶりに他人に編んでもらうのは心地よい刺激だった。けれど、ピジンの独白が続いている間は、自分の母を思い出して郷愁に浸る気分にもなれない。
「たぶんあの子も、戦に赴くつもりなのね。男がああいう目をするときは、いつもそうなのよ。信じるものに狂信的になっちゃって、それが正しいと思って突っ走っちゃうの。馬鹿よね。やってることに善も悪もないのに。全てが終わってみて、自分の今いる所から懐かしんでみてようやく、あぁあれは良かった悪かったって言えるだけなのに。
 基本的に、中間がないのよね」
「そこまでわかっていて、止めないんですか……」
「本人が決めたことだもの。誰も、あの子の自由に紐を付けられはしないわ。あの子、何も言わなかったでしょう? 仮に今止めたとしても、いつかやるわよ。もしかしたら、私を殴り倒してでも行くかもしれない。そういうものでしょう?」
 ふいに、『勝手にしろ』と怒気を孕んだ父の言葉を思い出した。投げられた石は、父から科せられた責任だったのかもしれない。鏡で眺めても、痣にはなっていなかった。母のハンカチが守ってくれたのか、父が母のハンカチで守ってくれたのかはわからない。
「できた♪」
 ピジンの愚痴にも似た告白はいつの間にか終わり、短かったが何も言えない時間が漂っていた。その中でシャナは禿げ上がった頭の父を思い出していたが、ピジンに背中を押されて我に帰る。
 鏡の中には、三つ編みの尻尾に見事な赤い蝶が結ばれていた。その後ろには、母がいた。
 振り返るとやはりそれはピジンなのだが、その緩やかな笑い方は、自分にはない、母親の微笑み方であった。
 そして、また扉が開く。今度はキチンとした身なりだが、ピジンよりも幾分程度の低い、支給品めいた服を着ている。侍女なのだろう。
「奥様。手続きが完了したとのことです」
 ピジンはその侍女に返礼をしてから立ち上がり、シャナに手を差し出した。
「さて、それじゃぁ行きましょうか」
「え……どこへですか?」
 当惑しながらもシャナは、ピジンの手を取って立ち上がる。
「私たちも少し、突っ走りましょうよ」
 
 太っちょが座る大きな椅子は、シャナとピジンが並ぶ床よりも一段高いところに置かれていた。厚みがあり、柔らかそうで、装飾によって威厳に満ちた大きな椅子だった。それに座る男も似つかわしい衣類を纏っている。国王なのだそうだ。
「まずは午後に謁見する無礼、ご容赦くださいまし」
 部屋に入るなり、隣に立っていたピジンが両手で大きくスカートを広げ、傅いた。慌ててシャナも、ピジンから借りた服で似たような仕草をするのだが、どうにも要領が飲み込めない。とりあえず膝を付いて、頭を下げて、国王様を立てておく。
「ははは。よしてください、ピジン婦人。あなたの夫の働きで、我が国は辛うじて持ち堪えているようなものです。頭を上げてください。英雄の妻に頭を下げさせたとあっては、家臣どもの信用をなくしてしまう」
 機嫌よさ気な、快活な声が聞こえてくる。国王は思ったよりも声高なのだと知った。膝は付いたままシャナが顔を上げると、ピジンはまだ畏まっていた。シャナは慌てて顔を下げる。
「いえ、私のように生まれが卑賤なものなどには、国王様の御尊顔を拝見させてもらうなどとても恐れ多い」
「何をおっしゃられます。今のあなたは、英雄の愛妻ではありませんか。本来ならば私が頭を下げるべきところ、このような所にまで出向かせてしまい、申し訳ない」
 しかし気配では、国王に頭を下げる様子はうかがえなかった。
「そうですか? では、失礼して」
 会話の流れからして、このタイミングで顔を上げるのは少しおかしいと思うのだが。ピジンは陽気な声で顔を上げ、立ち上がった。自分も顔を上げていいのか迷い、シャナは上目遣いで国王の様子をうかがうと、ニコやかなのだが、どこか笑っていなかった。
「それで、用件はなんでしょうかね。午後にわざわざ取次ぎを要請された辺り、急ぎの事体とお見受けしますが」
「さすがは国王様。お察しがよろしいですね」
「似たような用件で平民出の下級文官にお昼を邪魔されてしまいましたのでな。どうも平民の血は事を急ぎたがる様子だ、と見当をつけたまでですよ」
「寝ていても食事が取れる生まれではなかったものですから。私たち卑賤な者どもは、慌しいくらいがちょうど良いのですよ」
 なに? 何が起きてるの? シャナがちらりとうかがった限りでは、どちらも優しそうに微笑んでいた。声も楽しげに聞こえる。聞こえるが、シャナはここから出て行きたい衝動に駆られていた。
「それで、用件というのは」
「はい。実は私の元に面白い情報が舞い込みまして。このシャナサーミに発言する許しをいただけませんでしょうか」
「ふむ……良かろう。面を上げなさい」
 嫌だった。この二人の会話に自分が入り込むのはなんとしても避けたいことだった。しかし、自分にはやらねばならないことがある。この国の人々を傷つけないためにも、父たちの部隊が無事、帝国本隊に帰り着くためにも、戦を起こさず補給をして頂かなければならない。「し、失礼させて頂かせてもらわします」顔を上げて「実はお願いしたいことがあるんでございますですよ。というのも実は……」できる限り王様の機嫌を損ねないように、丁寧な言葉で、要点を簡潔に「つー感じでなんとかなりませんでしょうか」争いを起こさないよう頼み込んでみた。
 言い終えて、肩で息をしている自分に気がつく。緊張のしすぎだった。もう何がなんだか。自分がちゃんと言い切れたのか、伝え漏らしたことはなかったのか。しかし自分の言葉を思い出そうとしても、記憶がすっぽり抜け落ちているかのように真っ白だった。
「ふむ……あの若者が言っていたことは本当であったか」
 沈黙していた時間を破ったのは国王の、誰に聞かせるわけでもない呟きだった。それを引き継ぐように、ピジンが言葉をかぶせていく。
「どうでしょう。確度の高い情報とはとても言えませんが、無用な争いを引き起こすよりも、些少の補給物資を贈呈するという提案は」
 考えがまとまったのであろう。気難しい顔をしていた国王が微笑んだ。
「うむ。その通りだ」
 思わず叫び出したくなってくる。シャナはその衝動を押し殺そうと歯を噛み締めるが、結局のところその我慢は、国王の一言によって無駄になってしまった。
「情報が確かであればだがな」
「確かだよ!」
 つい怒鳴ってしまったシャナだが、それは咎められず、諭すような国王の言葉に止められた。押し黙って聞くしかない。
「ピジン婦人が言うのだ。君が帝国の人間であることは認めよう。しかしな、だからこそ君の言い分は可笑しいのだよ。君ら帝国の人間から見れば、私たちは敵である共和国の人間だ。そんな者に助けを求めること事体が可笑しいとは言わん。どちらにとっても有益な提案ならば、場合によっては手も結ぼう。
 だが、そんな重要な用件を切り出すのが君のような可愛らしい少女では、信じる信じない以前に相手にとっての礼儀に欠ける。そんな者たちと手を取り合えるかね」
「今は礼儀を気にしている場合じゃ」
 近づこうとしたシャナに、国王が手を上げて制した。
「ああ、その通りだ。礼儀などにさしたる意味はない。しかしな、君の所属する部隊の総意で補給を要請してきたのであれば、部隊長がこの場にいるべきなのではないか? つまり君は、部隊の意に反してこのジャクメルに訪れたことになる。この国に害が出ないようにと、誠意で訪れたことになる」
「はい。その通りです。だから、情報は確かなんですよ」
「そうだな。君の振る舞いを見ている限りでも、とても工作員とは思えない」
「じゃぁ」
「待ちなさい。私が言いたいのは、部隊を抜け出した君がお膳立てをしたとは言え、その者たちが補給を受け取っただけで素直に帰ってくれるのか、ということだ。先程も述べたが、我々と君たちは敵同士なのだ。少しでも疲弊させようとするのが当たり前ではないかね? 少なくとも、私ならそうするよ」
「私たちはそんなんじゃない!」
「誰が保障するのだね」
「あたしを捕虜にすればいい。部隊長の娘よ」
「ほぉ。仮にそれが事実だとして、部隊を裏切った人間に人質が務まるのかね。そんな勝手を許すような親なのかね。そんな者に部隊長が務まるとは思えんが?」
「そ、それは……」
 父は、石を投げてきた。『勝手にしろ』そう言って、石を投げて、自分に背を向けて行ってしまった。そうして自分は、勝手に、補給の話を進めている。大丈夫。父は補給を受けたあとにこの国を攻撃するようなことはしない。そういう人だ。礼儀正しいとはとてもいえないけど、恩に仇で報いるような人じゃない。そう、大丈夫。だけど……
 シャナが受けたのは、衝撃であった。つまり父の言葉の裏側には、おまえが捕まろうと死にかけようと俺は知らんぞ、という冷たい台詞が張り付いていたということに気が付いたから。そんなことに今まで気付いていない方がどうかしていた。勘当。つまりは、そういうことなのかもしれない。
「よろしいですか?」
 ピジンの声が聞こえた。振り返ると、やはり優しく笑っていた。
 国王はもう自分には関心がないのかもしれない。彼がピジンに向き直って話を促す仕草を見て、シャナはそう感じた。
「補給を行う場所に、現在動かせる闘器を全てつぎ込んではどうでしょうか? 総力が結集しているところで暴挙に出るとは私には思えません」
「ほう。しかしながら、相手がこちらの補給を受けようとはせず、宮廷を叩かれないとも限らない。なにせ、こちらが罠を張ったと思うでしょうからな」
「帝国の部隊が西の森に潜んでいるのは、シャナサーミの言により確かでしょう。ならば、近衛兵団を西の森の前面に配します。その上で、帝国の部隊が南北どちらに迂回しても国境警備団が足止めできるよう伝令しておけば、相手が宮廷に至る前に近衛兵団が追いつけるはずです」
 国王が軽く頷き、腕を組んだ。そのまま沈黙する。ピジンも微笑んでいたが、どこか毅然とした面持ちだった。シャナにはもう、彼女に任せるしかなかった。
 そして、沈黙の時間が漂う。
 ピジンが、大きく微笑んだ。
「近衛兵団の足には、釘が刺さっているようですね。大変だわぁ。これじゃぁ戦地にいけそうもない。いったい誰が打ち込んだんでしょう?」
「な!」
 王様は跳ね上がるように立ち上がり、絶句して、それから大げさに笑った。額に手を当てて頭をふり、どうしょうもない発作的な笑いを落ち着かせてから、恫喝的に訊ねる。
「しかしな、敵が罠と思うことには変わりなかろう。ならば、近衛兵団は宮廷から出発させた方が危険は少ない」
「補給地での警戒はよろしいのですか」
「そもそも補給をせねば良い」
「そういうわけにも行きませんでしょう? 農民であれ、国民でございます。補給をする。しかし補給地の警備もしない、というのが一番よろしいのですが」
「それでは出足が遅い」
「なら、話は簡単ですよ」
「何だ」
 シャナの頭に手が乗せられた。振り向くと、ピジンが自分を撫でている。
「信じてもらえばよろしいんです」
 王様は辛うじてまだ持ち合わせていた威厳をかなぐり捨てるように、顔を紅潮させていく。バカバカしいと一笑に付す素振りを見せながら、続けて怒鳴りつける。
「誰が、どのように!」
「私が、誠意を持って」
「自ら捕虜になるというのか? なってどうする。お主を、捻り潰されても悔しくもない農民の女と思うかもしれぬぞ。どうやって相手に、自分の重要性を知らせる」
「ありのまま、事の推移を話します」
「事情を知っているからといって、信じるとは限るまい」
「させますよ」
 そして、二人は睨み合っていた。
 自分の頭を撫でている手は、暖かかった。優しくて、力強い。その腕を伝って、ピジンの顔に目を向ける。さすがにもう、笑ってはいなかった。毅然とした眼差しで、国王を見詰めている。
 凄い人だ。シャナは、そう思う。自分のような、得体の知れない子供の言葉を信じて、国の最高権力者と睨み合えるだなんて。何故、ここまでしてくれるのだろう。泣きたくなるほど、良い人だ。凄い人だ。
 そんなピジンが、こちらの視線に気が付いたらしい。微笑みを向けてくれた。
 そして、再び王様に向き直る。
「お許しは出せませんか? 出せないのならば、私は諦めますが」
「ぬ? 良いというのか?」
「ええ。構いません。ただし、私は勝手に動き出すかもしれませんが」
「ま、待て。謀反の恐れとあらば、仮にあなたでも捕縛せねばなりませんぞ」
「あら、何が謀反なのでしょうか? 私はただ、西の森へ散歩に出かけるだけですよ。ただ、もしかすれば気が合う人と遭遇し、宮廷内の様子や警備の状態をお喋りしてしまうかも知れませんが」
「それが、謀反ではないか」
「あら、信じておられないんでしょう? この子のことは。さぁ、帰りましょう。シャナちゃん。これから忙しいわよぉ」
 そういってピジンはこちらの手を握り、なかば引き摺るようにして出入り口の扉へと向かう。
「待ちなさい」
 ピジンと共に振り返ると、狼狽した王様がそこにいた。また、額を握るように掴み、頭を振っている。自らの顔を掴んでいた手を放すと、そこは清々しい表情に変わっていた。
「どうやら私の負けのようだ。謀反の嫌疑で捕縛することは充分にできるかもしれんが、英雄の妻を捕まえたとあっては民衆の反感も拭いがたいしな。
 よかろう。補給を行う。ただしかし、警備はつけさせてもらうぞ」
 ピジンは入室したときのようにまた優雅に傅き、礼を述べていた。シャナも慌てて礼をする。
「だが、念のためにシャナサーミはこちらの捕虜とさせてもらうぞ」
 シャナは思わず「え?」と、声を漏らしてしまったが、ピジンは致し方ないと了解した。
 声こそ漏れてしまったが、考えてみれば自分の命をささげようとも叶えられなかった願いが届いたのだ。シャナは文句を吐かず、黙って頷いた。
 そしてピジンから離れ、国王の足元へ歩き、膝を付いた。重ねて感謝の言葉を吐きながら。シャナにはもう、これくらいしかできなかった。
「しかしまぁ、平民出の人間は悉く私に無理難題を押し付ける……煩わしい者たちだ」
 退室しようとしていたピジンが微笑みながら振り返り、言い返す。
「あら、国王様。お口が悪いのではありませんか?」
「もぉいいだろぅ。本音を語ってしまえば、私はおまえもピジン将軍も大嫌いだ」
「あら、私もですわ。融通の利かないゲス野朗は大嫌いですの。奇遇ですね」
 シャナには良くわからなかったが、そんな台詞を言うときの方が、王もピジンも朗らかな表情をしていたと思う。


 西の森へ続く道は大きな通りなのだが、国同士を結ぶ街道ではないため、整備は杜撰なものだった。かろうじて均された道には荷車の轍が残り、あちこちに小石が散らばっている。どうやら比較的新しい闘器の足跡があったり、おそらく運車のものであろう。荷車と比べて倍以上もある轍が残っていたりもした。
 ピジンはそんな道を、麻の外套をまとって邁進していた。夏季に外套、という組み合わせからくる物とは違う、疲労の汗を浮かべながら。
「あらぁ、ピジンさん。どちらへお出かけですかぁ!」
 畑の中から野菜を直売してくれた女が声を上げた。ピジンは手を振り、「ちょっと国務で西の森まで。お仕事頑張ってくださいねぇ」とだけ伝えた。顔に泥を付けた女は呆気に取られた面持ちであったが、気を取り直して続けた。
「そうですかぁ! 頑張ってくださぁーい」
 もう一度ピジンは手を振り、彼女とお別れを告げた。農民は大変だ。太陽が頭上に上っても終わりというわけにはいかない。相手が生き物だから当然なのだが、その割りに手に入るお金もスズメの涙ではやってられないだろう。
 ピジン自身も何度もそんなことを考えた時期があったものだ。だから英雄の妻に――俗に言う玉の輿に乗ったというわけではないが、宮廷に入れたのは素直に嬉しかった。のだが、怠惰を貪るという宮廷の仕事にもすでに飽き飽きしている。日に干された麻の匂いが懐かしい。土の香りが心地よい。
 ピジンは胸いっぱいに呼吸しながら、西の森まで足を進めていった。
 道の終わりは、そのまま西の森である。常緑樹と落葉樹が混ざり合った壁がそそり立ち、境界線を引いたように、茂みや木立が林立している。その境が、そのまま国境だった。
 つまり、焼畑だった。森を焼き払い、農作できるところまでがジャクメルの国である。つまりジャクメルは、西の森が続く限りは国土を広げることができる。とはいえ、貿易国であるため農民の数が絶対的に足りないのだし、土地を広げることに何の利点も見出せはしないが。それに、森を焦土と化してしまえば、当然狩れるであろう猪や鹿を激減させてしまう。西の森に住まうエルフたちの怒りを買ってまで、国を広げることもない。
 西の森を改めて眺め、ピジンは自分が推し進めている国政を思い出してしまった。ただ森が好き。そんな気持ちにあれこれ理由をつけた結果、今ではそういったことばかりが頭に過ぎってしまう。自分も、宮廷に影響されたということなのだろうか。
 ピジンはため息を吐きながら、茂みの中へと踏み出した。
 境界線を引いていた茂みを越えると、樹木の葉に隠され、日の光りは極端に少なくなる。真昼ならばまだしも、傾きかけた太陽では森の中まで照らせはしない。日陰ばかりの薄暗闇を、木漏れ日がかろうじて照らし出していた。
 目が慣れてくると、そんな中に一人の青年を発見する。息子と同じくらい年の頃の、着こなしが少しおかしい男だった。鉈を片手に、低い位置に生える枝を集めている。薪にするつもりなのだろうか。時折、辺りを気にかけるような仕草をしている。
 ピジンは何も言わず、その男の隣を抜けて森の奥へと向かっていった。
「あれ、奥さん。どちらに行かれるんですか?」
 青年は、酷くなんでもないような口調で語りかけてくる。先程、辺りを見回していたときに気付いていても良さそうなものだが。鉈を持つ手で汗を拭う彼は、まるで今始めてピジンの存在に気が付いたとでもいうように振舞っていた。
「ええ、ちょっと木苺を採りに、森の奥まで」
「お一人で、ですか? 危険だと思いますが。なんなら、自分がお供しましょうか」
「んふふ、自分、だなんて……まるで武人さんみたいね」
 青年は、昔は武人を目指していたなどと言い訳をして、謙遜するように照れ笑いをしていた。けれど、鉈の握り方が少しだけ変わっている。ぶった切るために握り固める持ち方から、手首を使えるように余裕をもったそれに。
 ピジンはしばらく談笑した上で、大きく微笑んで会話を打ち切った。
「でも、あなたのお仕事の邪魔するわけにも行きませんでしょう? 一人で大丈夫ですよ」
 背を向けて歩き出すと、男は「そうですか」と諦めの言葉を吐いていたが、鉈を振るう音は聞こえてこない。「やっぱり心配ですよ」という、諦めの悪い言葉と共に、足音がついてきた。
 充分かしらね。
 青年に自分という人物をある程度認識させたことを意識して、ピジンは立ち止まり、肩越しに振り返って微笑みんで見せた。
「心配などなさらないでくださいよ。もっとも、戦地から大きく外れたこの国に、南の国からの野党がいるのだとしたら危険かもしれませんけどね」
 足音はなくなったが、青年が立ち止まった訳でもなさそうだった。跳躍したらしい。こちらを押し倒すことはしなかったが、立ったまま羽交い絞めにされる。
「何を知ってらっしゃるんですか?」
「国王様からの言伝があります。シャナちゃんのお父様はご在宅ですか?」
 冗談めかして微笑んでみたが、青年の目はクスリともしない。

 件の青年、ルーバイスに連れられてそのまま森の奥まで直進すると、うずくまった闘器とそれが引いてきただろう運車が停留していた。この辺りは開けているが、逆裂きになった切り株などを見た限りでは、闘器がキャンプのために無理矢理切り開いた土地なのだと知れる。茂みなどの少ない所を選んだのであろうが、木の根や小石が地面には散乱している。
 テントなど、どこの国の物でも似たようなものだ。形状や容積の違いこそあるが、薄布が雨風を弱める程度のものでしかない。厚手の敷布くらい使うのだろうが、寝心地が良いとも到底思えなかった。シャナはこんな環境で寝食を行っていたのであろう。ピジンは悲しい気持ちになってきた。
「ルーバイス君。女の子には優しくしてあげなきゃダメですよ」
「は? はぁ……」
「まぁ、そんなことはさておいて、シャナちゃんのお父様はまだかしら?」
「今、呼びに行ったばかりじゃないですか。もうちょっと待ってください。オヤジさんは部隊長だけじゃなく搭乗者も担ってるんで、忙しいんですよ」
「そうなの」
 脇に立つルーバイスに微笑みかけ、仕方なく待たせてもらうことにする。急ぎの用事だとは伝えたはずなのだが、相手も忙しいのならば致し方ない。自分の夫も搭乗者ながら将軍として戦略から戦術まで担い、四方駈けずり回っていた。ピジンは諦めにも似た気持ちで佇むしかできなかった。
「ご婦人、まぁそう警戒なさらず、お座りください」
 ルーバイスよりも幾らか年嵩な青年が、木のコップにブドウ酒を持って現れた。もう一方の手には敷布を持っており、地面に敷いてくれる。ピジンは礼を述べてからコップを受け取り、その敷布に腰を下ろすことにした。
「げっ、酒はまずいでしょう。親父さんに怒られますよ」
「ルーバイスは心配性だな。大丈夫だよ。それよりもお客さんに失礼があるほうがまずいさ。帝国の沽券に関わるだろう。
 それではご婦人。私はまだ所要がありますので、この場は失礼します」
 言うなり、その青年は一礼して踵を返し、行ってしまった。どうにも武人という感じがしない。宮廷で、女性の尻を追っかけながら重職の方の機嫌を取っているのが似合いの所作である。シャナといい今の青年といい、どうにも部隊の編成に疑問を感じる。
「あの方は?」
「え? 副長ですよ。オヤジさんが操縦に専念したら指揮が取れないでしょう? だから、その場での戦闘指示などは副長がやるんですよ」
「へぇ……あんまり武人さんには見えませんね。スケコマシの方が似合いそう」
 自分と共に、去っていく副長の背を見守っていたルーバイスがこちらに向き直る。
「どうかしましたか?」
「いや、あの、なんていうか……凄い言葉を使うんですね」
「そうですか? それほど隠語めいたものとも思えませんが」
「いや、そうなんですが。なんというか、あなたの雰囲気に似つかわしくない」
 そんなこんなでルーバイスとお喋りをしていると、彼の肩に手がかかった。厚手の手袋を付けているみたいな、大きく、ふしくれた手が。ルーバイスを引っつかんで、その手の主は自分に向きなおさせる。
「ルーバイス、一つ聞きたいことがあるんだが。おまえは急ぎの用事で私を呼んでいたんではなかったのか? しかし、いざ来てみるとおまえは、どこで捕まえたのか知らんが綺麗なご婦人と楽しそうに談笑している。これはどういうことだ?」
 背中を見るだけでもルーバイスの狼狽振りは明らかであった。禿頭の、身長はそれほどでもないというのに筋肉質のその男に睨まれ、竦みあがっているのが見て取れる。
 別に彼を助けるつもりはなかったが、ピジンも立ち上がった。
「私も一つ、お聞かせ願いたいんですが」
 怯え、慄きながらも振り返るルーバイスと筋肉質な禿頭がこちらを見詰める中、ピジンは自らの疑問を氷解するべく、質問の内容を口にしていく。
「私はシャナちゃんのお父様との面通しを希望しましたのに、なぜこの方が現れるんでしょうか? 理解に窮します」
 こちらの質問の意図が汲み取れていなかったのか、二人の男は互いの顔を見合わせて難しい顔をしていた。しかしどこかで合点がいったのか、禿頭の男がルーバイスを押しのけてこちらの前に立つ。「仕事に戻れ」と言われ、ルーバイスは国境付近に向けて走り出してしまった。しかし、すぐさま木陰に入り、気遣うようにこちらを盗み見ている。
「あなたが、私を呼びつけた方ですか。しかも、シャナのことをご存知だというのだから興味深い。お話をお伺いしましょう」
 ピジンは男の視線を遮るよう、手の平を向けた。丁寧な口調には気を使うが、有無言わさず、断固とした決意を乗せて、ピジンは言葉を紡ぐ。
「いいえ。私がお呼びしたのはシャナちゃんのお父様であって、あなたではありません。事はジャクメルの国務に当たることなので、部隊長の方以外に軽々しくお話してよろしいものではないのです」
 禿頭の男は、すでにない頭髪を掻くような仕草を見せて、一つ咳払いしてから呟いた。
「私が、部隊長です」
「嘘を言ってはなりません! 確かに、これから蹂躙しようとする国の使いなど、あなた方からすれば取るに足らない者かもしれません。確かに私のようなおばさんの言に耳を傾けるのも煩わしいかもしれません。しかし、こちらとしては国の被害を少しでも軽くしようと試行錯誤の末に導き出した答えなのです。重要なのです。
 部隊長である、シャナちゃんのお父様以外には話すことはできません」
「ですから、私がシャナの父です」
「まだ冗談を続けるつもりですか。いかに温厚な私といえども時には心荒ぶる時もありましてよ。良いでしょう。あなたの嘘を喝破して差し上げます。まず第一に威圧的なその眼光、次に岩石のような輪郭、そして隆々としたその筋肉がシャナちゃんにありますか。何より特徴的なことを言わせてもらえれば、彼女には美しく豊かな髪がございます。それに対し、あなたは……貧しく荒れた土地を整備することで眩いほど輝く街道とすることはできようとも、一度荒らした土地は草木豊かな森へと戻りはしないのです! 自然は掛け替えがなく、だからこそ尊いのです。むやみに焼畑をして良いものではありません!」
 油を塗ることで陽光を反射し、ある種の艶すら出しているその男の頭を見ているうちに、ピジンは西の森に対する宮廷への意見を思い出してしまった。確かに美しい街道は人の目に快いものかもしれない。しかし、森は人の心を豊かにしてくれる。その重大さをわかっていただきたい。
 ピジンが我に帰ると、男は、もの悲しげに俯いていた。
「それでも、シャナの父なんです、はい」
「……髪は?」
「剃りました」
 森のそよ風は良い。
 嫌なことを全部、そっと持ち去ってくれるから。
  ピジンの妻になったばかりの頃、宮廷では色々言われていたものだ。畑の清々しい香りがするだの、青々とした野草のような方だの。今でこそ、畑や野草の重要性を彼女らが辟易するほど説いてしまうという対処法を身につけたが、あの頃はこうやって森まで身を運び、風に涙を拭ってもらったものだ……
 ピジンは木漏れ日を追うように視線を走らせて、緑葉の隙間から空をのぞく。日が傾き始めたとはいえ、まだ青い空は大きく、雄大であった。
 そう、何もかも忘れてしまいそうなほど。
 そよ風が、頬を撫でていった。
 ピジンは外套の両側を摘み、スカートでそうするように広げて深々とお辞儀をする。
「ジャクメル王国国王の命によりこの地に参じた、ピジンと申す者です。このような良いお日柄にお会いできたのも何かのご縁。どうぞ、和平の交渉も今日のお天気のよう、穏やかな温もりを持ってお望み頂けますよう、お願いいたします」
「え? あ、いや――あぁ、もういいです、忘れてください」
「何を、でございましょう」
 禿頭の男――部隊長を務めているシャナの父はどこか困ったように狼狽していたが、そんな曖昧な気持ちに自身でケリを付けたらしい。自らの頬を、音がなるほど強く叩いて、真摯な顔付きを見せる。
「それで、ご用件というのはどのようなことでしょうか」
「和平の交渉。それは、私がシャナちゃんのことを知っていると再三言い続けてきたことで、貴殿にはもうお察しが付いていらっしゃると思いますが」
 シャナの父は鼻を掻くようにして、軽い調子で答えてきた。俄かには信じられない、とでも言いたげに。
「補給が受けられる、とでも?」
「はい。快く、とまでは行きませんが、国王もご承知のことです」
「とても信じられませんな。ここいらは共和国が支配する地域だと聞き及んでいます。しかし、我々はそんな共和国に敵対している身」
「共和国によって繁栄してきたのが我が国だというのは事実ですが、支配されている訳ではありません。それに、貿易で財を成す我がジャクメルが害を被るより、無害のまま戦争で疲弊した共和国に援助金を出す方があちらも喜ばれるでしょう」
「ほほう。共和国は、敵に組する者すら許すというのですか」
「組するわけではありませんもの。山神の使いが家畜に手を出さぬよう、山の小動物は狩らないことと似ているかもしれませんね。追い返す手段ですよ」
 シャナの父が顎を擦って、頷いた。しかしまだ、相好を崩したわけではない。
「補給をしていただけるという言葉は了解いたしました。しかし、それが本当かどうかは――おいそれとは信じられませんなぁ。第一、シャナが帰ってきていない」
「ご自分の娘さんがこの旨を伝えたとして、貴殿は信じられますか? そんな上手い話があるわけがないと一蹴なさることでしょう」
「敵の部隊に補給をしてもらえるだけでも、充分に上手く行き過ぎてますよ」
「そうでもありませんよ。国王は、補給を受けただけでは飽き足らず、あなた方が暴れだしはしないかと危惧しております。そのため、補給地には国の近衛兵団が待ち受けております。その上、シャナちゃんは人質として捕らえられておりますから」
 シャナの父が、顎を擦っていた腕を下ろした。笑っている。
「それはつまり、補給のために森から出てきた私の闘器を、いつでもタコ殴りにできるというわけではないですか? 罠、を張って帝国の部隊を倒し、共和国への心証を良くしようとしているように見えますがなぁ」
「ご想像にお任せ致します。ただ、仮に罠であれば、ここまで状況をお話しするでしょうか。用心深い、我がジャクメルの王ならなさらないでしょう」
「確かに用心深いようで。シャナから部隊は一つしかいない聞いているのでしょう? なのに、わざわざ国を挙げて罠を張ろうというのですからなぁ」
「そう思われぬよう、私が参ったのです。どうぞ、人質として捉えてくださいまし」
「しかしですね、どこの誰とも存ぜぬあなたが、果たして人質と成り得るのでしょうか? 私たちも命は欲しいのです。そのくらいの疑問は浮かぼうというものですよ」
 ピジンは、自分が笑っていることを自覚せざるえない。自分の描いたシナリオ通りにことが運んでいるのだから。あとは、これで信じるかどうか。
 麻布の外套に手をかけ「これは失礼しました。自己紹介がまだでしたね」一枚布である外套を脱ぎ去り、内側の巨大なタペストリーを見せ付ける。
「この国の英雄的将軍、ガリオル・ピジンの妻でございます」
 麻布で織られた、コンドルの頭部を象ったジャクメルの国旗を掲げながら、ピジンは身に付けられる限りの宝石に装飾された自らの姿を露にした。

 木の根がはびこる森の中、暮れていく日に背を向けて闘器が運車を引いて歩く。径が大きな車輪とはいえ森の中。緩衝材が少ないため、ピジンの臀部へ伝わる振動は激しかった。
 そんな、揺れる運車の中に座する男たちが黙り込み、外套に身を包んで佇む一人の男を見上げていた。揺れる運車の中、絶妙なバランスを保って仁王立ちしている男を。
 男は礼をするように軽く頭を下げてから、外套の一端を掴んでひるがえす。
「この国の英雄的将軍、ガリオル・ピジンの妻でございます!」
 副長と呼ばれていた青年である。コンドルの頭部を象るジャクメルの国旗を両手で大きく掲げ、叫んで見せてくれた。歓声とも嬌声ともつかぬ声が沸きあがる。
「あらぁ、私はそんなにはしたなくありませんよぉ」
 ピジンは笑いながら、国旗を丁寧に畳んでから自分の隣に座る副長に文句を言った。なのに彼は「いえ、これ以上でした。大したものです」と、風を押しているような気分にさせてくれる。ピジンと一緒になって笑っていた部隊の者たちも、副長の言を後押しする。
 そんな風にピジンが苛められているのが我慢ならなかったのか、ルーバイスと名乗っていた青年が非難がましい声を上げている。ルーバイスは他の男たちを掻き分けて、最前列に座っているピジンと副長の隣まで辿り着いた。
「副長! 失礼の方がいけないんじゃなかったんですかぁ」
 結局のところ、それはピジンを直接弁護するものではなく、彼自身の疑問であった。ルーバイスの剣幕は噛み付くほどであったが、副長は笑いながら軽くいなしている。
「何を言うんだ、ルーバイス。ピジン婦人が御所望なさるから、さっきの鮮烈な自己紹介を再現してあげただけじゃないですか」
「それもこれも、副長たちが影でひそひそ笑うからじゃないですか」
「でも、なぁ?」
 副長はピジンの脇に置いてある大量の宝石を鷲掴み、運車内に座り込むみんなに見せ付けた。当然、ピジンが身に付けていた装飾品である。
「国旗をマントにしているだけじゃなくて、さらにこんな物を身にまとっての自己紹介だ。噂するなという方がどうかしてますよ。ね?」
 と最後に、副長はこちらに向けて微笑んでくる。そのどこか幼い、自然な笑顔にピジンも思わず微笑んでしまい、それでも文句を言わずにはいられない。まったくこの青年は。女を小馬鹿にすることが上手い。自分も夫や息子がいない若い娘の頃ならばこの青年に惹かれていたのだろうか。いや、むしろ逆か? どちらとも判然としないが、お喋りをするのには楽しい男だと認めながら、文句を挟む。
「そんなに変でしたか? 信じてもらうには一番だと思ったんですけどねぇ。おばさんにはもう、若い人たちの感性はわからないのね」
 文句というよりイジケになってしまった。それならばそれで、ピジンは俯いてヨヨヨと泣いて見せる。
「こいつは失礼しました。いやいや、信じましたよ。見事に。なにせ、我々も略奪行為なんて真似はしたくなかったんですよ。シャナなんて真っ先に反対して飛び出して行きましたからねぇ」
 副長は笑い続けていた。よっぽど気乗りしなかったのだろう。ルーバイスもその点については頷き、それから首を左右に振ってまた、失礼だの失礼でないだの副長にからんでいた。ピジンもそれを見ながら笑い、時々涙を流して見せてルーバイスを狼狽させた。
 要するに、ふざけ合っていた。
 ピジンはそれなりの――事の次第では夫の全財産すら失ってしまうほどの覚悟を秘めて西の森まで赴いたというのに、今となってはこの有様である。打ち解け、ふざけ合い、笑い合っていた。宮廷の中で、これほど楽しく時を過ごせたことがあったかと思えるくらい、ピジンは心安らいでいた。敵のど真ん中だというのに。
 だいたいにして、自分の持つ敵という感覚が緩いだけなのかもしれないが、それだけが原因とは思えない。ピジンが考えるに、あまりにも彼らが武人然としていないのだ。
 普通に町に住んでいる真面目な青年だったり、宮廷のような社交場で女性の尻を追いかけているのが似合う男だったり、それこそ武の道一筋の頑固な男だったり。そんな人たちが不自然に一つの部隊として集まり、こなれて、仲良くなっているような。とても戦のために集まった男たちに見えないだけに、自分の気分が楽なのだと思う。
 自分の推測が正しいのかどうか試そうとしたわけではないのだが、ピジンは思わず尋ねてしまっていた。
「本当に、あなたたちは武人なのですか?」
 するとどうだろう。男たちの歓声嬌声が一時鳴りを潜め、沈黙が横たわる。そうかと思うと一人が無理矢理噴出すようにして笑い、周りの男たちもみんな、伝染したように笑い出す。先程までとは違う、どこか乾いた、空笑いを。
 まずいことを訊いてしまったのだろうか。すみませんと謝るのも、彼らの空笑いを湿らせるに過ぎないと思い至るだけに、ピジンは何も言わずに黙するしかなかった。
「違うんですよ、元々は」
 空笑いに終止符を打ったのは、沈鬱顔の副長だった。それでも微笑むのが彼のアイデンティティーなのだろうか。男たちは空笑いをやめ、副長の言葉を邪魔しまいと黙っていく。
「それを今、このご婦人に言う必要はない」
 押し黙った運車内に、闘器と繋がる伝声管からこもった声がこぼれる。こちらにも沈鬱色が滲んでいるが、恫喝的な調子が強かった。
「しかし、部隊長……」
 未だに口元を緩ませてこそいるが、副長は軍隊調で懇願していた。
「和平の肝となる情報が増えてはならんのだ。不確かに増えていった情報はしょせん噂と成り下がり、事の決定力を低下させる。確かに協力してくれる人も増えるかもしれんが、共和国中心――レイマス自体が動かなければ、本質的に意味はない」
 伝声管から紡がれる台詞はどこか歯切れが悪く、声主の気持ちを代弁するかのように低い調子であった。けれども断固と自分を曲げぬ、強い芯が通っている。副長は奥歯を噛み締めながら、「はい」という、彼には似つかわしくもない素直な返事をこぼしていた。
 そんな、悲しいやり取りばかりがピジンには、いかにも戦を生業とする武人めいて見える。戦争という原因が生み出した、苦しみを抑え込んで闘う武人に。
 苦しいならば、やめれば良いのに。
 楽しいことをすれば良いのに。
 そんなことすら思いつかないのか。それとも、思い付いてもやめられないのが武人というものなのか。女である自分には、そもそも彼らとわかりあうことができないということなのだろうか。わからない。
 わからないけれど、言っておきたいことがあった。
「歯車、というものはご存知ですよね」
 運車にいる男たちが顔を上げることはなかった。けれど、ピジンが何を言うのか耳を傾けるのが気配でわかる。何かを期待しているようにも思えなかったが。
「たぶん私のような女よりも、良くご存知でしょうね。私が知っていることなど、本当に少しのことだけです。どうも複雑な仕組みとなると、理解できそうもありませんから。
 けれども、少しだけ知っているで、聞いてもらえませんか?」
「今、話さなくてはならないことですか?」
 伝声管からは幕を引こうとする、強制的な声音が聞こえてくる。
「他に、お話しすることがありますか? ないのならば、私のお喋りに付き合ってくださりませんか?」
「…………こちらの情報は、お喋りできませよ」
 構いませんとピジンが言ってしまえば、シャナの父はもう止めようとはしなかった。運車内の男たちも、特に止めようとはしない。興味を抱いている様子もないが。
「私が知っている、歯車のお話ですよ。
 貴方たちが住まう帝国ではどのようになっているか知りませんが、ジャクメルは、共和国と交易を持つようになってから小麦が主食となりました。でもこの小麦はイモと違って、一度臼で挽いてしまわないと食べられないんですよ。正確には、熱も通さないと。
 まぁ、重要なのは臼なんですけど……臼って、意外と重いんですよね。女の仕事としてはそれなりに重労働なんですよ。だから、共和国は水車の技術も教えてくれて、ジャクメルでは主に水車で小麦を挽いています。
  でも不思議ですよね? 水車って縦の回転なんですよ。でも、臼は横の回転をしている。そのことがどうしても気になって、昔、製粉をしている方に訊ねたんです。そうしたら、歯車が力の方向を変えているって答えてくれたんですよ。信じられます? こんな小さな歯車がですよ? 頑張ればできるものですねぇ」
 話し終えたが、運車内の空気がそれほど変わったわけではなかった。だが、これ以上語る必要はないだろう。いちいち意味を説いても仕方がないことだし、それこそ沽券に関わるというものだろう。学び取ってもらうというのも、失礼な言い分だが。
「え、あの……もう、終わりなんですか?」
 ルーバイスという青年があっけらかんと訊ねてくる。ピジンは微笑みながら頷いた。
「え、意味がわからないですよ。なんか、意味深なことを言ったんじゃないんですか?」
 ルーバイスが粘ると、副長がわずかに吹き出した。伝染するように、運車内の男たちが小さく笑い出す。
 しかしながら、伝声管からこぼれた台詞は、絶対的に場を支配して静まらせた。きつい口調が、副長に命令を下す。
「副長、その帝国の恥さらしを放り出せ」
 初め、意味が取れなかった運車内は静まり返ったが、副長が立ち上がって伝声管から下った非情な命令を再度隊員たちに繰り返すと、また嬌声と歓声が巻きおこる。
 続けて、シャナの父から副長へ命令が下る。
「副長。ピジン夫人に、教えて差し上げろ」
「自分からでよろしいんですか?」
「ああ。口の達者なおまえの方が、わかりやすい説明ができるだろうさ。無論、全てを語る必要もないがな」
 副長が嬉しそうに返事を返すと、伝声管からは微かに微笑んだような気配が漂ってきた。副長もこちらに向き直り、辛い話なのだろうが微笑みながら切り出してくれる。
 運車の後方では仲間たちによって投げ捨てられたルーバイスの悲鳴が、尾を引いて遠ざかっていくところであった。

「民族大移動、と言ってしまうのが現状なんです。当然、歴史が告げる通り、移動先にあたる所に在住する人々がいれば、争いは避けられない。今回の共和国との戦争は、つまるところそういうものなのです」
「つまり、副長さんもルーバイスさんもシャナちゃんも、正規の武人ではないと」
 副長の頷きは笑みを湛えていたが、口元のシワが奥歯を噛み締めていることをピジンに教えていた。そして、もう開こうとはしない。
 釈然としない説明であった。確かにピジンが疑問を覚えた要点については端的に説明してはくれたのだが、不満と新たな疑問ばかりが生まれてくる。
 ピジンが黙り込んでしまった副長に再び視線を向けると、彼の瞳はナゾナゾを出した子供のようであった。これ以上知りたいのか? 答えはしただろう? とでも言いたげな意地悪な視線である。
「とりあえず、二つだけ聞かせてもらえますか? なぜ、大移動をしなければならなかったのか。もう一つは、なぜ共和国へ向かっているのか」
「住み辛い土地から住み良い土地へ……では納得できませんか?」
 先程の、伝声管からの叱責を気にしているのだろうか。それとも純粋に試されているのだろうか。ピジンにはわからないが、副長は話してくれるだろうと思う。こちらが食らい付く限りは。
「あなた方の土地がそれほど厳しいのであれば、帝国という一つの文化圏を築き上げられますか? なにより、川があり森があり、暖かい日が昇る。これ以上の土地を望めますか」
「ほう? 帝国へお越しになったことがあるのですか?」
「ジャクメルは貿易の国です。貿易商の方が話してくれることもあるのですよ」
「なるほど。はい。確かに帝国は良い土地でしたよ。我々も、できることならこのような辛い旅を強いられることなく、あの土地で安住していたかったです。
 しかし、蹂躙されてまで土地に執着しているわけには行かない。……いや、執着しているからこそ、この辺りまで遠征してきたともいえますが」
 副長は望郷の念に囚われたのだろう。言葉を切り、運車の前方を眺めている。見えるのは運車を引く闘器の背中だけだろう。それを透かすようにして、遠くを眺めている。
 話に戻った。
「順序が逆転してしまいますね。まずは何故、我々が土地を捨てたのか語るべきですよね。
 ご存知でしょうが、我々の土地では、数多くの闘器が発掘されます。この辺りとは違い、ほとんど完全な状態で。その辺が帝国と共和国の闘器の性能差にも繋がるのですが、まぁ、これはいいでしょう。
 問題なのは、数多くの闘器が発掘される土地ということです。そんな発掘現場で、闘器などよりはるかに大きな遺跡が見つかったんですよ。正確には、見つかっていたらしいんですよ。何せ国が隠蔽していたもので。
 結局は、その遺跡ですね。問題点は。闘器とは比べ物にならないその遺跡が起動し、帝国の首都は壊滅しました」
 ははは、と、悲しみすらどこかに置き去って、副長は笑っていた。健気に、笑っていた。
 いつ頃、誰が、どうして、どのように。聞くというのは酷だろう。一交渉人でしかない自分が興味半分で訊ねるものでもないだろう。それこそシャナの父が言う和平交渉を行う者に委ねるべきだろう。
 木々が少し、ざわめき始めた。樹上ではそれなりの風が吹いているのかもしれないが、木立に邪魔され、ピジンの頬に当たる頃にはそよ風に成り果てている。
 彼らにも、この森が安らぎを与えてくれれば良いのだが。
 そう願いながらも、ピジンはまだ、口を塞げなかった。どうしても気になる、最初に挙げたもう一つの質問を訊ねた。
「何故、共和国なのですか? この辺りに来るまでに、いくらでも住み良い土地はあるはずです。どうしてまた、予想される諍いまで引き起こして共和国の築いた文化圏まで踏み入ったのですか?」
「手厳しいですね。まるで邪魔者扱いだ」
「違いますか?」
「いえ、その通りですよ。私たちの国が引き起こした問題で、他国を巻き込むなど。ただ、せねばならないのです。世界を救うためにはね」
「うふふ。世界ですか。大きく出ましたね」
 琴線にでも触れたのだろうか、副長の眼差しが鋭くなる。しかしそれも一瞬、まるで自らを叱責するように自嘲し、語り続ける。
「事実なんですよ。起動した遺跡は移動力を有し、闘器を生産し、破壊の限りを尽くします。手傷を負わせても自ら採掘を行い、資源調達して修理を施す。常識が通用しない兵器なのです。
 そんな遺跡を止めるカギは――それがどのような物かは私たちのような一介の武人には公表されていませんが――それは、どうやら共和国にあるようなので」
 何を言っているの? 南の帝国で発掘された兵器を止めるカギが共和国にある? まさか。そんなわけ。そもそも自己採掘、自己修復する兵器? そんな物があるわけ。……いや、あるから彼らはこんな大移動をしているのだから。丸きりの嘘? まさか。ここに至って嘘を吐く必要なんてない。でも、なら、なら……
「なら、なぜ? なぜそのことを公表しないのです。共和国だけじゃなく、この辺りの国すべてに。世界が危ないのでしょう?」
 自分の台詞に冷ややかな物がある。そのことは隠しきれないとピジンは思う。こんな細かいところを気にかけてどうなるのか。副長の言うことが事実ならば、今の質問にも説明を願いたい。説明できなければ、信じる必要がなくなる。安心できる。
 副長の笑い方も、冷ややかだった。諦めにも似ている。
「信じられませんか? 信じたくないのですか? まぁ、事実は動きませんが……
 仮に共和国に至るまでの道すがら、付近の国全てに公表したとしましょう。信じてくれた国全てが我々帝国に味方してくれたとしましょう。北上するに従い勢力を増していく異国の集団に、共和国は手を貸してくれるでしょうか? おそらく敵愾心を強め、カギを貸してくれるだけでいいという我々の話に耳を傾けてもくれないでしょう」
「そんなことは……」
「少なくとも、お偉方はそう考えました。だから、公表は避けてます。効果だって上がっているんですよ。六日前の――共和国圏に入ったときにぶつかった初戦以外、両国とも境界線を引き、各地の小競り合いしか行われてません。
 事情が事情だけに我々も退くわけには行きませんが、この状態を続けていられれば共和国のお偉方も折れてくれるでしょう。それまで、耐えればいい。幸い、遺跡の方は今、眠っているようなものなので」
 そう言う副長の服は、汚れている。涙がこぼれそうなくらい。
 洗濯はしているようで目だった泥などは付いていないが、染みや綻びが目に付く。きちと洗えれば取れるのかもしれないが、修繕すればまだまだ使えるのかもしれないが、今の状態では衣類の寿命もそう遠いものではない。
 こんな風になっても誰にも助けを求められず、嫌だという略奪を選択してまで、彼らは耐え忍んでいるのだろう。何を言うのも失礼なようだが、火照る目頭が、ピジンに呟かせていた。
「……大変だったのですね」
 副長は何も言わなかった。ただほんの少しだけ視線を下げるように俯き、口の端を引き上げるだけだった。部隊の男たちも、何も言わなかった。ただ黙って、遠くを見ていた。
「勘違いされておられるようだが」
 伝声管からだった。シャナの父であり、この部隊を取り仕切る長である。この男だけは初めから武人なのだろう。そんな調子で続けた。
「英雄というものは、手柄を独り占めしたいのですよ」
「……え? え、あ、はぁ?」
 ピジンが伝声管から漏れ出た言葉に当惑していると、副長や部隊の男たちから快活な笑い声が上がった。そして、温度の下がっていた運車内に喧騒が広がっていく。やれ、俺たちは世界の英雄になるんだ、とか、他の奴らにこんな手柄はやれねぇな、とか。隣でも、物静かに笑うのが似合っていた副長ですら、やけくそ気味ではあるが、大声を上げて笑っていた。
 強い方々だ。
 原因の発生までは良くわからないが、遺跡が動き出したことは、この人たちには何の責任もないことなのだろう。なのに汚れ役を一手に引き受け、悲しみにくれるのではなく笑いながら、仕方なく闘う。仕方なくも、闘い続けることができる。
 これが、武人というものなのだろうか。
 ピジンは、共和国へと派遣され、しばらく見ることすらない夫の顔を思い出していた。『何の罪もない奴らを殺しに行くよ』と、微笑みながら言ってのけた夫の顔を。
 嘆息にも似た、安堵の息が漏れた。夫のあの笑顔の意味がわかった安心感もあるのだろうけれど、副長や運車内にいる彼らの笑顔が原因だろう。この息に含まれた意味などピジン自身にもよくわからないが、自分もまた、自然な笑顔が作れるようになった。
 伝声管に向け、どこか清々しい気持ちでピジンは訊ねた。
「まだ私にも、何かできることがありませんか?」
 副長が慌てたように「いえ、補給が受けられるだけでも充分ですよ」というのだが、ピジンは無言を通す伝声管の向こうにしつこく続ける。
「ありますよね? そうでなければ、奇襲が看破される危険を冒してまで敵国へ逃亡する者を見逃したりはしません。もっとも、あなたが本当に望むのであれば、ですけど」
 沈黙は、大事なものを手放すためには必要なものだったと思う。
「……引き受けて、もらえますか?」
「構いませんよ。あの子は良い子ですから」
「……かたじけない」
 禿頭の厳つい彼も、涙ぐらいは流したかもしれない。古代人が残した闘うための遺産に包まれ、見えるはずもないことではあるが。

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