■ disorder 秩序破壊者 ■

早稲 実

   4.闘器

 飽食と事務仕事という掛け合わせでは、彼の腹部が膨らむのも無理はない。だから安易に豚野郎と決め込むのはいささか失礼だろう。しかしながら、太っていることには代わりがない。恰幅が良いと呼べば良いのか。
 シャナは両足を抱えて座り込み、青空を仰いで日の傾きを測る王様を眺めて訊ねてみた。
「宮廷を出ちゃっていいんですか?」
 王様は憮然とした面持ちでこちらを見下ろした。西日と呼ばれるほど流れた太陽は日差しが強く、彼の顔に影を作るので表情は見えない。表情を変えたとも思えないが。
「無礼に無礼で返すという礼儀はないのでな」
 そして十二分に時を計り終えたのか、王様はシャナの隣に置いてある椅子に座る。貧乏人が常に動いていなければ落ち着かないように、足を小刻みに揺すっていた。
「日が落ちれば、さすがに引き返すぞ」
「……はい」
 それはやむ終えないと思う。ピジンが遅れているだけの話かもしれないが、父があくまでもこの国を襲おうとしている可能性はある。ならば、この辺りの人々を避難させられただけでも良しとするしかなかった。
 それはさておき、無礼とは自分のことだろうか? だろうな。それは偶然が偶然を呼んだ結果なのだが、部隊から見放された自分が、一国の――敵の王様に補給を頼み込む。襲うぞ、と脅しをかけながら。紛れもなく無礼である。
 けれどこの王様は、補給を引き受けてくれるどころか部隊の長に会う必要があるといって、森付近の、舗装どころか均されているだけというここに、今いる。もちろんピジンに言っていたように厳重な護衛隊と二機の闘器を引き連れてはいるが、煌びやかな自室から一歩も外に出る必要ない人が、今は土の上に椅子を運んでそこに座っている。それでもまだ威厳を示すつもりか、椅子はひたすらに豪奢なものであったが。
 首まで凭れることのできる、革張りの黒椅子だった。王様の臀部が沈み込むのは、彼の貯えた脂肪のためだけではないだろう。
「おまえは座らぬのか」
 シャナにも同じような椅子が用意されていた。王様の言い分では、補給を行うと決めたからには、自分は客人としてもてなされる、ということらしい。しかしシャナには、その豪奢な椅子があまりに不釣合いなためか、状況が状況だからなのか、処刑台に上げられているようでどうしても避けたかった。ピジンには悪いが、純白のドレスを土にこすり付けている方がまだ気が楽だった。まぁ、母がくれたハンカチを敷いてはいるが。
「王様は、良い人なんですか?」
「また、ずいぶんと失礼な質問だな」
「すみません……」
 武装した護衛たちは王から遠ざかっていた。シャナがナイフの一本でも隠し持っていれば――持っていなくともそれなりの体術を会得していれば、隣に座る王を難なく殺害できることだろう。信頼してくれているのだろうか。侮られているのだろうか。どちらにせよシャナは、ナイフもなければ何かの奥義を会得しているわけではないが。
 王がため息を吐いた。嘲うような調子で。
「良い人では、ないと思うな」
「へ?」
「いよいよ持って失礼な娘だな、きみは。自分が言い出した質問だろうが」
「え、あ……沈黙があまりにも長かったものですから」
「ふむ。失礼は私だったかな」
 なんともいえないが、非礼を詫びるつもりはないようだ。痛み分け? 両成敗? どちらとも相応しくない表現のようだが、シャナの胸にはそんなわだかまりが残った。
「私はな、しょせん、国を守ることにしか能のない男なのだよ。そう育てられたし、それで良いと思っている。改善するのは民だ。異議を申し立てるなり、党を立てるなり、なんなら今の体制をぶっ潰されても良いと思っている」
 シャナは首を捻じ曲げるようにして、豪奢な椅子に踏ん反り返る王を眺めた。また逆光が彼を隠しているが、それはちょうど良いのかもしれない。彼の顔が見えればきっと、自分が反感を抱きたくなるような表情をしているに違いない。
「けれどな、大勢の人間がいれば当然、富める者も貧する者も生まれるわけで、富める者が多い間は現体制もまぁ、まんざら捨てたものじゃないと思っておるのだ。だから行き過ぎとも言える取次ぎとか、王族の享楽も悪くはないと思っている。享楽を甘受させることも誰かの仕事であることには変わりないし、私自身は素直に心地よいしな。
 こんな私は、ダメな統率者かな?」
「あたしには、良くわかりません。けど、一国の王様なら、せめて自国の人々くらいみんな幸せにしてあげてください」
 また、王様はため息を吐いた。また、自嘲するように。
「理想と現実の区別もつかぬか――物分りの悪い小娘だ」
 今のため息は自分を嘲ったものだったのだろうか。シャナには良くわからないが、特に感に触ることなく聞き流せた。王の悩みなんてわかるわけもないし、わかりたくもない。ただ一つだけ、これだけは訊ねたかった。
「なんで、そんな話を?」
「こんな状況でもなければ、平民などとは口を利けぬ身分なのでな」
 利けば、付き従ってきてくれた者たちを落胆させてしまうし。そんな言葉が言外に含まれているような気がした。護衛を遠ざける訳だ、と思う。すぐ敵となってしまう自分は体の良い、壁にこびり付いた人型の染みみたいなものなのだろう。
 風が吹いた。
 森の木々がささやかにざわめく位の、頬を撫でるくらいのわずかな風が幾度か。
 そして、木々が大きくざわめきだしたと思うと、腹の底の方がわずかに震える。定期的に。次第に音として感じ取れるほどになり、音自体も大きくなっていく。森と畑を分ける、森の入り口ともいえる茂みが巨大な足に踏み潰され、次いで大きな手が木立を掻き分け、一体の闘器が現れた。黒くなるほどなめした皮を幾重にも重ねた装甲だが、比較的細みである父の闘器が。朱を混ぜ始めた日の光りに照らされ、乾いた血の色をしている。
 王様は椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。遥かに後ろで、追従するように護衛たちが動き出すのが感じられる。
 王様は足を止めただけだった。
「国を守るためのことは、さすがにさせてもらうよ」
 王様はそう言うとき、肩越しに振り返っていた。何を言っているのかよくわからなかったシャナが何も言えずにいると、彼は囁くように呟いた。
「さすがに間を空けすぎたてしまったか。詫びよう」
 頭は下げなかったが、王様はわずかに微笑んだ。小さな笑みだったが、どこか強い悲しみを秘めているような気がした。夕日のせいだろうか。よくわからなかったが、シャナは思い出したように立ち上がった。そして、王に駆け寄る。
 別に、彼に好感を抱いたわけではない。やっぱり嫌いだった。けれども、そんな彼が補給や交渉に立ち会って良いと言ってくれていたのを思い出した。捕虜である、拷問されたり処刑されたりしていても文句は言えない立場にいる自分に。だから、王に駆け寄った。
 隣に並ぶと彼は、威厳と傲慢を併せ持った、奢り高ぶった顔をしていた。神妙にしているが、どこか憮然と面倒臭そうだった。国を守るためのことは――という台詞のくだりは、実は罠でした、という展開も連想できないことはない。
 けれど、それも何か、心底彼を憎むことはできないような気がする。
 王という役職に身を置く彼だが、きっと悪い人ではないのだろう。良い人とも思えないけれども。
 そんな自分は、良い人かもしれない。
 自分の言う良い人とは、ただの影響されやすいお人好しのことかもしれない、とすら思いながら、シャナは王様の隣に並んで歩く。
 国境沿いで佇む、血痕色の巨体目指して。

 運車から降りてきたのは、捕虜となったピジンと副長だけだった。他のみんなを呼ばないのは、不必要に警戒させないためだろうか。その様子からシャナと同じ答えを導き出したらしい王は、後ろから追従する近衛隊の人たちを片手で押し留めた。
 森を歩きやすいサッパリとした服装のピジンを隣に並ばせ、より質素と汚れをまとった服を身に付けた副長が歩いてくる。シャナは王と並び立ち、ピジンと副長が眼前に来るのを待っていた。強いられてもいないのに、背中に差し金が当てられたような緊張感が満ちている。
「この部隊の副長を勤めさせてもらっている、シュティッツ・プラハーガと申します。この度はこちらの無茶な要望を飲んでいただけたことに関し、感謝をさせていただきたい」
「構わぬよ。こちらも国防のために選んだ苦肉の策でしかない。突き上げをくらった挙句のな。それでも感謝していただけるのなら、名乗らぬ無礼を許していただきたい。何せ、世襲するごとに名を足していくという難儀な風習があるものでな。
 ところで、隊長殿は負傷なされたのか」
「そうよ、副長。父さんがなんで出てこないの? 失礼じゃない」
「あらあら、シャナちゃん。あなたはどちらの味方なのかしら?」
「それはピジン御婦人にもお聞きしたいものですな」
「あら、王様。私はいつだってジャクメルの、曳いてはあなた様の味方ですわよ」
 王に対するピジンの返答はどこまでも笑顔なのだが、彼らが宮廷内で言い争っていたような、奇妙に嫌らしい空気を引き摺っていた。
 そんな雰囲気を一掃するためにか、副長が咳払いを一つ。拭いきれず、間を置いてもう一つした。それでも足りないと見るや、眼差しを変えた。
 おもむろにピジンの肩を掴み、自らの背後に引き倒す。
「捕虜は黙っていてもらえませんか」
 引き倒されたピジンは受身も取れずに呆然と副長を見上げていたが、彼は一瞥したに過ぎなかった。捕虜は捕虜。無事でありさえすればそれで良いという事なんだろうか。ピジンを助け起こそうと駆け出したシャナを止めた、見たこともないような副長の冷めた眼差しがそう思わせる。確かにあんな目ができる人なら、普段自分と笑い合っていても人を殺すことができそうだ。
「ウチの者は丁重に扱ってもらえているらしいな」
 降りかけていた沈黙の帳を押し上げたのは、王だった。
「こちらとしては意外でしたよ。ずいぶんと捕虜を優遇なさるのですね。まるでどこぞのお姫様のようだ。養女にでもなさいますか? ま、こちらとしてはそのような裏切り者、抜けようと大した痛手ではありませんが」
「副長!」
 なんでそんなことを言うの? 泣き出したいくらいだった。この場でこんなひらひらした服、脱ぎ去っても構わない。なのに、「黙っていろ」と告げた副長のあの目がまた、シャナの言葉を塞いだ。
 見たことのない目だ。一緒に笑ったし、一緒にご飯を食べたし、服の解れも直してあげたことがあった。一度はあたしを口説いたじゃないか! そんな言葉が胸からこみ上げたが、一度も戦場には連れて行ってくれなかった事実が、その全てを押し殺してしまった。
 何も言えなくなったシャナに代わり、王が口を開いた。けれども別に、シャナに対する弁解の台詞などではなく、結局交渉なのだが。
「どうでも良いが、隊長殿へのお目通り叶わないのか? 若い者はどうも気が散るらしく、まともな交渉が持てるとも思えんのでな」
「それは、裏切り者から進言されての要望でしょうか? どちらにせよ、敵地で闘器から降りろというお望みは叶えられません。ともかく、隊長が搭乗してる際は指揮の全権を委ねられてますので、交渉には私をお使いください」
「そりゃまた、大上段だな」
「侵略者は、いつでも大威張りなものですよ」
 副長の言葉に王は、口の端を引き上げて笑みを作った。そして、副長も笑う。
 どこかピジンとの口論のような雰囲気が漂っていないでもないが、凍てつく寒さみたいに、肌に針が刺さるような居た堪れなさが渦巻いている。
 少し、王は声を漏らして笑った。どこかで区切りを付けたのか、再び口を開く。
「では、補給に関するこちらの条件を提示しようか」
「条件? 玄関まで上がり込んできた強盗にですか?」
「ウチの者が何をどこまで喋ったか知らないが、ネズミ捕りの中で暴れるネズミもおらぬだろう?」
 どちらも表情には出さないが、どちらも怯えているようだった。まるで自ら油を被って、火の輪を潜ろうとしているような。ただそれは、シャナが二人の醸す空気に当てられてそう感じるだけのことかもしれないが。
 先に折れたのは、副長だった。
「……条件というのは?」
「なに、簡単だ。試合をしてはくれんか? こちらも一体、そちらも一体。我が国の闘器を破壊してくれれば良い。ただそれだけだ」
「共和国との初戦を聞いてはおりませんか?」
「辺境な国なものでな。情報が遅くて叶わない。シャナサーミがほら吹きかも知れぬしな」
 副長はあまり彼が見せない仕草を見せた。つまりは顎に手をあて、考え込む格好のことなのだが。どうも、飄々と笑っているだけの彼しか知らないシャナからは浮いて見える。状況が許せば吹き出していたかもしれないが、今はただ、固唾を呑んで見守ってしまう。
「……わかりました。その代わり、捕虜の交換は補給の後ということで」
「当然だろう」
「では、失礼します」
 そして、副長は未だに尻餅を付いていたピジンを乱暴に引き起こし、運車の方へと連れ去ってしまう。王も背を向け、歩き出してしまった。
 どちらに足を踏み出して良いものか。
 シャナはその一歩に戸惑い、踏み出しあぐねていると、王の声が聞こえてくる。
「プラハーガ氏が言っておったであろう? 人質の交換は補給の後になると」
 プラハーガって誰?
 王の言った人名は良くわからなかったが、とにかく『人質の交換は補給の後になる』という台詞は、妙に耳に触りが良い響きを持っていた。

「確かに、強いものだ」
 王のこの一言は、酷く淡白だった。憤りも悲哀もなく、ただ事実を述べただけのものであったから、シャナも素直に父の勝利を喜ぶことができた。
 圧倒的だったのだ。
 試合は、ジャクメルのルールに則り行われた。ルールをシャナに教えてくれたのは王だった。だから今回使用されるルールが本当にジャクメルで正式採用されているのかは定かでないが、ともかく、言ってしまえば何でもあり。開始の旗が上げられて始まり、終了の旗が上げられて試合が終わる。その間は何をしようと許されるという、原始的な法だった。初めに一定の距離をとって相対していさえすれば、森に隠れて奇襲するもよし、狙いを操縦桶に合わせて相手を殺すも良し。王が勝負有りと判断するまで、いつまでも闘い続けるというものである。
 国の代表が生きるか死ぬか。
 敵を殺すか、脅威に屈服するか。
 完全なる二者択一であるため、王やシャナから距離をとっていた警備の者たちからも、密やかな談義が聞こえてきた。闘器にも乗っていないというのに、彼らが鞘を握る音が聞こえてきたものだ。
 そして、夕日に照らされた旗が上がっていく。
 どちらも動かなかった。
 薄いが、まんべんなく全身に鉄装甲を貼り付けたジャクメルの闘器も。西日に血染めとされた、父の黒闘器も。
 ジャクメルの闘器は鞘から抜き放った剣をまっすぐ、腹から生やすように黒闘器の喉元に向けるだけだった。父の闘器も似たようなものだ。篭手に短剣をくっつけたような――父はケード・コックルと呼んでいる――武器を両手に携えるだけで、腰を落として佇んでいた。
 息を飲む時――と呼ぶには長すぎる時間にシャナは何度か唾を飲み込み、警備の兵隊たちも段々と騒がしくなってきた頃、ようやく動き出した。
 父の操る闘器が不用意とも言えるほど大股で一歩を踏み出した。平時に、人が普通に歩くように。
 開始の旗が上げられた時点で二機の闘器の距離はそれなりに開いていた。とはいえ、巨大な闘器が大股で歩けば五歩と満たない距離である。だというのに、父は腰をやや落とす以外に構えもとらず、三歩目を歩みだした。
 ジャクメルの闘器はそこで一歩分、摺り足で下がったのだが、父が四歩目を踏み出した瞬間に前へと跳んだ。そこでようやくシャナは、ジャクメルの闘器が下がったのは、跳び込んで斬るため、足を溜めたのだと悟った。
 シャナの頭が戦況を理解する間も、時は止まらない。
 すでに血を吸ったかのように西日に照らされた長剣は、シャナの瞳に弧の残像を描きながら黒闘器の頭上へと振っていく。腕も上げていない状態では間に合わない! そう、目を瞑ろうとしても叶わないわずかな時間に、黒闘器は縮んだ。
 屈んでいた。
 歩むように大きく踏み出した足を限界まで折り、黒の闘器は屈んでいた。その反動すら用いて腕を跳ね上げ、頭上で交差し、ジャクメルの闘器が振り下ろした剣を受け止める。
 力勝負が始まったようだった。
 しかし、すぐさま終焉を迎える。
 長剣をケード・コックルの篭手で受け止めた父の闘器が、交差する腕を摺り上げながら立ち上がっていく。最後に、立ち上がる勢いすらも利用して交差した腕を左右に広げ、長剣を弾き飛ばした。
 ジャクメルの闘器が自分の力で立っていられたのはそれが最後だった。弾き飛ばされた自らの長剣に平衡を奪われ、父の振り下ろす両手のケード・コックルの刃に両肩口から喉元を袈裟切りに裂かれる。あとはゆっくりと、闘器内に満たされた動源水をこぼしながら、くず折れるだけであった。
 搭乗者は、死んではいないだろう。父の振り下ろした刃の角度は、操縦桶に届くほど深くない。ほとんど首を切り落とすためだけの角度しかつけられていないかった。
 ざわめきはあった。しかし次第に、警護の人たちも何も言えなくなる。それほどに圧倒的だった。父がこれほど強かったとは。驚きと興奮と喜びが、シャナの胸の中で跳ね回っていた。が、立場が立場だけに声を上げてはしゃぐこともできない。
 けど、重力すら味方に付けたジャクメルの闘器の長剣を難なく押しのけ、一撃で仕留める。体重の乗った切捨ての一撃を受け止め、さすがに篭手は傷ついただろうが、無傷な父の闘器の強さ。圧倒的だ。絶対的だ。ジャクメルの人間の口を塞ぐほど。無敵だ。
 そう思えてしまう。それだけに、王の「確かに、強いものだ」という発言に感情が伴っていなかったことは、シャナの箍を外していった。
「ですよね。凄いですよね。補給は良いんですよね」
「う、うむ……そんなことは初めから」
 するつもりであったよ。と言いたげげな気の抜けた表情は、彼には似つかわしくなかった。途中で彼自身も気が付いたのか、精一杯顔付きを引き締め、王は豪奢な椅子から立ち上がって終了の旗を上げさせた。そんな物が意味を成さないことは重々承知なのだろうが、上げさせてから、警護の者たちに補給を始めるよう命令を出したようだ。離れて観戦していた彼らが慌しく動き出し、王本人は椅子の元に戻ってくる。
「しかし、あそこまで圧倒されるとはな」
 どこか鼻持ちならない、こちらを見下したような威厳を付けたままだった。けれども。
「ピジン将軍でも勝てるかどうか……」
 憂慮ではあるのだろう。けれども、どこかスガスガしい物言いである。そんな言葉遣いは、シャナの口をも軽くさせた。
「ピジンさん……搭乗者なんですか?」
「あれの夫だ。救国の英雄といったところで、ジャクメルで最強の搭乗者だ」
「そーなんですかぁ……ううん。でも、あたしの父が勝ちますよ」
「かも、知れぬな。あれほど間接球に安定されてはな」
 間接、きゅう?
 よくわからない単語が現れてシャナの頭は混乱しないでもなかったが、これだけははっきりと理解できる。王は、ピジンの夫よりも自分の父が劣ると思っているということは。
 真っ向から非難したいところではあるのだが、今の状況では頬を膨らませるのが精一杯の抵抗ではないだろうか。
 けれども王は、見向きもせずに駆け寄ってきた武人の一人と話をしている。
「あの者たちが見当たりません」
「う〜む……まぁ、問題はないだろう……まったく、これだから平民上がりは」
 王は結局、自分の悩みに頭を煩わし、シャナには構ってくれなかった。


「間接球……ですか?」
 プラハーガと名乗った彼は、酷く落ち着いていた。今し方、ジャクメルの闘器と自らの隊長が試合ったばかりだというのに、気負いというものがない。
「そうです、ピジン婦人。別段、我々の闘器が強力な訳ではなく、その一点においてのみ優れているのですよ」
 そう説明してくれる副長からピジンはいったん視線を切り離し、首元を切り裂かれた闘器を見やった。首から上は勢いのままに飛び、残った身体は膝からくず折れていく。視覚を司る頭部を切り離されては、もはや勝負にはならない。程なくして終了を告げる旗が掲げられた。
「それだけで、この結果ですか」
「はい」
 ピジンの見立ててでは、闘器自体が持つ力、速さ、自由度――全てにおいてシャナの父が操る闘器が勝って見えた。いや、見物していた誰しもがそう考えるほど、事実圧倒的な快勝ではないか。けれども、副長は間接球においてのみ、勝っているという。
 彼は、話続けてくれた。
「一般には、闘器は陶器製の素体であるとしか知られておりません。中は空洞。そこに動源水となる液体を満たしていると。しかしながら、実はその情報は嘘なのです」
 まだ、自分のわかる話なのだと、ピジンは後を継いだ。
「内側に特殊な線材である芯を入れることにより、より動きに自在性を与えている――複製を抑えるために国が行う情報操作ですね」
 副長は意外そうに微笑み、続けた。そこにはピジンを引き倒した面影など欠片もない。本来彼が持つ、どこか飄々としたあどけない笑顔だけが存在した。
「物知りですね」
「自宅に整備室がありましてね、少しは」
「そうですか……しかし、微妙に違いますね。だってそうでしょう? 芯の在る無しが判明したくらいであんな物が作れますか? 現代の技術で」
 そう言ってピジンから視線を切る副長は、こちらの運車まで近づいてくる、隊長の乗る闘器を眺めていた。西日に隠されながら、まるでそこにだけ夜をまとった巨大な兵器を。
「……確かに」
「察するに、作れない言い訳をすり替えたんでしょう。帝国にはそんな馬鹿げた情報は流されていない。まったく、威厳に溺れた王国らし――っと失言でしたね」
「いえ、事実ですよ」
 微笑み返してあげると、ふいに苦い物を食べた時のようだった副長の表情が和らいだ。
「では、続けましょうか。
 芯を持つことで闘器は、外骨格に限りなく近い素体を持ちながら内骨格生物ほどの自由性を持ちえることが可能――けれど、その要は間接球なのですよ」
「噛み砕いてくださるかしら?」
 副長は口をへの字に曲げたが、すぐさま何やら思い浮かんだらしい。微笑を取り戻して屈伸運動を始める。二、三繰り返してから、ゆっくりと屈みだす。
「この時、太腿から脹脛への力の伝達は、必ず一点を通り抜けますよね」
「膝、ですか?」
「はい。しかしながら、闘器の場合は膝というほど複雑な機構を持たず、間接球という磨耗しやすい玉を利用するわけです。他にも色々付いているんですが、結局それらは曲がる方向を定めるだけの物でしかありません……磨耗しやすい理由はわかりますよね?」
「一部を脆くすることで全体を守るため、だったかしら?」
「ご名答。他にも間接の動きを滑らかにするとかありますが、今の説明には不要なので省きますよ。
 では、それほど頻繁に取り替える間接球がどうして重要なのか。なぜ、これほどまでに性能の差を生み出すのか。の説明に移りましょう。
 確か、共和国圏の闘器はパーツごとに発掘されると聞きましたが?」
「はい。稀に完全のまま発掘されることもあるそうですけどね」
「その差なのでしょうね。帝国で発掘される物は大抵完全体です」
 そうして、副長はまた屈み、今度はゆっくりと立ち上がる。
「先程も言ったとおり、力は各部へ流れる時に必ず間接球を通過します。その際、現代の技術で蘇らせた間接ではどうしても間接球を通る力の流れが安定せず、力が削がれてしまうのでしょう」
「つまるところ、本来持ちえている力は互角だけれど、その力を生かしきれないからジャクメルの闘器は負けてしまった。そういうことですか?」
「はい――まぁその分、間接球に頼らないために長剣という長い得物を持ち、内部からの力ではなく遠心力や重力を用いる戦闘法は正しいですよ。そしてどうしても補えない速さを捨て、鉄装甲を採用したことも英断です。ジャクメルは強い国ですよ」
「その内部の力の差を最大に利用し、あたかも絶対的な強さを見せ付けるおたくの隊長さんも、さすがですねぇ。道の上だけという、畑を荒らさないという余裕ある配慮にも、私からは感嘆の声しかひねり出せません」
 副長がこちらを見ている顔付きが違う。当てが外れた、とでも言いたげな顔である。ピジンは軽く笑って、嫌味をやめてあげた。
「ウチの夫がこの戦闘法を考えたとでも思いましたか?」
「あれ? 外れましたか……英雄だと言っていたものだから、てっきり」
 闘器の試合が巻き起こした土ぼこりも完全に沈静化していた。だからようやく、全てが終わった安堵感にピジンは大きく深呼吸をする。これで補給も行われる。あの偏屈な王も、まさかこれだけの力の差を見せ付けられて補給を断りはしないだろう。疑ってはいなかったが、シャナの父ももう、篭手と短剣が一体化したような両手の武器を膝元の鞘に収めていた。
「いえ、私の夫が考案したものですよ。お褒めに預かり、夫も喜んでいることでしょう」
「えぇ? じゃ、じゃぁ、なんであんな嫌味なことを言うんですか」
「お世辞は、悟られちゃ逆効果なんですよ? それに、引き倒されたお返しです」
 笑って許してあげると、副長は困ったように微笑んでから、頭を掻いた。
「え、あ、でもあれは、シャナが里心を出さないようにって」
「年上の女性の執念深さ、甘く見てはいけませんよ」
「べ、別に、甘く見てるわけじゃ――……勉強し直します」
 どこかしょぼくれて見せる彼を見て、それからピジンはシャナの父親が乗る黒塗りの闘器を見て、微笑んだ。ああ結局、私には武人の人が考えていることなんてわからない。なんでこんなに楽しくお話できるのに、あんな物に乗って殺し合いをするのだろうか。
 ジャクメルの近衛団たちが次々と、どこかおっかなビックリな様子で黒闘器に近づいてくる。正確には黒闘器が佇む傍らにある、運車があるこちらに。補給物資を運び込むために。その補給は、自分の夫と戦うために受けるのだ。
 背後の茂みが掻き分けられた。
「あら、ルーバイスさん?」
 念には念をと、隊長は彼に森の中の警戒を任せていた。交渉の場に立ち会えない、己の身分の低さを嘆きながら森へと消えていったルーバイスがなぜ今また、茂みを掻き分け、息せき切って舞い戻ってきたのか。王がまだ何か? あれほどの惨敗だったというのに。
「どうした。何を言っているのかわからんぞ。落ち着けルーバイス」
 副長が、息も絶え絶え何かを伝えようとしているルーバイスに深呼吸を命じていた。その光景は、補給を成すということで緊張感を途切れさせたジャクメルの武人たちにも奇異に移ったのだろう。みんなが手を止め、こちらを見守っている。
 誰かが悲鳴を上げた。
 黒塗りの闘器の傍に居た者だった。
 シャナの父親が、森に向き直ったらしい。腰を屈め、膝付近に収めたあの両手の武器をまた引き抜く。構えをとっていた。
「ふ、副長……はぁ、はぁ……闘器が、闘器がきます!」
 森の木立を横薙ぎに切断し、現れたのは、息子の闘器だった。

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