■ disorder 秩序破壊者 ■

早稲 実

   5.夢へ

 操縦桶の中は、閉鎖された暗闇の世界だ。
 これは書物から得ただけではなく、クレオが見せてくれたのだから、レオネの中では珍しく実感が伴う知識である。
 別に、他人より物を見ていないわけではない。平民が文官になるには、名家生まれの者より多くの知識が必要なのだ。実際に見てきたもの以上に、書物からの、経験を伴わない知識があるだけである。それは結局、形あるものに触れるべき時間を、文字を追うことに費やしてきたということに変わりないのだが、レオネは悲しくもないし、悔やんでもいない。平民生まれの自分が、同期の名家生まれの奴らよりも大きな権力を持てたのだから。もったいなかったと思う日はあっても、悲しいとも辛いとも思ったことはない。
 けれど、クレオは何故なのだろう。
「休みもとらず……平気なのか?」
「もう、日も暮れ始めてるだろうが」
 伝声管から伝わる声音は、控えめだが、苛立ちを隠しきれていなかった。
 休むつもりはさらさらないのだろう。しかし、本当に平気なのだろうか。いや、平気なわけがない。暗い閉鎖された空間で、画面だけを見詰めて闘器を動かし続ける。平地ならまだしも、緑葉や枝が視界を阻み、窪みや木の根が足を掬う森なのだから。
 神経をすり減らす行軍を始めて、もうそれなりの時間が経過した。森の北側から侵入し、もうそろそろ昨夜、件の闘器と出くわした地点に辿り着くはずだった。まぁ、闘器の速度と地図から割り出した距離感だから、目的地点に辿り着いてもそこだと明確にわかるわけでもないのだが。
 木の葉の隙間から覗いた空は、赤みを帯び始めていた。そろそろ国境に引き返して防衛に徹しても良いかもしれない。いつ来るとも知れない敵を待ち続けることは心に負荷をかけるのだろうが、肉体的な負担くらいは軽減してくれるだろう。
 レオネはもう一度太陽の高さ――は枝に隠れて見えないので、空の赤味を眺めてから伝声管に語りかけた。
「もう、引き返そう……」
 クレオが操る闘器が、足を止めた。だが、向きを変えようとはしなかった。
 引き返し、国境の警備に就こう。それではとどのつまり、敵方の闘器が攻め込んできたのなら、クレオが迎え撃ち、畑はズタボロになってしまう。いや、そもそも昨日見かけた闘器は逃げ帰ったかもしれない。単独ならば、無理に国と事を構える必要もないはずだった。もしそうならば、畑も国にも被害はない。
 結局何もしなかった自分は、死罪となるのだろうが。
 王は、このレオネが立案した積極的警護を承諾してくれた。けれども快くとはとても言えず、王は、無礼の限りを尽くした自分に、今回を境に文官としての地位を剥奪することを宣言した。その上で手柄がなければ、当然……
 大丈夫。悔いはない。
 レオネが文官を志したのは、もとより平民の命を軽んずる政治が許せなかったからである。だから、保身に走って他人の不幸を甘受するようなことだけは許されなかった。したくなかった。
 だから、悔いはない。
 仮に、今回の件が無駄であろうとも。
「……まだだ」
「もう空も赤み始めた。時期に暗くなる」
「まだ、暗くない」
「意地を張るな。まだ、国境に戻ってからも警備は続くんだ。視界はもう悪くなり始めてるだろ? ここで疲れても無駄なんだよ」
「疲れてない」
「嘘を付くな。闘器の操縦だけでも神経をすり減らしてるはずだ。その上、これだけ森の中を探索すれば疲れるに決まってるだろ!」
「疲れてないって言ってるだろ!」
「嘘を付くなって言うんだよ!」
「泣くなよ!」
「泣いてねぇよ!」
 泣いてるわけ、ねぇだろ……
 そして伝声管は、もう咆えなかった。
 樹上ではそれなりに強風が吹いているのかもしれないが、枝や木立に遮られ、頬に当たる頃には柔らかい。煩わしいくらいに、優しかった。
「王様はなんて言ってたんだよ」
「意味、わかんねぇよ……」
「いきなり進言した提案が即答された例なんて、ほとんどないだろ。おまえみたいな平民出の奴が進言したってぇならなおさらだ。だから俺は、夜までは命令が出ないと思って、闘器を完全に整備してたんだ。万全の体制で戦えるようにな。
 国境際で止められれば上出来、そう思ってな。
 けどおまえは、昼過ぎには戻ってきて、国境付近を荒らされないように森の中で決着をつけるって言い出す。無謀だと思ったよ」
「先に言えよ。そういうことは」
「どうせ王様がそうしろって言うと思ってたんだよ。けど、おまえはその無謀な提案をあの野郎に呑ませた。正直、おまえの手腕には舌を巻いたよ」
「そうかよ……」
「……王は、どんな条件をつけてきたんだよ」
 聞いてどうするつもりなんだ? どうにかできるつもりか? 一介の武人が王にどうやって進言するつもりなんだ? 大っ嫌いな英雄のお父様にでも助けを求めてくれでもするのか? それなら大丈夫かもしれないな。
 自分が名家の生まれなら、とレオネは付け足す。
「文官、除名……」
 しばらく、伝声管からは何も聞こえなかった。
 応える代わりに、クレオは闘器を歩かせた。
「無駄だって言ったろ。引き換えせよ」
「無駄って言うなよ!」
 今までにないほどの叫び声だったが、伝声管から漏れる音はそれほどでもなかった。操縦桶の中では、耳を劈くほどの絶叫だったに違いない。それを思うと、レオネは呆気に取られてしまった。
 闘器は黙々と歩いた。次の言葉が発せられるまでは、ずいぶんと間が置かれた。
「無駄って、言うなよ」
 今度は、泣き出しそうな調子だった。彼が操る闘器の、見るからに強靭な下半身の装甲や、緩衝帯がむき出しの頭部を見る限りでは、連想もできない感情ではあるが。
「俺はな、馬鹿なんだよ」
「………………」
「だから母さんとか、おまえとか、整備士の連中とか、他にも色々、ほんとに色んな奴に助けてもらって今、ここにいる。でも俺は、やっぱり馬鹿だからよ、お礼なんてできないし、つい悪口も吐いちまうし、叩きやすそうな後頭部があったら殴っちまう。できることなんて、喧嘩くらいだ」
 悔やんでいるような調子だった。素直な奴だ。やはり馬鹿なのだろう。普通、この歳にもなれば、失敗したことやできないことを自分の中で韜晦させ、有耶無耶にして、悔いを残さないものだというのに。残していたら、引き摺られて、生きることすら苦痛に思える。
「だから、俺は戦場にいなくちゃダメなんだ。そして必ず勝ち、英雄になって、母さんやおまえとか、他にも色々な――とにかくみんなだ。俺を助けてくれた全ての奴のために凄くならなきゃいけない。負けられない」
 なんなんだ、本当に……そんなガキみたいな使命感を掲げて生きていくつもりなのか? これだから現実を知らない甘ちゃんはいけない。……いや、名家生まれの者でも己の分くらいは弁えていそうなものなのだが。
「だから――だからよ、おまえはこんなとこで文官を辞めちゃ行けねぇんだ。おまえは英雄の片腕でなくちゃいけない」
 何を言ってる? おまえを派遣軍から外したのは私なのだぞ。知らんのも無理はないが、私は戦争がしたいわけじゃない。平民が日々安心して暮らせる世の中を作りたいだけだ。
「文官からの除名は、すでに決定事項だ」
「なら、俺が王様を説得してやる」
「一介の武人がか? ピジン将軍にでも頼み込むつもりか?」
「親父の手なんか借りん」
「じゃぁ、どうすんだよ」
「……首に刃物を押し当てれば、案外あっさり頷くかもな」
「頷くもんかよ。あの偏屈な豚が」
「なら、殺しちまうか」
「近衛隊はどうすんだよ」
「知るか。殺っちゃえ。常備軍もいないし、ちょうどいいかもな」
「おいおい、あいつらはいずれ帰ってくるぞ?」
「迎え撃つ! いいなぁ。越えることはできても、さすがに英雄は倒せないと思ってたのに。倒した上で、俺が新しい国の英雄になるってのも」
 馬鹿だ。本当に。
 レオネは笑いが堪えきれなかった。我慢しても我慢しても、込み上げてくる。込み上げてきたものが口を突いて出たが、クレオになら、いいだろう。
「なら私は、新しい国を治めていくことにするかな」
「ほう、新しい王族にでもなるのか?」
「いや、王政は廃止だ」
「じゃぁ、誰が国を取りまとめるんだよ」
「一人一人の民だ。誰しもが自律し、自制し、責任持って、自由を謳歌する。そんな国を作りたいな。私はただ、その設計図を描ければいい」
「無理だろ。誰かが統治しなきゃ」
「いや、無理じゃないはずなんだ。政治は民から選ばれた何人かが執り行い、俸給は国民一人一人からほんの少しずつ税金として頂く。少しずつとはいっても、国民全てからもらったお金だから莫大。だから政治を執り行いたい者は一杯出てくるけど、そいつらは国民に選ばれなければ政治は執り行えない。嫌でも、国民全てにとって良い国になるだろ? そして、良い国なら、民が頑張り続ける限りどこまでも発展するはずなんだ」
「……偉くなったら、やるつもりだったな?」
「ああ。クーデターでもなんでも起こして、この王政を潰すつもりでいたよ」
「ヒントは、レイマスの共和制か?」
「ああ。だが、あくまで民が主権を持つ体制になるはずだ」
「なんて名前の体制なんだ」
「民が、主権を持つことができる体制。民主制だ」
「センスねぇな」
「うるせぇな」
 そして二人で、自分たちの夢物語を笑い合った。たぶん、どちらも実現しない。するわけがない。できるはずもなく、できる力もない。
 けれど、大声で笑う活力を取り戻すには、充分だった。楽しかった。俯いているよりも、遥かに気持ちが楽になる。
 そして闘器は、日が傾きを強くするのも構わず、力強く進んでいた。
 自分にはこの辺が限界だ。悲しみを大声で笑い飛ばすことの助けくらいにはなるが、歩き続けるための道しるべにはなりえない。見切りをつけている。どうせ無理だ、と。近づくための目安でしかない。だから、笑っていても、涙が滲んでくる。
 けれど、クレオの操る闘器の歩みには、何の迷いもない。
 陳腐な比喩だ。闘器はただまっすぐ歩いているだけだし、クレオもさすがに今のお喋りの内容を実現しようとは思ってもいまい。
 けれど、クレオは英雄になりたいと思う気持ちを捨てないだろう。今も本気で、私を文官として存続させようとしているだろう。王に刃を向けるくらいは本当にしかねない。間違ってるとは思わない、とか言って。
 彼の闘器は、立ち止まらないだろう。
 彼の闘器が、立ち止まった。
 …………
「お〜い。どーしたんだよ、クレオ。人の気持ちをいきなりぐらつかせないでくれよ」
 しかし、伝声管からの返答はない。それどころか、闘器は運車の引き棒を放して膝を付いた。運車内は大きく揺れ、もう一つ二つ文句を言おうとしたレオネは舌を噛みかけた。
「なんだよ。そんなに疲れたのかよ。ったく、いきなり崩れやがって」
「馬鹿野朗。地面を見てみろ」
 クレオの声は酷く戦慄していた。よくわからなかったが、何か切迫した物を発見したということか?
 クレオは伝声管を置き台から引っこ抜き、運車内から飛び降りる。闘器が見詰めているところまで駆け寄る必要はなかった。森の草葉が押しつぶされ、線を作っている。荷車の車輪の倍以上の轍が続いていた。
 運車だ。
 そして、闘器の足跡がある。
 これを、闘器の高い視点から見つけたというのか? 改めてクレオに対して驚嘆させられたが、今はそれどころではない。
 レオネは轍を作る、押しつぶされた名も知らぬ雑草に触れた。湿っているのは、草の汁だろう。乾いてないということは、今し方通り過ぎたということなのか? 正確な時間までは計りようもなかった。
「どっちだ?」
「なんとも言えん」
 闘器の足跡は森へと伸びているようでもあるが、それはあくまで人型の足をしていれば。所詮闘器は全て、搭乗者に合わせて再加工される。足型の細い方が爪先を示しているとは限らない。
「だが、クレオ。おまえが向かうのは国境だ。どちらともいえない場合、最悪を想定するべきだろう」
「了解! ――わかったから早く、運車に乗り込め」
「わかってないだろ、クレオ?」
 その時にはもう、こちらのやり取りを聞いていたのか、運車に乗っていた整備士たちは降りてきていた。闘器が狼狽したように、どこか覚束ない足取りで立ち上がる。
「おまえは国を守る。私たちは轍を追いかけ、森の中を調査する」
「おい! もし森の中に闘器がいたら、おまえらはどうやって身を守るんだよ」
「これだけいるんだ。誰か一人ぐらい生き残るだろ?」
「それで良いのかよ!」
「良いんだよ!」
 怒鳴りつけると、クレオの操る闘器は子供みたいに後退さる。
 レオネは伝声管を握り、言い放った。
「国が一大事かもしれん。これから一大事になるのかもしれん。どちらも放って置けはしないだろ?」
「で、でもよ」
「おまえは英雄になりたいんだろ! なら、私たちは英雄を助けるためにいる」
 森がまた、ざわめいた。先っぽが傾ぐほどの風は、森の底でもそれなりの旋風として走り抜ける。
 向き合う闘器の顔を睨みつけていると、緑葉を抜けてきた西日が瞳を苛んだりもした。けれどレオネは目を逸らさず、クレオが操る闘器の顔を眺めていた。緩衝帯を巻きつけた頭部に皮の帽子をつけただけの、飾り気のない頭部を。
「じゃぁな」
 伝声管を投げ捨てて背を向けると、地面に落ちる音に混ざって「死ぬなよ」という、親友の声が聞こえた。
「おまえもな」
 そんな、伝声管を通さず呟いた台詞がクレオに届いたわけもないのだが、走り出した闘器の足音に負けない甲高い音がする。クレオ側の伝声管が落ちた際、石にでも当たったのだろうか。
 まるで、返事のようだった。

 森の上部を切り払った巨大な闘器は、その回転を止めようとしなかった。その旋回速度はシャナの動体視力の閾値を上回り、残像しか移らない。唯一その竜巻の中心から飛び出た大鉈のような刀剣が、父の操る闘器に迫るのを見送ることができたくらいであった。
 形容し難い金属音が鳴り響く。
 黒闘器がなんとかケード・コックルの篭手部で受け止めたらしいのだが、突如森から現れた闘器の回転は止まらない。大鉈が止められ、一瞬実態を晒したかと思うと、反動を利用して逆回転した。
 父の闘器は屈んでいた。
 まるで、負傷した人のように。だが、それは結局、痛烈な敵闘器の初撃を受け止めるために重心を落とすという動作に過ぎなかったらしい。翻って逆方向から横薙ぎを放とうと逆回転した闘器に、伸び上がるようにして右のケード・コックルの刃を突き出した。
 金属音は、シャナの予想した展開から生まれた物ではなかった。
 察したのであろう。回転する闘器は旋回の最中、背を向けている状態だというのに足を伸ばして父の黒闘器を蹴り上げていた。金属音はその闘器の足の装甲と、父の左のケード・コックルが衝突した音だった。
 二機が倒れる様は、驚くほど遅々とした動作に映る。
 それまでの、一連の激突があまりにも速過ぎた。どちらも衝撃に跳ね飛ばされて、倒れただけだというのに。
 父の闘器に、損害はなかった。右のケード・コックルの篭手部に初激の刃傷が走るのを除き、黒皮の外装に被害はない。倒れたときに畑の土がホコリのように舞い上がり、降り積もったくらいである。なんなく立ち上がった。
 西日を正面から浴びる黒闘器は、土まみれの血痕色を取り戻し――構えをとった。
 先程の戦闘では両腕をぶらりと下げていただけだというのに。極端な蟹股を作り、腰を落とし、肘を畳んだ両腕を腹側にこすり付けていた。
 森に、またしても風が吹き抜ける。舞い上がったチリを追い払うように。
 仕切りなおし。
 不意に、そんな単語がシャナの脳裏に浮かぶ。
 そして森から、腹の底に響く、低い音が届いてくる。立ち上がる音。歩く音。それらが聞き分けられるほど、辺りは静まり返っていた。
 初めに現れたのは、流線型の小盾を付けた左腕だった。小麦の穂先を除けるようにやすやすと木立の上部を折りながら、そいつは姿を現した。
 重症患者の包帯のように緩衝帯を巻きつけた頭部に皮の帽子を被り、垂れた耳当てが揺れている。目を守る鉢巻みたいな物は鉢がねか? 刳り貫かれた眼部はやけに鋭い。一歩踏み出すと、皮の服に包まれた上体が姿を晒す。大した装甲ではない。薄すぎるくらいだ。内部の緩衝帯が浮き上がって見える様は、筋骨隆々の者が夏季に薄着をしているような風情である。
 そして、鎖を繋ぎ合わせた腰垂れ。その合間から窺える重装備な鉄だらけの下半身。だというのに、足が太いわけでもなく、細いわけでもない。強靭だというのに、柔軟そうな下半身であった。
 けれども全体を通してバランスが良いというわけではない。まるでもともと重装備である者が、『動きにくい』というだけの理由で上着を脱いだような。不自然な闘器である。
 なのに。
 なんだ。
 怖い。ヤバイ。危険な奴だ。
 対峙していないシャナにそこまで思わせたのは、その、森から現れた闘器の禍々しさが原因であった。
 国の兵器。であれば、闘器はどこまでもシンプルになっていくはずだ。
 個人の物。であれば、闘器はどこまでも華美な装飾をするはずなのだ。
 どちらでもない、禍々しい巨人であった。闘器、と括るよりも、その競り上がった筋肉の如き容貌は人、もしくはそれを越える何かだとシャナに連想させる。
 父の黒闘器が腰を落としているからなのか、大鉈の巨人がやけに大きく見えた。
「な、なんなの、あれは……」
 それは、思わず漏れてしまったシャナの嘆きであった。補給が成される。平和的に事が運ぶはずだったのに。そんな気持ちが思わず口をついて出ていた。
「……あの文官が言っていた知り合いとは、ご子息のことであったか……」
 だから、王が呟いた台詞を返答だとは思わなかったし、王にもそのつもりがなかったらしい。表情を見返すことはできなかったが、調子が自責に満ちている。
 始まった。
 茂みに阻まれて良くは見えなかったが、巨人は足を交差させたらしい。全身を捻って横薙ぎの斬撃を放ってくる。
 父の闘器の方が早かった。巨人が右の薙ぎならばと、自らも右腕を突き出す。それは単純に、左腕を突き出せば先に斬られる、ということでしかないのだろう。しかしそれだけの差が決着に繋がると思えた。
 巨人は、体重を残さなかった。まるで大鉈に振り回されるように身体ごと右側に――父の黒闘器の左側に流し、突き出されたケード・コックルを避けながら、なおも横薙ぎを継続する。父も然ることながら、闘器という巨大兵器であるにも関わらず受身を取るように前転し、森の木々を踏み倒しながら転がった。
 父の一撃を避けるために平衡を欠いた巨人は追撃ができなかった。黒闘器は立ち上がるのに時間を要し、反撃ができなかった。
 また、仕切りなおし。
「な、なんなんですか――あの、闘器は」
 今度は質問だった。頭の片隅で、王があの闘器にコメントを吐いていたことをシャナは辛うじて思い出し、訊ねていた。訊ねずにはいられない。父は、父の闘器は圧倒的ではなかったのか。関節球だかなんだか知らないが、ずば抜けているはずじゃなかったのか。
「ピジン将軍の、ご子息だ」
 ピジンの?
 思わずシャナは、振り返っていた。見覚えがある。王への謁見のために髪を梳かれていたとき、確かに見ていた。嵐のような男を。
 似てる。
 隆々とした筋骨も、突然現れる様子も、あの鉢がねに刳り貫かれたコンドルのような目付きも。何より、巨人が持つ大鉈が物語っていた。当人であると。
 しかし。いや、そうだとしても。
「なんで、なんでなんですか! 父は、父の闘器はあれほどの強さだったじゃないですか」
 王は頷くように、考え込むような仕草を見せる。しかし、再び仕切りなおされた、巨人と黒闘器の戦いを盗み見るように、どこか竦むように眺めていた。
 今度は、父が先を取った。
 相手の右肩を射抜くように左腕のケード・コックルを突き出す。けれど巨人は左に傾くことでそれを避けながら、また、まるで森の全てを薙ぎ払おうとするような――一度背を向けるにもかかわらず――全身を捻りこんだ斬撃を繰り出す。
 しかしそれは父のシナリオであったようだ。巨人の回転を今度は正面に捉え、黒闘器は潜り込むように懐に入り込む。裏拳の要領で飛んでくる、大鉈を持つ巨人の伸びきった肘に肘を合わせて間接の破壊を目論んだ。
 けれど、巨人は回転の途中であるというのに右肘を曲げて軌道を上昇させ、黒闘器の側頭部を打ち込みにいった。父は急激に体重を落とし、それでも間に合わず顎を引いて何とかやり過ごす。
 無茶なことをした巨人は当然のように大鉈の反動で後方にたたらを踏んで距離を開けたが、父は追撃をしなかった。
 いや、できなかった。
 闘器の画面は酷く狭い。少なくとも人間の視界ほどではない。当然のように戦いの最中に頭を下げてしまえば視界が確保されず、敵の位置がつかめず、敵の攻撃がわからず、何もできないはずなのだ。
 なのになんだ? 彼らの戦いぶりは。まるで人のような視界を保持している。巨人に至っては、身体中に目を付けているかのような反応である。
 読んでいる?
 相手の動きを読んで攻撃を仕掛け、その反撃をする。反撃すら読み、初めの攻撃をブラフとして用い、真当てを狙っている?
 常識的に考えれば、そういうことなのだろうが。だとすればこそ、非常識な連中だった。闘器同士の戦いなど、冗談のように遅い攻防が当たり前だというのに。
 そんな、シャナの知る常識にお構いなく、三度目の仕切り直し。両者はゆらりと構えを取り直し、正対した。
「直線と円弧、か……」
 呟く王に向き直ると、尊敬と恐れを目に湛えて二つの闘器を眺めていた。
「どういうことなんです!」
「私は何も知らんよ、私は……ただ、ピジン将軍が言っていた。完全体で発掘された闘器は、とにかく中心から四肢への力の伝達が速い。それに対するには、力を完全に動きに変換し、外部で生まれる遠心力や慣性を使いこなさなければ勝機はない。とな」 
 四度の激突が始まっていた。それを熱い眼差しで、胸中で咆えるように父を応援しながら、しかしシャナは訊ねた。
「でも動きに変換するということは、同時に隙ができるはずですよね」
「その通り。事実、隙だらけではないか」
 そうである。王の言うとおり、毎度、決定的なチャンスを作っているのは父の操る黒闘器である。なのに巨人はまるで恐れを見せずに大振りし、避けられ、ケード・コックルを避け続けている。そう、確かに隙だらけなのだ。いつもギリギリで避けたり、平衡を欠いていたり。その次に攻撃されれば終わりだというのに、流れるような、信じられない読みで、巨人は凌ぎ続けているのだ。
 王は、呟くだけだった。決して、勝ち誇るわけではなかった。
「ジャクメル王国成立以前は、この辺りはいくつかの部族が住んでいた。今ではほとんど帰化併合し、風習を忘れてすごしているようなのだが、山に一握り、昔の伝統を残して生きている者もいるらしい。その部族の闘法の中に『動は揺れる心から始まり、肉体の安定により完成する』というものがある」
「揺れているのは心じゃなく、身体の方じゃないですか!」
 常に動いているのは巨人だった。石のように固まり、時折鋭く突き出す父の闘器とは真逆の動き。暴風のよう。事実、畑を蹂躙しながら戦っていた。
「だが、軸が安定している。そこからの動きはお主の父の予想を越え、事実、互角に戦っておる――国軍払い下げの、粗悪な素体だというのに……」
 粗悪な素体。
 粗悪で? 品悪で? あれだけの強さを見せ付けた父の闘器が……それは侮蔑的な言葉であったというにもかかわらず、シャナの首筋を粟立たせる。
 激突は数十合に及んだ。
 鎬を削るの“鎬”とは、刀身の中央の一番太い部分を差す。
 まさに、そんな闘いだった。
 黒闘器も巨人も、まともな一撃は入っていなかった。刃は言わずもがな、体重の乗った打突はない。無傷といえるほどであるが、どちらの闘器も目に見えて動きが悪くなってきた。しかしそれはあくまで彼らの中での話であり、ジャクメルの、試合を行わなかった闘器はいまだ、戦いに割り込むことができずに構えた剣の切っ先を彷徨わせている。
 間接球の限界なのだろうか。それもあるだろう。だが、搭乗者たちも疲れ果てているのだろう。闘器の動き以上に、二機が正対して佇む時間が増えた。慎重になっているのかもしれないが、疲れていないはずもない。
 日の光りも、限界だった。
 一層赤みを強めた西日が森の奥へと消えていき、空が、宵という青味を浴びていく。
 辛うじて森の隙間から漏れていた日差しが消えたとき、父が動いた。腰を深く落としてから。今までより速く、機敏に、圧倒的に。
 正面からの突進である。ケード・コックルの刃を交差し、開いた鋏のようにして。首――いや、胸部の操縦桶を狙っていた。
 左右、どちらに逃げても刃を突き出すのだろう。足が合わないとは考えないのだろうか? ――いや、倒れこんででも仕留めるつもりなのか。苦肉の策だが、英断だ。
 巨人は、屈んだ。
 正確には直立に近い立ち姿から右足を引くことで腰を落とし、大鉈を縦に振り下ろした。交差した黒闘器の両腕の間を裂き、真っ二つにするつもりか!
 生まれたのは、停滞――
 交差したケード・コックルの刃の間に大鉈が食い込んでいる。ジリジリと、大鉈を押し挙げるようにして、ケード・コックルが広がっていく。
 黒塗りの闘器が沈んだ。
 もう一度飛ぶため、突進するため、撓んだ。
 巨人も、撓んだ。同じように、突進するように。
 鉄が摺り合わされる激しい痛音の後、両者の立ち位置が入れ替わっている。
 巨人の首が刎ね飛んでいた。
 黒塗りの闘器は、右肩から股間にかけて切断されていた。

「役に立つじゃねぇかよ」
 馬の背、と誰もが呼んでいる操縦桶内を前後に橋かける梁に跨り、クレオは操縦桿から手を離した。額の汗を拭う。すでに全身汗まみれなのだから、あまり意味はないが。
 ペン回しのことだった。クレオが呟いたのは。
 最後の局面――黒い闘器が刃を交差して突進してきた時、クレオには逃げ場がなかった。交差している、ということは、どちらにも腰の回転を交えた突きが放てるということだ。上下に避けるには、黒闘器の狙いはあまりにもこちらの中心を捕らえすぎていた。つまりは操縦桶ということなのだが、おそらく敵は、そんなことを考えていなかっただろう。逃げられないように、避けられないように、という発想の末の攻撃であろう。
 受けるわけにもいかなかった。二刀を相手にした場合の基本ともいえる。こちらの武器で一本を封じ、一本を避ける必要がある。避けられない局面では、一本を封じてどうにかなるものではない。
 だから、クレオは前に出た。
 大上段から振り下ろし、交差した二刀を封じる。さらには、力押しで弾いて黒闘器本体を切り倒しておきたかった。
 なのに、弾き飛ばすどころか止まってしまった。しかも、大鉈の重量すら重ねたこちらの力を上回るのか、黒闘器はジリジリと交差した刃を擦り上げていく。
 力負けしていた。
 しかも、黒闘器はまたもや突進しようというのか、身を撓めるのが目に入った。
 正確には突進ではないのだろう。真上に身体を跳ね起こす力を利用し、充分に擦り上げたこちらの大鉈を弾くつもりだ。大鉈が跳ね上げられれば、こちらは嫌でもバランスを奪われる。体勢を崩す。こちらの攻撃は封じられている。
 絶望的だった、が、攻撃が封じられていると認めた瞬間、クレオの脳裏にはレオネのペン回しが頭に過ぎった。
『つまりな、中指は常に動こうとしているだろ? それを親指で封じている。んで、親指から中指を開放してやれば、中指は元々溜めていた力を解放するわけだ』
 こちらを馬鹿にしたようにデコピンの素振りを見せるレオネが、クレオの脳裏を過ぎった。
 次の瞬間にはもう、クレオは闘器の身を屈めていた。こちらも突進だ。そのために身を撓める。
 黒闘器が撓めた力を解放する瞬間を待った。瞬間と瞬間が積み重なる間に潜む、その刹那を。闘器での戦闘では見分け辛い。人間同士ならば、目の動きから判断もできるのだが。
 クレオは目を閉じ、耳を澄ませた。正確には、目を頼らなくなったために耳からの情報だけが脳に広がった。けれど、音を頼りにしている訳ではない。操縦桶の中にいて、どれだけ音が当てになるというのか。
 結局は、勘だった。
 ここ、と思える瞬間に闘器を突進させた。
 目を開けば、黒闘器も全身を躍動させて跳んで来た。
 相手の力の方が強いのは先刻承知である。クレオは、大鉈に力を加えてはいくが、それは柄尻を握る左手だけであった。大鉈の振りの方向を定める右手は、力を抜く。
 当然のように、大鉈は黒闘器の刃に押し負けた。相手の交差した刃は大鉈の刃の上を滑るように走り――頭部が跳ねられたのであろう――衝撃が襲い、画面が暗転した。
 もう一度、軽い衝撃が走る。
 自分の闘器が、大鉈の峰に肩をぶつけたのだろう。そのまま倒れこむように闘器を動かすと、敵を切り倒した衝撃――手応えが伝わる。大きかった。おそらくは胴体から真っ二つにしたのだろうと検討をつけ、クレオは時が次の瞬間に移り変わるのを待っていた。
 つまりは、ペン回しだった。
 クレオの大鉈は、黒闘器の交差した刃に押し負けることで下を潜り、それから弧を描いた。問題は、自分の闘器が大鉈の峰に肩を押し当てることができるかどうかだった。押し負けるがために抜いた右手の力をもう一度入れ直す時間はない。
 成功しても失敗しても、こちらは頭部を犠牲にしなければならない。頭部なしでは、この先闘うことなどできやしない。
 失敗はできなかった。
 大丈夫。成功した。
 クレオは自分に言い聞かせてから、レオネに愚痴を吐いたのだった。というのも、こちらが闘器の操縦を放棄したにもかかわらず、攻撃を受けていなかったからである。
 クレオは闘器を屈ませ、操縦桶の馬の背から降り、固定している自分の大鉈を引っつかんだ。腰に取り付けたいところだが、操縦桶の出入り口は酷く狭い。出てから括りつけるのは、いつものことだった。
 通風孔と兼用である搭乗孔の格子状の扉を開いてから、クレオはもう一度、操縦桶内部を見回した。馬の背の前部にはめ込んだ陶魂を抜こうか抜くまいか迷ったのだ。
「いや、まだ仕事は終わってねぇしな」
 それだけ呟き、クレオは狭い搭乗孔を這い出した。

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