■ disorder2 北の遺跡 ■

早稲 実

   1.

「僕の兄になってよ」
 まだ幼く、家来よりも信望の置ける者の呼び名を知らないのだろう。彼は、そう言ってこちらに手を差し伸べてきた。返り血を拭っていたのは、彼なりの配慮だろうか。手よりもまず、頬を拭って欲しかった。
 微笑する彼が、悪魔的に映るから。
 だから、すぐさま手を握り返すことができなかった。とはいえ、地獄にも等しいこんなところに居続ける利点があるはずもなく、考え事を続けながらも、無意識のうちに手を伸ばしていた。
「名前は?」
 小さい手はこちらの手の平を受け取り、ささやかな力を込めてくる。彼に嫌悪感を覚えるには、自分は汚れすぎていた。ただ無感動に、その手を見詰めながら答えた。
「……レノンセンス」
「レノンセンス……ふぅん……レノンセンスね」
 彼はこちらの手を解放して、背を向けた。「付いておいでよ」と一度だけこちらに呼びかけ、そのまま前を見ているとも暗い空を眺めているともつかぬ様子で、こちらの名前を繰り返している。熱心に、刻み込むように。レノンセンス、レノンセンスと。
 次第に、綿ボコリを頑なにする都会の隙間は視界から消失し、辺りは闇ばかりが広がっていた。綺麗なのか汚いのかもわからない、濃霧に包まれた空間が続いていた。
 心配も不安もなく、かといって安心感にも身を委ねることができぬまま、反芻を繰り返す少年の背を追って歩いた。次第に、その声が大きくなっていく気がする。
 レノンセンス。
 レノンセンス。
 レノンセンス。
 まるで記号めいて聞こえてくる。何を示す記号? 言わずもがな、自分だ。そう信じたかったが、結局それはもう、彼の所有物を示す記号でしかないのかもしれない。
 レノンセンス。
 レノンセンス……
 レノンセンス…………
「レノンセンスさん!」
 ふいに目を開けると、小姓が少し、頬を紅潮させている。こちらが手を上げて朝の挨拶をしているというのに、返さず、代わりとばかりに説教をされた。
「別にね、寝ても構いませんよ。けどね、寝起きが悪いのはどうにかなりませんか!」
 寝起きが悪いというのは、眠りから覚めたときに不機嫌だったり夢を引き摺ってあらぬことを口から漏らす状態を言うのだと思う。少なくとも、自分はただ寝覚めが悪いだけであり、一度起きてしまえば思考も正常に働くのだが。
 レンスは反論することに横着し、小さく頷いておく。小姓は「本当にわかったんですか?」とかなんとか言いながら席に戻っていった。わかっても簡単に起きられるわけもないというのに。
「今、どの辺なの?」
 馬車から窓を覗くと、変わりなく変哲なく、山も海もない平原が横たわっていた。厳密に言うならば、潅木が生えていたり苔を生やした岩が露出していたりするのだが。
 小姓が紅潮を消してこちらに向き直った。一応敬意はあるようで、敬語を使っている。そんな軍属みたいな応対はやめて欲しいと常々言っているのだが、なかなかこちらの希望通りに友達関係とはいかないらしい。歳も違うし。
「キルト・ノィア・ソウラスに入って丸一日になるところですよ。御者が言うには中央まではもう間もなくです」
 まるで自分が馬を走らせていたかのように、小姓は何故か誇らしげに説明してくれた。今年で満十五歳なのだから成人だろうに。ここら辺が若さなのだろう。
 レンスは軽く礼を述べて、小さな窓へと向き直った。
 中央の遺跡までもう間もなく。そのくらいの位置まで訪れたら起こせと言っておいたのだから、彼に訊ねるまでもなかった。まるで、自分の小姓を疑っているような仕草だな。そう思ってしまうから、外の景色に逃げる。
 先程は完全に起きたと思えたが、まだどこか眠気を引き摺っているのだろう。人を見ながら会話をするのが煩わしかった。
 窓からは、どこまでも広がる平原ばかりが横たわっている。低木が散在したり、背中に地面を乗せたままの岩肌が挨拶していたり。
 キルト・ノィア・ソウラス。
 妙な土地だった。共和国の石畳でもほとんど振動が伝わらないよう、座部下には天然ゴムの緩衝材を敷いているのに、揺れる。ほとんど平坦に見えるくせ、凹凸があるのだろう。それと、這い出した岩に乗る土や草本を見る限り、この辺りの地層は薄い地面と厚い岩盤で構成されているというのがわかる。
 またやってる。
 レンスは自嘲して、できるだけ何も考えないように勤めた。
「見えてきましたよ」
 小姓が上げた嬌声が、闇の中で霧に囲まれてるような思考の無からレンスを呼び起こした。彼の指差す前方の小窓からは、肉厚な業者のなで肩の一部と、遺跡の頂が見えてきた。土に覆われているのでまるで山なのだが、平面に突然突き出た遺跡は砂場に築いた砂山のようで、どこか違和感を漂わせている。しかしながら、高さだけで優に闘器の五倍もあるのだから、小さな人間には圧倒的で、違和感を覚えるよりも先に山だと認識させるのだろうが。
 馬車を止めたのは、遺跡を確認してからもうしばらく走らせてからだった。レンスが降りるためである。
「本当に、ここからで良いんですか?」
 馬車を降りた直後に小姓が声をかけてくる。心配そうな面持ちだ。
「こちらに争う意思がないことを伝えたいからね」
「脅しをかける側なのに?」
 小癪にも、彼はこういうことには敏感だった。ただ、皮肉家なだけかもしれないが。こちらが微笑むと彼もまた笑い、譲るつもりがないことは理解してくれた。
「けど、気をつけてくださいよ。一応、この辺りには遺跡の主しかテントを張ってないようですけど。……それに、狼もいますし」
「これだけ見晴らしのいいところで邂逅もないだろうさ。それに、コレもあるし」
 胸元に入れてある物をレンスが叩くと、安心したわけではないだろうが、小姓は心配を表情から捨てて仕方なく笑った。
「じゃぁ、本当に迎えは六日後でよろしいんですね?」
「ああ。交渉は粘り強く行かなきゃね」
 笑顔を向けると、彼も笑顔で返してくれる。そう屈託なく笑える理由はこちらを信じてくれるからなのか、自分とは生まれが違うからなのかわからないが、レンスには心地よかった。
 馬車が反転する。その様を見送った。小姓が顔を引っ込めるまで腕を振ってあげてから、レンスは遺跡に向き直った。まだだいぶある。それでも夕方までには辿り着けるだろう。正確には、遺跡の根元にテントを張っている、主の元まで。
 馬車から降ろしてもらった六日分――予備を含めて八日分の携帯食を入れた麻袋を背負い、レンスはいきなり後悔した。夕方までに辿り着けるだろうか? 
 情報では、遺跡付近には綺麗な泉があるらしいから、携帯食に水気の物は入っていない。小さな水筒が一つだけだ。けれど、この重さ。
 今日は辿り着ければ良しとするか、と交渉日を一日棒に振るくらいのつもりで、レンスはトボトボトボトボ歩き出した。

 そいつは低木の下にいた。
 蹲っていた。
 低い唸り声は威嚇のつもりか? 警戒なのか? 尊大に振舞うことで他者を遠ざけようとする臆病者のように思えてしまうが。
 ともあれ、こちらを鋭く睨む狼は、傷だらけだった。全身を汚す血液は泥土を貼り付けて黒く、立ち上がることすらしない体躯は見るからに重い。
 しないのではなく、できないのだろう。
 彼の警戒円に足を踏み入れてしまい立ち止まったレンスだが、一歩近づくだけで狼は後退した。二歩ほど。左前足を引き摺っていた。だから、それ以上は逃げられないのだろう。走れば、狼に追いつくことすら可能であろう。
 逃げ出したいのに逃げられない。ならば、やり過ごすために黙っていれば良さそうなものを、殺しきれない恐怖心に負けて声をもらしてしまう。あっちへ行けよ。こっちに来るなよ。そう、唸っているのだろう。
 必死で、願うように。
 ただジッと、羽虫を潰すときにそうするよう眺めていたレンスであったが、笑みを漏らした。だからといって狼が警戒心を解いてくれるはずもないのだが、唸り声は消えた。
 もう一歩踏み出すと、彼は足を引き摺りながらもどうにか後退する。唸り声が再発した。
 もう一歩踏み出せば、彼は満身創痍の身体を引き摺り走り出すのだろう。もうこちらを振り返らず、必死になって逃げるのだろう。そして、残りわずかな体力を使い果たして朽ち果てる。
 共感を覚えた者が死ぬのはやりきれない。レンスは一歩下がって屈み、麻袋の中から干し肉を取り出した。小姓が気を利かせてくれたのだろう。一日分ずつ八つ入っていた。そのうち一つを掴んで、その場で狼によく見せる。武器の類だと勘違いさせないためだった。
 彼は唸るのをやめた。鋭い目が、意外にも愛らしかった形を取り戻すまでしつこく拝見させた。
 そして、一口レンスが齧る。
 狼は驚いたのか、一歩前に足を踏み出した。怪我を負ったらしい左前足だったので、慌てて右前足に取り替えている。しばらくは唖然としていた。こいつはきっと食べ物をくれるに違いない。そぉいう期待が彼にも広がっていたのだろう。だからなのか、毒がないことを示すためにちょこっと齧っただけなのに、先程よりも激しく唸りだした。形相も、先程までの逃げ腰な虚勢とは違う。
 レンスは肉を放ってやった。
 これも彼にとっては意外だったらしい。臨戦態勢に入っていたタイミングで、施しがいただけた。投げられた肉を点にした目で追い、地面に落ちてからこちらを見詰めてくる。二、三度干し肉とこちらに視線を行き来させて、まるで訊ねかけるようにこちらに向かって首を傾げた。レンスが頷くと、え? いいの? バクバクバク。
 …………
 レンスはその様子を屈みながら、黙って見送っていた。遺跡の主のテントまでは、すでに行程の半分ほどを埋めてある。案外、自分の体力も馬鹿にしたものではなかった。夕方の頃までにはなんとか辿り着けそうなので、小休止に生の狼を拝見するのも悪くはないだろう。自らも干し肉を一つ取り出し、水筒を開けてブドウ酒を口にする。
 狼といっても、路地裏にいる野良犬と変わりなかった。餌を与えれば満足し、満足しなかったらもっとと強請る。そいつがちょっと大きくて、歯牙が鋭くて、ああ、考えてみればそれだけで、人をも容易に殺せるのか。
 レンスは一時期施行された、増えすぎた野良犬が人を襲ったために立案された撲滅運動を思い出した。元はペットだったかもしれないので見つけたその場で剣でザックザック、という方針こそ取られなかった。けれど捕まえられ、狭い檻に閉じ込めて焼き殺していた。とどのつまり、人が住み良いように作ったのが町なのだから、そのお人様には逆らうなよってことなんだろう。
 じゃあもし彼が自分を襲ってきたら、どうするべきなんだろう。充分にありうる。なんせまだ、干し肉持ってるし。
 見られながら食べるという居た堪れなさからなのか、時折こちらに視線を送る狼を、レンスはただ黙って見守った。
 自分たち人間は町という場所を作り、それ以外の羽虫などが入ってきたら問答無用に殺して良いという空間を作り上げ、他の生物を追い出した。なら、その楽園から踏み出さずに暮らしているべきなんじゃないのか? 踏み出して、彼ら動物たちが生きる平原に現れたのだから、彼らに殺されても文句は言えない。
 文句なんて、まるでないけど。
 とりあえず思考がまとまってから、またやっていた、とレンスは自分を軽く嘲った。それから狼に視線を戻すと、あちらもちょうど完食したらしい。大きな瞳でこちらを眺めている。左前足を引き摺りながら、近付いてきた。痛んだ身体なので、ゆっくりと。
 恐怖がない理由は、わからなかった。
 硬い干し肉を貪り食ったその牙も、彼自身の血だけとは限らないその汚れた爪も、充分に自分を殺しうる力を有していることはわかっているのに。
 彼の足に急いた気配は感じ取れなかった。ゆっくりと、左前足を引き摺りながら近づいてくる。乾いた黒化粧が時折、粉霧になって宙に散る。銀と紺の中間色である毛先が節々に見受けられた。
 屈んだ自分と同じくらいの大きさ。それは四足だからで、彼が後ろ足だけで立ち上がればこちらの喉元位までは届くだろう。町中では見受けられない、巨大な生物だ。
 それが、触れる距離にいる。
 首筋に、開いた口を寄せてきた。
 顔を舐められた。
「あ、こら、やめてくれよ。唾液は乾くと臭いんだぞ!」
 手を振り上げると、彼は小さくなった。初めて見たときのように蹲っている。唸っているが、その仕草は飼い主のご機嫌を伺う犬そのものだった。
 なんなのだろう。この犬は。
 レンスは自分でも至極まっとうだと思える疑問に苛まれた。野生動物である狼が人に懐く? どこかで狩猟用の犬として飼われていた? けれど、狼は懐かないと聞くし。じゃあなんで? まさかこちらの隙を狙っている?
 狙うも何も、ハナから隙だらけだというのに。
 結局、良くわからなかった。良くわからない物は気になる性質なのだが、生き物が関わる場合は辞めておこう。機嫌の悪い女性の真実を本人に確かめた時に、懲りた。
 レンスは立ち上がって皮袋を背負って歩き出す。
 狼がよたよたと付いてくる。
 なんで?
 レンスの歩調は早くもなく遅くもなく、有体に言えば普通なのだが、それにすら遅れて狼が付いてきている。速度差があるのだから自然と距離も開いていくのだが。
「……くぅ〜ん」
 捨てられた子犬じゃあるまいし。
 レンスはどこか憤慨にも似た感情に囚われて立ち止まり、意識的に鋭い眼差しをむけるのだが、狼は近づいてくる。けれど、こちらの目付きに気が付いたのか、心持ち距離を開けて立ち止まる。
 仕方なくため息を吐き出して、レンスは狼に近寄った。彼ももう逃げようとはせず、身を任せるように手当てを受けていた。とはいえ、動物なんだし、傷口に触れるたびに我慢もせずに悲鳴をあげ、逃げようとし、時々レンスが手を上げるフリをする必要があったが。
「さて、行こうか」
 と、粗方手当ても施し――といっても水もないので大したこともできないが――レンスが皮袋を持って立ち上がると、狼が途端に唸り声を上げた。甘えと媚びに満ちていた先程までのそれとは違い、再び、出会ったときのような、腹の虫も慌てて逃げ出すような威嚇の唸り声が。
 疑問を覚えたレンスではあるが、彼は別に、こちらに攻撃の意思があるようではない。後ろ、というか、今まで歩いてきた方角に向き直って唸り上げている。
「……あれかぁ」
 初めは彼が何に向かって咆えているのか、レンスにはわかりようもなかった。けれど、彼の唸りに遅れてすぐ、辺りから唸り声が重なってくる。一つや二つではなかった。良く目を凝らすと、確かにあちこちの低木や岩の陰に伏せた狼の影がちらついている。
 つまり、彼を追い詰めているのはこの群れなのだろう。
 そしてたぶん、彼に施しを与えた自分をも殺そうという腹なのだろう。
 確証はないが、間違いでもないだろう。
 レンスは、身体の芯を揺すぶるような合唱の中で、ふいに空を眺めた。
 空が何故青いのか。その理由はまだわからない。
 けれどそれだけで、生きていて良いような気もする。
 レンスが我に返った切っ掛けは、どこかで、とはいっても比較的近所で狼が咆えたからだった。頭目格なのだろう。足元で、寄り添うようにしている彼が震えた。
 岩や潅木に隠れていた狼たちが駆け出した。点であった四、五頭が集まって矢のような直線となる。振り返ると、後方は扇状に退路を断ちながら近づいてくる。そんなことをせずとも、手負いと人間なのだから。
 レンスが胸中で文句を呟くのだが、狼たちは断固としたものだった。
 レンスはため息を吐き、胸元に控えてある棒状の尻尾をつけた筒を取り出した。
 まだ、どの狼にも恨みはないのだから、とりあえず空に向けておく。
 迫り来る狼たちの中心地で、レンスはいつもの寝ぼけ眼のまま、
 火筒の棒を押し込んだ。
 捻る。

 手当てを施した狼は、レンスから離れる様子がなかった。けれど近寄る素振りも見せず、一定の距離を保ったまま付いてくる。レンスが振り返るたびに、どこか怯えを湛えたまま立ち止まる。
「別に、好かれたかったわけでもないけどね」
 けれど、顔を向けるたびに怯えられるというのも、どうにもよろしくなかった。いっそ、ソッポを向いて去ってくれれば気も楽なのだが。
 しかしすでに彼を追い払う手立てもなく、レンスはなんともいえぬシコリを胸に抱いたまま、遺跡の主のテントまで急ぐことにした。とはいえ、彼に足並みを揃えて。
 空ももう、八割がた朱色に主導権を奪われていた。テントは近いとはいえ、まだしばらくある。日が没するまでに辿り着ければ良いのだが。
 彼が、小さく咆えた。
 まるで注意を呼びかけるようなそれに振り返ると、馬が一頭、人を乗せて走ってくる。主のテントへ向かうつもりなのか、それともこちらに何か用なのか。
 ともあれ、近づいてくる。
 足の速い馬のようだ。それとも、馬車に繋がれていなければ、馬とは元来あれほどの速度を出せるものなのだろうか。初めは親指くらいの大きさだったのに、近づくにつれて自分の身の丈ほどはあるのだと知る。立ち止まった馬の目線はこちらと同じ高さだった。
「……何してるの」
 硬鉄を打ちあわせたような、甲高いが乾いた声音が馬上から降り注ぐ。しかし落ち着いた声音は、少女特有のやかましさを排除して刃物めいている。硬いのは良いことだが、硬度が高すぎる鉄では脆すぎて刃物としては役にも立たない。アンバランスこの上ないのだが、彼女の方はどうなのだろう。
「睨めっこ、って言ったら信じてくれる」
 馬の鼻息は臭かった。
 それがわかるくらいの些細な間を置いたが、彼女からはなんの反応も返ってこない。硬いのは確かなようだった。脆いかどうかまでは、調べようがなかった。壊すには、彼女のことを知らな過ぎる。そもそも本当に女性なのだろうか。声だけで判断していたが、今自分の視覚装置は、眼前の馬の大きな鼻の穴を覗き込んでいる。鼻毛がすげぇ。
「楽しいのか?」
「え、あ、信じたの。ごめん。あれ、嘘」
 レンスが半ば驚きながら顔を上げると、女性がこちらを睨み据えている。声から受けた印象通りに少女と呼んでも良いかもしれない。何せ女は成長が早く、成人を迎える頃には肉付きを無視すれば身体が出来上がっている。もとより胸や尻の小さい女性では、年齢の把握ができようはずもない。訊ねると、怒るし。
 ともあれ、少女だろう。硬い刃物のような顔立ちを除けば、健康的なのだが魅力的な肉付きに乏しく、なによりあんな冗談を真に受けているのだから。しかも小作りな顔の中では大きすぎるくらいの瞳で、射抜くようにこちらを睨んでいる。口元が一文字なのでわかりづらいが、頬もいくらか紅潮している。怒っているらしい。
「嘘を吐く者は嫌いだ」
「ごめんって。もう嘘は吐かないから」
 機嫌を直したのか、そうではないのか。とりあえず、頬に挿していた朱色は消えた。とはいえ、結局夕日に照らされているからよくわからないのだが。
「では、聞こうか。先程の轟音について、何か知らないか。まるで落雷のようであったが」
「あ、あれ? あれ、僕。心配しないで、もう終わったから。お騒がせしましたぁ」
 すると彼女は、しばらく疑うようにこちらを値踏みしてくる。馬から身を乗り出すようにして。大きな目が、懐疑的に細まっている様はどこかおかしかった。
 観察は終わったらしい。お次はどんな質問が来るのかとレンスが対応を考えていると、彼女は馬にきちんと座りなおし、そのまま馬を歩かせていく。
「え、あ、ちょっと、ちょっと待ってよぉ」
 止まってくれた。馬を操り側面を向けてくれ、あとは首だけを回して向きなおる。先程の訝しむ眼差しとは別種の、それこそ侮蔑の形に瞳を細めなおしていた。
「嘘を吐く者は嫌いだ。そうでなくとも、この土地は誰も待ちはしない」
 そしてまた背を向けて、鐙で馬の腹を蹴って走り出す。
 レンスはただ唖然と、彼女を乗せた馬が自分たちの目的地へと駆けていくのを見守るしかなかった。
「……かっこいぃ」
 信じるか信じないか。彼女にはそれだけのようだ。相手の言葉に翻弄されるとか、冗談に微笑むとか。そういった、ただ生きる為に必要のないものを切り捨てたような少女であった。決意と覚悟と判断だけで構成されているような、英雄譚の主人公のような生き物である。人としてとても不自然ではあるが、絶対の具現者的な、そんな少女であった。とはいえ所詮、初見の印象でしかないのだが。それでも。
「かっこ良かったなぁ。なぁ? おまえも見たろ?」
 そう振り返ると、狼はレンスから離れるように後退りした。
 考えてみれば、少女の方もけんもほろろに逃げられた。嘘を吐いたつもりもなく、正直に答えただけなのに。
 寂寥感から逃げ出すために、レンスはため息一つ吐いて、皮袋を背負って歩き出す。