■ disorder2 北の遺跡 ■

早稲 実

   3.

 共和国の簡易テント内に敷かれた寝床用のマットは、兵らには概ね公表であったが、レンスには居心地が良くなかった。だから、と言い訳がましく立ち上がったわけではなく、レンスは純粋に月が見たかった。そういった理由で、テントから外に出る。
 キルト・ノィア・ソウラスの夜風は無駄に涼しい。湿気が少なすぎることも含め、そもそも共和国と気温が違う。夏の盛りだというのに、寂しい秋風のようだ。
 二年前にここに訪れ時も、そうだった。共和国では 競うようにして人が海に飛び込む季節だったのに、袖をきっちり伸ばしてまだ涼しい。一年の三分の一が雪の下という大地は、社会というぬるま湯につかった共和国人には厳しすぎる。
 空を見上げた。
 レンスも、空から舞い降りる綿毛は何度か見たことがある。それが冷たく、厳しい冬の到来だということも理解している。けれどいざ見れば、不謹慎にも心が躍るのだろう。
 辺りに蹲る五機の闘器を見て、キルト・ノィア・ソウラスの民もそう感じてくれれば、まだレンスの心も救われるのだが。
 月を、見上げてみた。
 まるで、明日の戦闘を待ちわびるように煌々と、欠けることなく全身を晒して輝いている。二年前も感じたとおり、共和国の夜空よりも明るい気がする。
 そう。二年前。
 交渉と諜報を兼ねて、単独で遺跡の主の元へ出かけたときは、こんな結末が待っているとは思いもしなかった。現状のような結末を想定して出かけた自分は、老人に逆に諭され、武力行使を捨てた。主の戦力を詐称し、弟を通して軍の上層部に、未知数である遺跡に戦力を割く無意味さを説いたレポートまで出し、闘器の長距離移動の準備を終えた部隊を解散させまでした。
 そして、自分の心を見詰め直してみた。向き合うことを、無意識的ながらも頑なに拒否していた自心というのは難題で、気付いてみれば二年も経っていた。
 いや、最後の一週間は見詰め直している暇すらない、激動の時ではあったが。
 月の祝福を受けたかのよな、青白い月光の中で蹲る闘器たちを――戦争のために掘り起こされた古代人たちの人形を見上げて、レンスは笑った。
 突然の連続だった。共和国とは別種の発展を遂げていた南方大陸の帝国が、まるで避難民のように群れを成して訪れるや、即座に秘密会談が持たれたそうだ。内容は知らないが――というよりも、どのように拗れたかは知らないが、次の日には国をあげての戦争だ。帝国人の行進は前々から情報として入っていたから前線は引けていたが、三日という短期間であれよあれよという間に戦線は共和国圏を割り、目と鼻の先まで来てしまう。かと思えば、帝国はそこで進軍をやめてキャンプを張り、共和国からの些少な援助と自足したもので駐屯している始末。何がなにやらわからない。
 そして、二つに割れている上層部の弟が組している側からの密使により、ここにいる。帝国を睨む共和国の兵士は動かせないから、キルト・ノィア・ソウラスに程近い友好国の軍隊を借りて。
 口惜しいのは、上が何を考えてこの遺跡に目を付けたかよくわからないというのに、何も言えずに弟の命令で動いている自分の腑甲斐なさである。
「結局、僕もおまえらと同じなのかもな」
 愛でるように闘器に語りかけるが、彼らは何も言わず、蹲りながら主のテントを見詰めていた。
 レンスの目の前にいる闘器は、共和国がレンスに貸し出した純共和国産の闘器である。駆動部以外に装甲板を貼り付けた、長大な得物を振り回す、どちらかといえば鈍重な闘器ではある。しかし一度合戦となれば、必要外の動きを排除することで驚くほど敏捷な動きを見せる優れものでもある。遠心力と自重を生かす、という設計理念を元に作られていた。
 ジャクメルとかいう辺境生まれの、ピジンとか言う気の抜けた苗字の将軍が考案した闘法らしい。辺境の将軍風情が共和国の全闘器を換装させてしまったのだから驚嘆の一言だが、レンスにとっては、蹲るただの木偶だった。けれど、ピジン将軍がこだわったと言われる頭部の眼装は――コンドルが獲物を狙い定めたときのような剣呑な目付きは、レンスとは異なる気配で主たちのテントを見守っている。
 そのテントの数を眺めるだけで、レンスは悲しかった。
 ざっと、十幾つか。奇遇にも詐称したレポートに記した数と同等であった。喜べるはずもなくレンスは、老人がこちらと徹底抗戦するつもりなのだと知る。けして多くはないはずの友人たちに頼み込み、老人はことを構えるつもりなのだろう。
 数でいうなら、こちらは半分に満たない。
 だが、闘器が五機も用意されている。五機ともなれば、小国が要する闘器の半数にもなる。闘器一機が果たす力は、人の数十は非ではない。
 圧勝だ。
 だが、老人は闘うのだろう。
 あの娘も。
 レンスはテントに取って返し、毛布だけ持ち出してまた夜空の下に戻った。心配性の小姓が何度も止めたが、優しく微笑むと彼は仕方なく引き下がっていった。
 今日は、キルト・ノィア・ソウラスの地面で眠ることにする。
 せめてもの償いだ。
 どうか彼らにも、月明かりの祝福を。

 友好国の大将を言いくるめて中央に三機の闘器を注ぎ込んだことは、つまるところはキルト・ノィア・ソウラスの民への憐憫だった。二―一―二で左右を塞ぎこんでしまっては、遺跡を背負う彼らに逃げ道はないから。
 しかし――
「伝令。中央を進む闘器が一機、行動不能に陥りました」
 その報告役が告げるまでもなく、闘器が倒れたことはレンスにも見て取れた。どこまでも平坦な土地で、巨大な闘器がくずおれれば一目瞭然である。しかし詳細のほどはさすがに知りようもない。促した。
「っは! 蛮族どもは闘器の関節部を集中的に狙い、金属製の弓を放っている模様。鉄の矢が装甲関節を稼動不能に。もしくは間接球を砕かれ、行動を奪われています」
 レンスの隣の床几で踏ん反り返っていた大隊長が前のめりになり、語気を強めて怒鳴り散らす。
「馬鹿な! 矢がそう易々と動く的に当たるものか。下半身には鉄矢に備えた装甲まで付けているのだぞ」
 怒鳴られるなり、及び腰になる報告役を見る限り、この国の軍隊はそうとう上下関係に煩い――というより、不条理に上司が権限を握っていると見るべきだろう。レンスは手を上げることで大隊長の口を塞ぎ、報告役に訊ねた。
「大隊長が言うことはもっともだが、事実倒されたのだろう? では、どのように倒されたか詳しく教えてくれないか。できれば、戦力的に劣勢である両翼でなく、中央の闘器が倒れた理由を、君の主観も含めて聞きたい」
 腰が引けていることに変わりはないが、報告役は一度大隊長に目線を向けてから話しだした。できるだけそちらを見ぬようにして。その気持ちはわかる。レンスもあまり目を向けたくないくらい、隣の床几からは怒気が吹き付けてきている。
「は、はい……それが、その、白い毛皮を着た老人が続けざまに矢を放ち、その矢が悉く闘器の関節を貫いていったのです。一本くらいで関節球が壊れることはありませんが、どうしても動きが鈍くなる関節に、続けざまに打ち込まれ、一つ、二つと四肢が動かなくなっていきました」
「けしからん!」
 叫び声を上げたのは大隊長であった。振り向くと、顔を真っ赤に茹で上げ、可愛いくらいの大きな目でこちらを睨みつけている。隊の運営権は彼にあるのに、自分が場を仕切ったのが面白くないのだろうか。楽勝なはずの戦闘が劣勢だからとはいえ、短気すぎるだろう? しかし、吐き出した彼の台詞は報告役に向けられた。
「その毛皮の老人が名手なのは認めよう。だが、自動弓が立て続けに矢を放てるものか!」
「それが、その老人は弓を使っているのです」
「っはん、馬鹿者。戦争レベルで安定と射程に難を残す弓が使い物になるものか! それとも、老人はエルフだとでも言うのか? キルト・ノィア・ソウラスで? 共和国からお出で下さった軍監どのに偽りの報を告げるなど、極刑だ!」
 おいおい。
 レンスは呆れ半分、用意された床几から立ち上がり、大隊長に向き直った。
「な、なんですかな」
「いえ、この場を仕切る大隊長どのが興奮されましては、指揮に触ります。そこで、あのピジン将軍が行ったという気の、落ち着かせ方というものを指南しましょう」
「ほう。辺境雄、ピジン殿の沈静法ですかな」
 この諫言に対しては、それほど苛立ちを見せないでくれたのは幸いだ。辺境生まれの英雄の名を使った効能だろうか。ともかく、床几に座る大隊長の右肩に左手を乗せた。
「私の手を見ていただけますか?」
「これで良いのか? 苦しいぞ」
 首を捻って自分の右肩を眺める大隊長。そして、正面を向いた彼のこめかみに、レンスは思い切り肘鉄を打ちつけた。
 本当にピジン将軍もやったらしいから笑う。
「おい。衛生兵。大隊長殿は興奮のあまり失神なされたようだ。運べ。さて、これからの指揮だが、状況が状況だけにいたし方あるまい。共和国軍軍監であるレノンセンスが取る。
 さて、まずは撤退の鐘を鳴らせ。両翼を速く、中央をしんがりにするつもりで微速後退させろ!」
 遠くの喧騒に比べれば、静か過ぎるほどの風が過ぎ去った。
 初めに動いたのは衛生兵たちで、彼らが大隊長をテントへ運んでいく。そして、権威の張りぼて人形が見えなくなると、兵たちは慌しく働き出した。
 その中で一人茫然としている、極刑を言い渡された報告役に申し渡す。
「おまえには大隊長の言い渡した極刑の代わりの刑を申し付ける」
 唾を飲む報告役の青年に、レンスは微笑みかけた。
「あのさ、僕に付き合って最前線まで来てくれよ。馬、一人じゃ乗れないんだ」
 レンスが、報告役が乗ってきた栗毛の速馬の傍で呼んでもしばらく、彼は茫然とし続けていた。大隊長のように怒鳴ったほうが良いのだろうか?

「これ以上は無理です、軍監殿。この闘器ももう――」
 そういって矢の降り注ぐ戦地で馬を立ち上がらせて止まる報告役には、優しさがなかった。こちらは彼の腰にしがみ付いているのがやっとなのだ。急停止できるからといって、わざわざ馬の上体を起こさせることはないだろうに。
 レンスは馬から転がり落ちてしまった。
「だ、大丈夫ですか、軍監殿!」
 戦場の喧騒に負けないよう、彼は必要以上に近づいてくる上に、大声だった。
 脳がずいぶんと揺さぶられたが、落ちた拍子に打ち付けた背中よりはマシだった。痛いというより、呼吸ができなかった。それと知るや、報告役は馬から下りてこちらの背中を叩いてくれる。何とか呼吸ができるようになってから、「極刑」と告げると、彼は蒼白になってしまった。
「冗談だよ……ま、君はもう帰っていいよ。死にたくないでしょ」
「そういうわけにはいきませんよ。今は、あなたがこの部隊の指揮者なのですから」
「ま、ま。そんなことは置いといてさ。ここは上手いことするから。それとも、命令した方がいい? 帰れって」
 飲み込んではくれたらしいが、彼は馬だけを帰し、その辺に落ちていた巨大な円形盾を持ってレンスの前に立った。
「あなたが何をしようとしているのか、私のような者にはわかりません。しかし、盾持ちくらいは必要でしょう」
 戦場の真っ只中だ。盾でなくとも剣なり槍なりありそうなものだが。戦士であるよりも、盾となることを彼は選んでくれたようだ。鏃の夕立の中では、何よりありがたい。
 とはいえ、目の前の闘器が大半の矢を遮ってくれた。この闘器が最前線であるのは明白で、すでに撤退の鐘を聞いた兵士たちはレンスたちとは逆方向に歩を進めている。残っているのは足に矢をもらった者だったり、命を失った者たちだったり。
 壁となっている闘器も、辺りに残された者たちと似たりよったりであった。
 すでに足首をやられたのか、進むことも戻ることもできずに長柄の斧を杖に左足だけで立っていた。
 闘器の股の間から、キルト・ノィア・ソウラスの民たちが見える。手に手に自動弓を持ち、馬に乗りながら適当に放つ者。地面に伏すようにして身体を固定する者。台すら持ち出して狙いを定める者。様々だが、その中でとりわけ異色を放っているのが、先頭に立つ白毛皮の男だった。身の丈ほどもある弓を左手で持ち、背中の矢筒から右手で矢を掴んで引き抜く。
 一、呼吸。
 左肩を先頭に、頭、右肩を一直線にこちらへ向け、佇む。
 引き絞らぬまま弓に矢を番え、頭上に振り上げる。
 右腕は徐々に曲げながら下ろしていき、左腕は揺らぐことのないまま弧を描いて前へと倒されていく。胸の前まで両手が降りてくる頃には、弦は充分に引き絞られていた。矢は、弓に番えられたまま、老人の視線として闘器の関節へと向いている。
 一、 拍。
 限界まで引き伸ばされた楽器の弦が切れたような、空間を割く音が聞こえるや否や、鈍い破砕音が聞こえた。
 目の前の闘器がくずおれた。平地の民たちが歓声を上げると、辺りの喧騒がレンスの耳に戻ってきた。
「は、ははははは」
「笑っている場合じゃありませんよ。ここは退きましょう。軍監殿!」
「あ、ん……いや、そうとばかりも言ってられないさ。勝ちがないなら、せめて逃げる時間くらいは稼ぐのが指揮者の仕事だよ」
「逃げる指揮をするのも指揮官の仕事です!」
「まぁまぁ。僕の左手を見てごらん」
 そういいながら、彼の右肩を左手で掴んでみる。
「なんです、こんな時に――ぐぁ」
 まぁ、手加減はしたし、断末魔で叫べるのならばすぐに回復はするだろう。
 レンスは人の良い報告役に小さく礼の言葉を述べてから、うつ伏せに倒れた闘器の上に上っていった。搭乗者が逃げ出したことはすでに確認済みである。つまり、狙われるのは自分だけで済むはずだった。
 両手を上げる、という行為がどれほどキルト・ノィア・ソウラスの民に効果があるかはわからなかったが、新たに降り注いだ矢が少なかったということは、このジェスチャーは万国共通かもしれない。すでに宙を待っていた矢の雨はありがたいことに全て、外れてくれた。
 しかし、喧騒がやまない。
 敵陣友陣双方から、あいつは誰だ、みたいな言葉が上っている。
 軍監としてけっこー派手な服装をしているのだから、友軍からあいつは誰だ呼ばわりされるのは不服ではあったが。まぁ、それはどうでもいい。
 黙らせるためには、必要なことだと思う。
 レンスは胸元から火筒を取り出し、安全装置である留め具を外した。筒穴を上空に向けて左手で保持、右手で火筒の尻から生える棒をねじ込む。捻る。
 雷神の撥とも呼ばれる火筒が轟音を放った。
 そして、反響物の乏しい平地は音を失っていく。
 轟音に驚いて嬌声を上げる者たちがいないでもない。予備の火筒も使ってやろうかとレンスは考えたが、概ね静まり返ったのでやめておく。
 鉄装甲の闘器の上で、レンスは一歩踏み出し、声を張り上げた。
「私は共和国軍の軍監レノンセンス。キルト・ノィア・ソウラスの民たちよ。代表者と話をさせてはくれまいか」
 横たわった闘器の上から見下ろすと、白毛皮をまとった老人が踏み出していた。弓を下ろし、嬉しそうに笑顔を作っていた。
「待っておったよ、レンス」
 おおっぴらには言えないのだろう。
 けれど、レンスは老人の唇の動きをそう読んだ。

「それで、リジェをもらってくれる気にはなったかね」
「……どちら様ですか?」
 老人は苦笑しながら、器に乳酒を入れてくれた。際奥にかかっていた白毛皮は、そのまま冬着だったのかもしれない。戦闘着なのかも知れないが。ともかくも、老人は自分のテントに入ってからも、その毛皮を脱ごうとはしなかった。弓も背に括りつけたままである。
 囲炉裏を挟んで老人も腰を落ち着ける。器を呷った。
 つまりレンスは半ば捕虜として、老人のテントの中にいる。その代わりに、キルト・ノィア・ソウラスの大将であるらしい老人と二人きりで話ができた。
「まさか、そのような返しをするとはの」
  言葉遊びを楽しんでいる風でもあるが、老人の微笑みはややこちらから視線を外し、下を向いていた。とはいえ、いきなり知らない人の名を言われたこちらも戸惑ってしまう。そしていきなり、不意の再開に付き物の気まずい沈黙が訪れる。
  切り出しを譲るため、間を引き伸ばそうとレンスも器を口にした。
「あれ?」
  そして、不本意に声を漏らしてしまった。
「戦の最中に酒など呑むと思うのか」
 そりゃそうだろう。戦意を煽るには良いかもしれないが、弓を主武装にしている者が酒など口に含んだりはしないだろう。器の中身は、ラッシーだった。レンスの念願は叶ったわけだが、考えてみれば、もとよりヨーグルトが好きなわけでもないのだから、それほど美味くもなかった。
「まぁ。口に合わんのも致し方あるまい。しかし、これから外に水を汲みに行くのも格好悪かろう?」
「総大将同士の会見ですからねぇ」
「ふふふふ」
「は、はははは」
 なんだ? この清々しさは。昨夜、あれほど武力行使を決行してしまったことを悔やんでいたのに、なぜ自分が笑えるのか。レンスは良くわからないが、笑ってしまった。
 先に笑いをやめた老人が、吐息をついて話し始める。
「良かったよ。お主が昔のままで――今回の事も、上からの命令かね」
「……半分は」
 まるで孫のイタズラに顔をしかめるように、老人は目を瞑った。今の一言である程度の事情を察してくれたようだ。こちらからは、とても何も言えない。
 老人が目を開く。
「ま、良いだろう。それで、キミはどう思ったね」
「わかりません。攻め込まれたからといって、他の土地の武器を奪い取ることが良いこととは思えません。しかし、このまま共和国が帝国の傘下に入ることも、良しとしたくない」
 老人は、快活に笑い出した。
「違う、違うぞ。そもそも君の国の事情など知らんしな。ただ、自分の信じるものは見つかったのか、と聞いている。こちらは老体で二年も待たされたんだ」
 過ぎ去った年月を数値化すれば、その通りなのだけれど。自分の心は時が止まっているかのように動いていない。様々な角度から眺めたにも関わらず、良しとすることも悪しとすることもできず、凍結していた。
「それも、わかりません。回りの人間を守ることはしたい。どれだけ悩んでも、それだけは心に残ります。ただ、あなた方も守りたい。生活も、生き方も、考え方も。いっそ、こんな遺跡がなければ良かったとすら思っています」
 言うだけいって、レンスは不甲斐ない自分の視線を下ろした。
 こもった音がした。老人が腿を叩いたが、毛皮が音を吸収したらしい。そこまで察してから、老人に視線を奪われていることを知った。
 満足げに、微笑んでいた。
「ならば、本心なんだろうよ」
「?」
「周りの人間を守りたいというキミの気持ちだ。我々もまた、キミと接してしまった。だからキミは、私たちを守りたい。知らない人までは、わからない。それだけだよ」
「そうかもしれませんが……」
「まぁ、良いだろう。キミの信じるものは充分に理解できた。共感もできる。なにせ耳に良いしな。譲ろうじゃないか」
「? いいんですか……」
「どうせ、このまま抵抗を続けても――仮に今回守りきることができたとしても、私の知人だけでは戦力も高が知れている。キルト・ノィア・ソウラスが総意で立ち上がらん限り、共和国には勝てんよ。
 それより、今はできうる限り被害を少なくしたい。双方共に、な」
「指揮は、あなたがやっているのでは?」
「まぁ、総大将は私なのだがな。とはいえ、ここいらの民は基本的に個人的。私が呼び集めたとはいえ、各々の思惑で闘っているのだろう。教えたろう? この辺りの格言を」
「この土地は誰も待ちはしない、受け入れはしない、ただ一人で生きよ、という?」
 レンスが覚えていたことが嬉しいのか、老人は大きく頷く。
「意味は、理解できたかな?」
「おそらくは、一人で生きられるように自分を磨くための、説教かと」
 含んだ老人の笑みは、楽しそうである。
「なぞっているだけじゃな」
「娘さんにも言われましたよ」
「だろうな……まぁ、言ってしまえば、思うが侭に生きろということだ。誰も待ちはしないし、受け入れてもくれない。お膳立てなどしてはくれないが……それでも頼んでみなさい。共感してくれれば、手伝いくらいはしてくれるものさ。キミには、その傲慢さが足りない」
「なら! なおさらあなたが言い出せば」
「共感と同調は違うよ。降伏するとなれば、理由は話さないわけには行くまい。私が心変わりしたから戦はやめじゃー……通じると思うか」
「このままでは負けるとか、何とか言えば」
「今回の戦は勝てそうだからな。次が来るまでには皆、方々へと逃げ延びることができる。だから、今回の戦は止まらない」
「じゃぁ」
 老人の、何かを含んだ微笑は続いている。清々しく見えなくもないが、レンスにはひたすらに暗い。五機の闘器のうち、二機がすでに破損。その二機はこの老人が手がけたという事実が、答えを連想させる。
 老人がラッシーを飲み干して立ち上がった。
「さて、一騎打ちといこうかね。先程の不思議な筒は、まだ使えるのだろう?」
 優しい老人の言葉が、刺さる。沁みる。
 それしかないことは理解できたが、できたが……
 レンスはヨーグルトと山羊乳の中間飲料である、弱粘性のラッシーを飲み下した。
 酸味が強く、酷く、喉が渇く。

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