■ disorder3 共和国の貿易商 二人目 テニス・クォーラー ■

早稲 実

   プロローグ  

 細かいことはいーじゃねぇか。ほら、どんと聞いてくれ。つっても、そんなに弁が立つ方じゃねぇからな。冗長になるのはあしからず。
 あ? クアーの旦那? そんなこと聞いてどうすんだよ。今回の調査に関係があるとも思えんけどな……
 は、はっは。確かにそうだよな。ドィクタトル様がヒニアルと繋がるようなら、クアーとも会う機会は増えるだろうさ。ただ、知ったからってどうにかなる男だと思うか?
 まぁ、いいか。ドィクタトル様がザールスと結ぼうと考え始めたころから、俺もまぁ、いろいろ調べさせられたからな。もちろん、クアーの旦那のことも。
 え? 知らなかったのか? 懐刀って呼ばれてるおまえが? ふ〜ん……だから俺なんかに調査をさせたのか。仲、悪いもんな、俺ら。はは。
 そんなに睨むなよ。別におまえと意気投合しようなんてまったく考えてないから。だからよ、目の敵にするのはやめてくれ。ドィクタトル様に手を出すまでは信用しとけよ。
 それじゃ遅い? そりゃそうだわな。けどよ、無関係な時くらいは邪魔すんなよ。別におまえだって、ドィクタトル様の全てを掴んでる必要なんてないんだろ?
 え〜と、なんだっけ。そうそう。ドィクタトル様がザールスと組もうとしたのは、半年近く前だったな。
 あ? 話していいのかって? いいんじゃねーの? おまえに話す分には。別段、口止めもされてなかったしな。とりあえず、そろそろ腰を折るの、やめてくれよ。
 半年前ってのも、実際のところはどうだかな。レイマスの貿易の一割近くは、ザールスが関与していると言われている。それほどの男だ。その影響力はすでに、並みの元老院議員の比じゃないからな。ドィクタトル様が結びつこうとされるのもわかる。
 ともかく、その頃から俺に、ザールスの身辺を探るように命令が出たよ。

 俺がまず初めに調べたのは、資産だ。
 レイマスの一割――想像もできないような財力なのだろうと思っていたんだがな。意気込んでザールスの館に乗り込もうとしたが、指定された住所に豪邸なんてありゃしない。民家が並んでいるだけだったよ。だが、その中の一つが、紛れもなくザールス・カットの家だった。目を見開いたよ。
 そんなわけがねぇ。と思ってその後もつけ回したんだが、どうにも尻尾を出しやがらねぇ。別邸があるんだと思っていたんだが、どこにもそんな物はなかったな。あったのは、城壁の外に闘器工房が一つだ。そこが貿易の拠点か、とも思ったんだがな。違った。
 後々になって、調査の方法を変えてようやく知ったよ。ザールスの野郎は、自分自身では何も持っていないってことにな。そりゃ、普通の人に比べれば儲けてるんだろうが、ほとんど貿易ばかりしてたな。自由に使っている金なんて、件の闘器工房ぐらいじゃないか。
 ? ああ。ザールス自身をつけ回すことから、奴が持つ貿易ルートを探る方向に切り替えたんだ。納得したよ。関与してる貿易がレイマスの一割だって噂話を。
 ザールスはな、投資して自らが切り開いたルートをな、あっさりと委託しちまうんだよ。
誰にって? 地元の無名な貿易商にさ。そんで荷物を運ばせて、中枢都市の問屋に卸す。小売店に品を並べる。それだけだとどっちゃない、普通の貿易なんだがな。
 だがザールスが関わった貿易には一切、中間で発生する利鞘というものがない。いや、そりゃ必要経費や荷駄隊の危険手当ぐらいは付くがな。
 あの野郎、色んな業者と個人的に繋がりを持っていやがるんだ。つまり、業者はどこもかしこもザールスという男を通し、他の業者と付き合う。ん〜……友達の友達ってのがわかりやすいか? ザールスを信頼するから、あいつが紹介する業者も信用する。そういった安心感を盾に、各業者は一回ごとの利潤を下げて、数をこなすことに専念する。次第にザールスが関わる品物も増えるわけだわな。
 そりゃそうだ。貿易ルートの開拓をこなすは、ザールス自身はその信頼に対してほとんど金をとらねぇはで、関われる仕事は増える一方だろうな。
 これが、レイマスの貿易の一割って噂のカラクリだったわけよ。その分、ザールス自体に入る金なんて、スズメの涙だけどな。
 ? そうだな……ザールス個人が持つ資産なんて、そこらの貿易商なんかより少ねぇんじゃねぇーか? それこそ、新しいルートを切り開くための闘器とそれを維持する工房、他には普通の民家みてぇな屋敷が一つだろ?
 それでも、あいつが一声かけただけで、いろんなルートの生産者、運び手、売り手どもが人を動かしてくれる。ルートの切り開きに集まるのは百人隊ほどの戦力に過ぎないが、その気になればレイマス商人の三割はザールスの言葉で動くかもしれねぇな。
 あ? 旦那の話? 旦那はな、ザールスの家政婦みてぇなもんだ。飯も炊く、洗濯もする。これはザールスを観察してた時だけど、破れたヒニアルの服を繕ってたな。夜中なのにランプ一つで繕ってたからかな。淀みない手つきだったのに一瞬止まって、指を吸ってたよ。ホントだって。
 そりゃ、背中に柄斧を付けてるから護衛でもあるんだろうが、やってることは専ら家事だったね。ザールスが用事で出かけても、旦那は家に残ってヒニアルと留守番だ。ザールスの護衛は毎回違ったが、家を任されるのはいつでも旦那だったな。
 そりゃ、それ以外にも秘密はあるがな。

 まぁ、とりあえずはザールスだ。旦那については後からおいおい話すからよ。
 ありゃ確か、ザールスを追い回して一ヶ月くらい経ってからだったかな。レイマス内の小さなルートを一つ作り終え、ザールスが帰宅したところだった。護衛が別れの挨拶をしてザールスから離れていくと、あいつは家に入らず、そのまま市街地の方に歩き出した。
 泊り込みの仕事を終えて、昼下がりだ。むさい旦那の顔を見る前に、一息入れたかったんだろうさ。茶館の中へ入っていってお茶してた。長くなりそうだったからな。経費で落ちるだろうと思って、俺も休むことにしたよ。いきなりザールスが店を出てもいいよう、持ち帰りのできる菓子と、蜂蜜の入った茶を頼んだっけ。
「どこの議員の使いかな?」
 慌てたね。器を片手に、後ろから近づいてきたザールスが俺の正面に座ったんだ。そりゃ、あいつが近づいてくるのは気付いてたがよ、便所かなんかだと思っていた。まさか、話しかけてくるとはな。それに、元老院議員の手の者だってことまでバレちまってるんだもんなぁ。
 表情に出したつもりはなかったんだが、眼くらいは見開いてたんだろ。ザールスはオッサンながらも立派な面立ちでな、にっこり笑いやがったよ。こっちを安心させるみたいにな。だが、出てくる言葉は裏腹だった。
「一ヶ月くらい前からからな。違和感があったんだよ。ただ、人気のないところに行っても襲ってくる気配がない。そりゃまぁ、その時は護衛もいたがね。それでも、襲ってくるだろうさ。他の商人からの刺客なら。
 だが、キミは襲ってこなかった。それどころか、護衛たちに気付かせないほど見事に気配を絶っていたんだ。殺意があれば、なかなかそうは行かないものだよ。そこから推測すれば、私と話したい議員からの使いなんだろう、ってね。
 とはいっても、こういう考えに行き着いたのはつい最近なんだけどね」
 楽しそうにな、屈託なく言ってきやがるんだよ。クアーの旦那ほど年を食っちゃいねぇーが、俺より十は上だろーな。そんなオッサンが無邪気に、な。
「なんでわかったんだよ」
「ん? 今言っただろう?」
「そうじゃなくて。俺が議員の使いだってわかったのまでは納得できたとしても、そもそも俺を認識できたってぇのが気にいらねぇ。調べた限りじゃ、武芸に秀でてるってわけでも、どこかで訓練しているともねぇーんだぞ」
 あいつはな、一度だけ目を丸くして、笑い出しやがったな。なんでそんなことを? とでも言ってるみたいにな。ガキでもわかるって言われてるみたいだったよ。一頻り笑ってから「これ、いい?」とか訪ねて、俺が応じるより先に菓子まで摘んでやがった。
 むしゃくしゃしながら蜂蜜の入った茶を飲む俺を見ながら、ニヤニヤ笑ってやがる。茶が、妙に甘ったるかったよ。
「キミ、殺し屋だろ?」
 頷いちゃいねぇ。だが、あいつは俺の反応だけで確信したようだったな。俺が何か言う前に、続けるように説明を始めやがったよ。
「いや。いい腕なんだと思うよ。私なんか、どんな護衛に守られていても殺されてしまうほどに、凄腕なんだろうさ。ただ、気配の絶ち方に自身を持ちすぎだよ、キミは。
 人込みに紛れながらとはいえ、堂々と歩きすぎてるんだもの。一度見られた時にはすぐに相手を消せる暗殺業ならいいのかもしれないけど、諜報には向かないね」
 言われてみれば、まったくその通りさ。俺の尾行は別段、物陰に隠れるようなものじゃねぇーからな。顔を見られていれば覚えられる。それにザールスは、仕事の都合上いろんなところに行きやがる。その度に俺の顔を見てれば、ただの通りすがりじゃねぇーことくらいは見当がつくだろうさ。
「それで、キミを使ってるのは誰なんだい?」
 俺は観念して、吐くことにしたよ。別に、禁じられてもいなかったしな。好きなはずの蜂蜜の入った茶は喉を潤す役に立たなかったが、一口だけ、喉を湿らせてからドィクタトル様の名を出したよ。
 また目を丸くして、げらげら笑っていやがったな。

 あ? 口元が笑ってるって? ……故人を悪く言うわけにもいかないだろうが。
 ――ああ、くそ。変なこと言うんじゃねーよ。とにかくあれだ。茶を持って来いよ。なんか、色々話すことになりそーだ。飲み物くらいはよこせよ。
 何だって? 茶の種類? 俺にゃ、詳しいことはよくわかんねぇーよ。蜂蜜入れる茶があるだろ? あれを出せよ。そうだ。蜂蜜をたっぷりとな。
 え〜と……そうそう。ともかくよ、ザールスの野郎はむかつくんだよ。俺が仕方なくドィクタトル様の名前を教えたってのに笑い出しやがって。ああ。他の客に迷惑がかかるくらいにゲラゲラだ。終いにゃ、店員に追い出されちまったよ。
 店の外でようやく笑い声を治めたと思ったらよ、出直そうと背中を見せた俺に、声をかけるんだよ。「会わせてくれ」ってな。
 もう、訳がわかんねぇーよ。
 だってよぉ、レイマスの一割男だぜ? そんな奴なら今までだって元老院議員に会おうと思えば、いくらだって会談の機会があったはずだ。それがよ、気紛れみたいな調子で言いやがるんだよ。
 その場ではなんとも言えなかったからな。後日連絡するってことにして、俺はその足でドィクタトル様に聞きに行ったよ。会うか会わないかをな。
 ドィクタトル様も訝ってたな。「何故、突然……」とかぶつぶつ呟きながらな。それから経緯を聞かれたから話したんだけどよ、ドィクタトル様までくっく、くっく笑うんだよ。
「そういう時はな、雇い主の名を出さぬのが常だ」
 そうは言ってたがな、別に俺を叱るつもりもないらしい。笑いを堪えるようにして、ザールスと会える日取りを教えてくれたよ。
 それで、俺の調査は終わりだ。姿を知られちゃ、調査の意味もないからな。ただ、もう調べる必要がなかったのかもしれないが。ともかく、ドィクタトル様が誰かを動かした気配もなかった。
 その後は、都合二回ほどザールスに会ったよ。一度目はザールスに会談の日時を伝えるときで、二度目はその迎えに行くときだった。どっちも、クアーの旦那にも、ヒニアルにも気付かれないようにな。
 別に、俺が配慮してたわけじゃねーよ。ザールスの野郎が、不自然がないくらいに例の茶館に通ってた。別に、馴染みってわけでもなさそうだったから、俺を待っているくらいの見当はついたよ。家の者には知られたくないんだろう、ってな。
 一回目は特に何もなく、茶を奢ってもらって、日時を伝えて帰ったよ。まともに話したのは二回目だったな。その時も、向こうが一方的に話しかけてくる感じだったが。
「なぁ、なんでドィクタトル様に会おうと思ったんだ?」
 相槌と適当な返事しかしてなかった俺が、唯一あいつに話しかけた台詞だったよ。嬉しそうだったな。あいつの顔は。ようやく主人に構ってもらった犬みたいだった。
「なんでって、キミが好きだからだよ。私を追っていたくせに、あっさりと雇い主のことを口にする。凄腕の殺し屋のくせに、諜報なんてしてる。いつもひょうきんな仕草をしてるかと思えば、こちらから話しかけるとダンマリさんになる。
 どれをとっても、アンバランスなんだよ」
 つまり、からかってるってことなんだろうな。俺はそう解釈して、いっそう無言になったよ。相槌も打たなくなると、ザールスは日差しを楽しむようにして目を細めて、黙って歩き出したな。
 そんな気遣いも含めて、俺はいっそう嫌いになったけどさ。
 話し合いは応接室じゃなくて、ドィクタトル様の私室でやってたよ。俺は蚊帳の外さ。聞いても、わからんかっただろうしな。
 短い話し合いが終わると、ザールスの指名で俺が送るハメになった。そのくせな、あいつは何も話してきやしない。夕日を眩しそうに、そのくせ目を逸らしもせずに歩いていやがったよ。
 俺の方が耐えられなかったんだろうな。
「何も話さねぇーのかよ」
「何か聞きたいのかい?」
 正直、むかついたな。その返答だけで、大嫌いになるには充分だったよ。けどな、気になってたんだろうな。あいつを家まで送り届けた時、俺の方から聞いていたよ。
「どうだったんだよ?」
「何が?」
「今日の会談だよ。おまえの思う通りにいったのか?」
 その問いかけには、ちょっとだけ考える素振りをみせたがな。顔を上げたあいつは笑っていたよ。
「上出来だと思うよ。資産は減るだろうけどね」
「商人だろ? 資産を減らしてどーすんだよ。それとも、別の所で利潤があるのか?」
「ないね。ただ、憂いはなくなった、と思ってる」
「憂い?」
 オウム返しに訊ね返すと、あいつは両手を広げて語ったよ。
「私には夢があるんだ。途方もない、夢がね。
 人は、それぞれだろう? 考え方も、生き方も、感じ方も。当然、古代人も、だ。共和国でも闘器の外装は製造できるが、未だに内部機構の方は解明されていない。何十年、何百年経っても、まだまだ闘器は謎のままだ。今の我々では足元にも及ばない、失われた技を持っていた古代人にだって、思想があり、生活もあった。それが知りたいんだよ」
「……歴史でも掘り返したいのか?」
「そんなところだよ」
 それ以上は、何も言わなかったよ。俺も、訊ねようとは思わなかった。
 馬鹿げてたからな。人の心を覗きたいって言ってるようなもんだ。あいつが求めてるのは、年代記に書かれた歴史なんかじゃなく、人がどう動いたかによって生まれた系譜だろう。そんな大仰なものじゃなくたって、人は、目の前の他人だってわかりゃしない。
 だが、俺がそう言い聞かせたって、あいつはやり方を変えないだろうさ。危険を伴って貿易路を切り開き、そのルートを馬鹿みたいな金額で作り手に引き渡すんだろうさ。
 俺は、別れの挨拶もそこそこに、その場を去ったよ。
 思えばよ、それが最後に見たザールスだったんだな。