■ Fenrir-フェンリル- ■

鹿神 藍

――U.
 知り合いが死んだ――ただの中学生同士の喧嘩だった。よくある漫画やテレビドラマのように、激昂しだしたガキが安っぽいセリフを吐き出し、一振りのナイフを取り出した。
 何て言えばいいのだろう、と貴也は考える。ああいう瞬間の表情――負けられない、格好がつかない、殴られたくない。弱いものには喜悦し、強いものには精一杯の気迫。そんな自らの葛藤と、内から湧き出してくる恐怖とに彩られた表情だ。
 手にした獲物で人を傷つけたことはないが、どうなるかぐらいの知識はあるといった感じがした。
 そんな無我夢中で突き出された刃に、知り合いは腹を刺された。
 相手のガキはわけが分からなくなったのか、仲間の静止すら聞き入れずに知り合いの体を刺し続けた。何度も何度も引き抜いては突き刺し、自らが血に染まるのも見えてはいなかった。
 飛び散る血が分からなくなるほど、足元には澱んだ血が広がっていた。
 ドラム缶に開いた穴から漏れるどす黒い油。そんなものが貴也の脳裏を過ぎっては消えていった。いくら大きな手で押さえたところで、流れ出ていくものを止めることはできなかった。
 誰しもが自発的に殴ることを止め、目の前で繰り返される光景を眺めていた。目を背けることも微動だにすることもなかった。辺りはやけに静かで、知り合いの肉が抉られ血が滴る音が響いていた。
 生死を問わず、みな虚ろな瞳をしていたのが、いつまでも焼きついて離れなかった。
 血に濡れた手から滑り飛んだナイフ――乾いた落下音に、その場にいた全員が弾かれたように動き出した。
 知り合いの体が、自らの体液の中に沈むようにして倒れた時には、辺りに残っていたのは貴也だけだった。
 複数の赤い靴跡だけが、延々と続く迷路の出口に向かって連なっていた。
 何も言わない背中を見下ろして、貴也は運がなかったなと呟いた。もし間違っていたら自分が死んでいたかもしれない。また別の人間がナイフと対峙していたかもしれない。
 全ては時の運。そんなちっぽけなものが、生きるか死ぬかの差になると理解した。
 それでも、潰れそうになるくらい胸が痛んだ。いつか、自分もこうやって捨てられるように死ぬのだと考えると、貴也には他人事だとは思えなかったからだ。
 仲間と世間から悪いと思われていることをすることで、仲間というものはより連帯感を深めていくのだろうと思った。家族や血のつながり――そんなものよりも、もっと分かり合える何かを単純に欲していたのだ。
 そう考えるたびに貴也は、幼い時に自分を捨てるようにしていなくなった両親のことを思い出した。捨てられることすら理解せず、親戚かどこかの家に出かけているだけ、少し家を離れるだけなのだと思った自分。裏切られたことも知らず、いつかきっと帰ってくるだろうと必死になって言い聞かせていた自分。
 貴也にとって過去は、喧嘩をしている間だけ忘れることができる、覚めない夢だった。だから苦痛に顔を歪ませるだけの、怒りの捌け口としての喧嘩に明け暮れたのだ。
 その為に貴也は力を求めた。全ての自分の弱さを隠してくれる器が必要だった。それには暴力的な力が最も早く、身近に掃いて捨てるほどあった。好都合――恨み、辛み、嫉み、全てが生きていく糧には最適だった。
 そしてまた、そんな自分が嫌いになるのだ。しょうがない生き方に、全ての夢が晴れることをひっそりと願ったりもしたのだ。
 あの頃の自分には何もなかった、と貴也は思いを返す。そして大切なものを見過ごし、何気ない生活を繰り返している自分がいることを知った。
 後日、投げるようにして花を手向けた。
 知り合い――数少ない友だちと思える人間だったと、そいつが死んでから気がついた。

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