■ Liberator-解放者- ■

鹿神 藍

 2
 店のブラインドを全て下ろされ、電気の消された店内は暗かった。
 自動ドアも外からブレーカーが落とされロックされてしまっていた。
 ただし自動ドアにはブラインドはなく、そこからは外の様子が見て取れた。
 もっとも、見ても駆けつけた警察車両のヘッドライトに目が眩むのがおちだったけど。
「早く投降してでてきなさーい♪ だって。すげーな、映画みたいだ」
「沢田さん。僕は早く出て行きたいです」
 僕と沢田さんは、ちょうどレジの脇あたりに転がされていた。
 後手に縛られ、ご丁寧に足首までも縛られていた。
 僕は体勢が悪くもぞもぞと動く。
「どうした、便所かい?」
「違いますよ」
 もう一人の店員は嬉々としてこの状況を楽しんでいるご様子だ。
 といいつつ、いまいち恐怖に駆られない僕も気分的には酷く緩い。
「そういや沢田さん、あれから何時間くらいたちました? 僕のところからだと、時計見えないんですよ」
「うーん、まだ小一時間くらいかな」
「そろそろ雑貨類がきますねよー。検品の準備しなきゃ」
 もそもそと芋虫のように腹ばいで店の奥に這っていく。
 そんな僕を沢田さんは足で蹴り飛ばして文字通り転がした。
「ひゃー、ご無体なー」
 悲鳴を上げてみる。意外と童心に返ったみたいで楽しい。
「別にいいんじゃね? ほら、非常事態だし」
「さぼれるのはいいんですけど、ちゃんと時給でます?」
「どうだろ……あっ!」
「なに、どうしたんです?」
「どうしよう、森山くん。レンジに弁当入れっぱなしだ……あぅ」
 真剣に聞いたのが馬鹿みたいじゃないか。
 小腹が立ったので、沢田さんに芋虫ドロップキックをかます。しかし受け身がとずに自爆した。
「うぐぅ、ううっ。こ、腰骨打った」
 床に思い切り身体を落とし、無様な僕はごろごと床の上を転がりながら悶える。
「ははは、ザマーミロ。ばーか。ん?」
 きゅっ、きゅっ、きゅ。と早足で近づく足音に、僕と沢田さんの会話は途切れた。
 紙袋が事務所の奥から出てきたのだ。
「きゃー、早く逃げなきゃですわ♪」
 沢田さんはあえて犯人が姿を見せてから、へこへこと芋虫状態で自動ドアへと這っていく。
 そして彼を捕まえようと楽しそうな歓声を上げる紙袋。いや、彼にその意図が決して無かろうと、はたから見たら微笑ましく見えた。
 これはそう見えてる俺の問題である。間違いない。
「へへへっ、動かずにじっとしてろよ。悪いようにはしねえから」
 沢田さんの上に馬乗りになった男は、紙袋から覗く口元をがそごそと右腕で拭った。
 というよりはこいつ……怪しい薬やってるんじゃないか?
 むくむくと育っていく疑問。
 つい、口に出しかけた。
「まあそのなにだ。あれだよ、ほら……ごめん」
 あやまったーーーーーーーっ!
 刹那、僕の中の疑問はどうでもよくなっている。
 へ、変なキャラがいるよ。
 沢田さんに負けず劣らず変なキャラがいるよ。
「ほら、彼もこういっているんだ。そろそろ僕らを解放してくれないか?」
 沢田さーん。床に転がった状態のままじゃ、そんなに爽やかにいわれても説得力ないよ。
 その前にあんた明後日の方向を向いてるけど、一体誰に向かって話してるんです。そっちにはアイスケースしかありませんから。
「ええい、うるさい。きさまら黙れ! いい加減にしろ、こっちがおとなしくしてりゃあやりたい放題、いいたい放題しやがって! もう堪忍袋の緒が切れたぞっ!」
 そう突然だった。突然、癇癪を起こした紙袋は沢田さんの後のベルトを掴むと、僕の方に放り投げた。
「痛っ。な、なにをするのだ突然に!」
 ムキーッと牙を向いて威嚇する沢田さん。
 僕には彼の全身の毛が逆立ってるのが見えた。
「頼むから普通に捕らわれていてくれっ!」
 紙袋が喚いた。
 ちょっと泣き出しそうだ。ごめんよ、いじめすぎたみたい。
「そりゃ、そうです。そうですよね。強盗しに来てるんですもの。立場ってものをわきまえない僕らが悪いんですよ。沢田さん、僕らがやりすぎたんです。反省しましょう、反省してください」
「しょうがないなぁ。森山くんがそういうなら。はーい。反省しまーす♪」
「お、お前らなっ!」
 ぐっと握りしめた拳を紙袋の脇でわなわなと震わせ叫んでいた。
 しかし、その拳は何事もなく下ろされる。
「いい、いいか。いまからはまじめに、まじめに頼むよ」
「はーい、しつもーん」
 沢田さんがすかさず手を挙げる。
「はい、じゃあそこのキミ」
「まじめになにをすればいいですか?」
「いい質問だ。まじめに……まじめに――」
 そこで紙袋は気がついたようだ。
 はた、と動きを止め自らの右手に視線を移した。彼の手には黒光りする銃が握られている。
 そしておもむろにぐりぐりと沢田さんの頬へと銃口を押しつけた。
「ほらほら、ほら! じっとしてないと脳味噌ドカンだよっ! これ本物だよ。ほ、ん、も、の!」
 さすがにこの紙袋の豹変ぶりに、沢田さんも冷や汗を隠しきれない様子だった。ただ彼の場合は、表情のみということもありえる。つまり芝居、演技だ。
「そこのお前、笑うな。笑うの禁止だってば!」
 咎められた。別に紙袋のこと笑ったわけじゃないのに。
 お客さん、あんた騙されてる。騙されてるよ。
 ほら、紙袋の後で声を出さずに大爆笑してるやつがいるから。
「だから笑うなって!」
 紙袋が必死になってみれば真剣に見えないこともない表情で僕に銃口を向けた。
 彼の手は、今はもう震えていなかった。
「そうだ、お前」
 僕ですか?
 紙袋は僕の方を向き頷く。
「そうそう、お前だ。ちょっと――――脱げ」
「うあ、馬鹿、近寄るな。ちょっ……この、変態!」
「うひょーっ、森山くん貞操の危機! 恐怖、紙袋強盗は変態だったっ! いいね、イイネ。俄然盛り上がってきたじゃない、誰だつまらないなんていったの!」
 げらげらと笑い転げ、声を張り上げる沢田さん。
 その声に反応したのは僕でも紙袋でもなく。
「へん××、なんだって?」
「変態だ! 犯人は変態するらしいぞ!」
 窓に張りついていた警察官だった。
「なに、本当に変態だったのか? 犯人が変態……」
「ひ、人質は、人質は無事なのか!」
「公団職員を呼べ。大至急だ! 叩き起こしてでも連れてこい!」
 硝子一枚隔てた外は沢田さんの一言で大混乱に陥った。
 僕らの知らない情報までもが飛び交い、瞬く間に外に待機している警察官中が騒々しさに包まれる。
「いいから脱げ。脱げって!」
「いやだって、やめてくださいよ!」
 店内には嬌声を上げる馬鹿二人と、喚くやつ一人。
 紙袋の手にはカッターナイフが握られていた。近づく荒い呼吸に、僕は思わず縛られた足を必死にもがいて逃げた。しかしレジが置かれているカウンターが僕の行方を阻む。
「ひいいいいいぃ」
 カッターナイフが僕の両手首を縛り付ける縄をブツと切り裂き、紙袋はその肥えた上体で僕の細い身体を押さえつける。
 い、いやーーー……?
 だが紙袋は僕から上着一枚をはぎ取っただけだった。
「せ、制服だけかい!」
「ああ、これで少なくとも警官は誤魔化せるだろうから」
 ということは……この状況下で真っ先に撃たれるのは僕ですか。
「せ、制服を返してください! 撃たれるなら自分で撃たれてくださいよ、自業自得なんだから!」
 僕は紙袋に飛びかかり制服を奪い返す。
「ここここ、こら、やめなさい! 私だって好きで撃たれたいわけじゃないんだ!」
 しばらくもみ合い、店の床を背中で拭いた。
 僕の足を縛り付けていた縄が藻掻いた拍子に外れた。
 そうこうしている間に、紙袋の背中から拳銃が落ちた。鈍い音だった。
 刹那――銃が暴発した。
「痛っ」
 吐き出された弾丸は予想以上に貧弱な音を立てて僕の臀部に当たった。正直、輪ゴムで撃たれたような痛みだ。
 銃は真っ赤な偽物、エアガンだった。
 ただ、それが引き金となった。
 僕は紙袋を睨みつけ、むんずと紙袋の上からアイアンクローをかました。
 紙袋は酷く怯えた様子であわわわわと声を漏らす。
 僕の中で眠っていた何かが、そのとき目覚めた。

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