■ Liberator-解放者- ■

鹿神 藍

 3
 紙袋に血が滲んだ。
 掴んだ男の頭蓋はいとも容易く砕けてしまいそうだった。
 指は力の加減を忘れ、男の皮膚には爪がめり込んだ。 
 辺りには男が上げる悲鳴と嗚咽が絶えず溢れる。
 奥底から流れた攻撃的な残虐性が僕を変えた。
 紙袋を掴んだままレジ前の商品棚に頭蓋を叩きつけ、人形のように紙袋を振り回した。
 男の顔を覆っていた紙袋は裂け、中身は判別不能なまでに潰れた顔面をさらけ出す。
「ぷーぴー」
 鼻から溢れる乱れた呼吸が、男がまだ生存していること教えていた。
 間の抜けた音が、意外にも僕を現実に引き戻す。
「ハッ、沢田さん……沢田さん、大丈夫ですか?」
 体中の力が抜けたような気がして、ふと我に返った僕は男の頭蓋から手を離していた。
「も、森山くん。酷いよ、酷すぎるよ」
「なにがです?」
 棚から落ちた商品に埋もれた沢田さんを掘り起こしながら助け出す。
「どうして黙っていたんだ!」
 だが、とうの彼は助け出されているにもかかわらずに怒鳴った。
「だからなんです」
「森山くんが実は、秘密裏に悪の怪人と戦うために改造手術を施されていたなんて!」
 どーん。
 そんな効果音が沢田さんの背後から後光のように差し込んだ気がした。
「あ、大変だよ! あそこに怪人の影が!」
 沢田さんの声に思わずのりのりで振り返る僕。
「イーッ」
 ちょっと待て。これじゃあ僕が怪人じゃないか。
 表に集まった警察官が店内の異常に気がつき、突入するための硝子を割ったのだろう。
 僕は牽制の為、足下に転がっていたものを、思わず店の外に向かって投げる。
 手当たり次第だ。
 それこそもう、パンやらスナック菓子やらカップラーメンが店の窓に当たってはばいんばいんと硝子に弾かれる。
 しかし、ふと飛んでいったものが悲鳴を上げた。
 僕は思わず目を瞑った。
 想像した怖いものから逃げるようにだ。
 長い余韻の後、ガシャンとお約束通りの音で硝子が割れた。
「だ、大丈夫か、あんた! この店の従業員、店員さんだね?」
「人質が解放されたぞ! あと一人、後一人だ!」
 路上に転がったのはどうやら犯人の男のようだ。
「コンビニに立てこもっている犯人に次ぐ。直ちにもう一人の人質を解放してでてきなさい!」
 うほ。この展開は、すでに僕が犯人扱いされてるわけ?
「さ、沢田さん!」
 思わず先輩の姿を探す。
 こうなったら彼に弁解してもらうしか、身の潔白を証明できない。
 だが、彼の姿は店内にはない。
「どこいったんですか!」
 必死になって探す。あ、いた。
 そんなことを僕がしている間に、彼は自動ドアのところまで自力で這っていっていた。
「人質がでてきたぞ。手伝え、みんな手を貸せ!」
 瞬く間に駆けつけた数人の警察官に保護される沢田さん。
「な、なにしてるんすか!」
 どりゃ、と再び足下に落ちていたものをぶん投げる。
 黒光りする、ブーメランみたいな形の……あ。
「うぐっ!」
 エアガンは自動ドアから引きずり出される沢田さんの後頭部に直撃した。
 彼は呆気なく口から魂を吐き出して昏倒する。
「げっ」
 僕は顔を警察官に見られては不味いと、咄嗟にコンビニのビニール袋を被る。
 とりあえず目の部分に穴を開けた。
 あれ、どっかにこんなのいたなと思ってはいても作業は続く。
         □
 できあがったのは大な感じ。
 覗き込んだ警察官が無線に情報を伝える。
「犯人は紙袋からビニール袋に被りなおした模様! 白い買い物用のやつだ!」
 墓穴を掘るとはこういうことを言う。
 汗ばんだ顔に頭にビニール袋がぴったりと張りつく。
 耳元でがさがさとものすごく鬱陶しい。いや、そのまえにすごく息苦しい。
 それから数時間、僕と警察との睨み合いは鬨の声を聞くまで続いた。
 もちろん僕はビニール袋を被ったままだ。
 すでに夜明けが近く、空は青みがかっていた。
「ご苦労。ここからは我々、公団の指示に従ってもらうぞ」
「対能力者部隊、配置につけ!」
 外から聞こえてくる部隊って単語は、特殊部隊のことですか?
 半分眠りこけていた脳が急速に目覚めていく。
 あまりに物騒な話だ。
 ここは日本だぞ。
 この日本でそんなことあるわけがない。
 これは夢。
 きっとそうに違いない。
 夢、夢だ。
 次瞬――、一発の弾丸が傍で弾けた。僕の腰ほどの高さにあったレジスターが衝撃と共に吹っ飛んだのだ。
 僕は反射的に蹲っていた商品棚の影から飛び出し、レジの陰に隠れた。
 さらには後頭部が微かに温かくなったように感じて振り返る。
 舞い上がった埃に浮かぶ赤い光線が、まっすぐに僕の頭部を狙っていた。